世界樹の迷宮・その3(B5F)

アルケミスト♂ ウィバの日記


 「なんてタフな野郎だ! アリスの一撃を食らって平然としてやがる!」
 「第二波が来ます! 迎撃の準備を!」
 「ダメだリーダー、間に合わねぇ!」


 その白銀の体毛は鉄剣さえ弾き、その巨大な牙は鎧すら紙のように引き裂く。
 「雪走り」と渾名された巨大な剣歯虎を前にして、パーティーはまさに絶体絶命の只中にあった。
 ただ一人、気を吐いたパラディンが「雪走り」に挑発を繰り返し、神技的な受け流しでその猛攻を凌いではいたが、天運が尽きるのももはや時間の問題かと思われた。


 そんな折、後列から男がゆらりと一歩前に出る。
 体格にまるで似つかわしくない鉄塊のような篭手を両手に嵌めたその男は、「雪走り」に向かって何事かを呟き、篭手を嵌めた右手を突き出した。
 男の手のひらから深緑の瘴気が蒸気のように噴出し、勢いよく「雪走り」の体を包みこむ。
 危険を察知した「雪走り」は素早く瘴気のガスから身を退けたが、その影響から完全に逃れることは叶わなかった。
 「雪走り」が水浴びを終えた犬がするように全身を震わせると、先ほどまでは絹糸のような輝きを見せていた体毛が鼠色に変色し、端から端から抜け落ちていく。
 それらは落葉と見間違うほどにうず高く積り、長きに渡りこの階層の帝王として君臨していた四足の怪物は、今や辺境の部落の軒先に繋がれた驢馬にも劣る無様な姿を晒していた。
 一糸として乱れることなく整っていた体毛は駁に抜け落ち、露出した地肌には紫色の斑紋がそこかしこに浮かび上がる。
 四肢は弛緩したかのように張りを失い、立っている事さえままならない。
 黄金色の瞳は苦痛に曇り、その唸り声には怨嗟と屈辱の響きが篭っていた。


 そして、その様子を見届けた篭手の男は一同に向き直り、力強く声を発する。


 「さぁ、行こう! 「雪走り」を討ち果たして、この階層を踏破するんだ!」




 「思えばアレが頂点だったんだよなぁ……」


 オレは部屋の隅に飾られた一対の牙に目をやった。パッと見、小ぶりな象牙にも見えるその置物は「雪走り」との戦いで勝ち得た、言わば栄光の証である。
 「雪走り」を打倒し、歓喜の声で迎えられたオレ達は更なる活躍を期待されて迷宮の深層へと向かった。
 だが希望を胸に第2階層に向かったオレを待っていたのは、苦痛の日々の始まりでしかなかったのだ。


 「ポイズンウーズだ! ウィバ、頼む!」
 「ダメだ、奴は毒が効かない!」


 「軍隊バチだ! ウィバ、頼む!」
 「ダメだ、奴は毒が効かない!」


 「ベノムスパイダーだ! ウィバ、頼む!」
 「ダメだ、奴は毒が効かない!」


 毒使いであるオレにとって、毒に対して抵抗を持つ原生動物や野生動物の存在は天敵としか言いようがない。
 こちらの毒を無効化した挙句、更に毒牙や毒針を持って攻撃してくる連中に対し、オレは自分の身を守ることだけで精一杯だった。
 唯一オレが仕事を果たしえたのは、あの(命名者の視力と正気を疑う)大ナマケモノと出くわした時ぐらいのもので、それ以外のあらゆる状況でオレはパーティーのお荷物でしかなかったのだ。


 考えてみれば第1階層で余りにもオレは慢心していたんだと思う。
 オレの放つ毒雲は戦士の剣撃をも耐え凌ぐ怪物を地に沈め、度々パーティの危機を救ってきた。
 誰もがオレを頼りにしていた。オレもその期待に応えた。
 だけど、有頂天だった当時のオレは他の分野にまるで食指を動かさず、ただ黙々と毒の研究に没頭した。
 毒さえあれば迷宮の魔物を打ち倒せる。そう信じていた。それは半ば事実でもあったしな。
 だが、あの第2階層で自分の限界を知り、そしてオレは打ちのめされた。
 ……これから先、パーティの皆と共に戦うためにオレはどうしたらいいのだろう?
 オレはそれをずっと悩み続けていた。




 オレは今日ようやく決心を固めた。
 机の引き出しの二段目に仕舞った手紙。それを取り出して埃を拭う。
 一度頭を空っぽにしよう。
 皆には迷惑をかけるけど、きっと強くなって帰ってくる。
 決してオレは諦めない。オレを信じてくれる皆のために。


 そう、オレは皆と一緒にあの迷宮を踏破するんだ。絶対に。






 「休養」はレベル30以上のキャラクターのレベルを10引き下げる代わりに今まで振ったスキルポイントの振り直しができると言うシステムです。なので、もし不要なスキルを取ってしまってもキャラクターを完全に消去することなく、もう一度育てなおせるんですね。
 悪い意味で完璧主義的なところのある自分にとってはこれは非常に嬉しいシステムです。この手のゲームでは育成方法に失敗したら初めからやり直し、キャラクターは削除してまっさらに、ってのが当たり前でした。それでは余りにも手間がかかりすぎるし、キャラクターへの愛着が失われてしまう。オマケにスキルを取る際にもビクビクしてしまって色々試すこともできないと。
 あと、前半向きのスキル振りと後半向きのスキル振りってのはやっぱり違ってきますしね。上記のアルケミストの毒スキルなんてのはまさにその代表格で、序盤ではアタッカーの数倍のダメージを叩き出すことも珍しくないんですが(しかも毎ターンに渡って)、第2階層以降は毒が効かない敵も増え、毒ダメージの上限に引っかかり、かなりキツい扱いを受けることになります。
 それでもFoeとの対戦では毒は極めて有効な手段で、第2階層のタフなFoeと対戦した際には大いにその威力を発揮しました。
 第2階層をクリアしたところで私のアルケミストは雷スキルに振り直しましたが、「あー、毒あればラクなのにぃ」と思う場面が度々あったりして、一概に毒はダメと言い切れないのがなかなか難しいところです。まぁ、アルケミストのスキルはどれも得手不得手の敵がハッキリしているので、いわゆる「最強」ってのは難しいところなんですな。最近ではスキルポイントにも余裕が出てきたので雷以外にも何か取ってみようかなと考えている最中です。




 ここ土日と世界樹の迷宮をぶっ続けでやってましたけど、一言で言えば本当に面白いです。それは世界樹の迷宮が余所見ができないRPGだからってことに起因しているような気がします。
 DQMJにしてもポケモンにしても、自分の場合、ネットしながらゲームをすることが凄い多いんですが、世界樹の場合はそういうながら作業が一切ありません。
 というのも、戦闘オプションを適宜活用しないと勝てない戦闘設計や、適当に歩いてるとすぐ迷う3Dダンジョンが大きいんですよね。プレイヤーの視線を画面に釘付けにする。目をちょっと離すとマズい状況に陥っている。プレイヤーの目を画面から離さない設計が随所に施されているんですね。結果、プレイヤーはゲームに注視して、集中する。いわゆる「ハマった」状態になるワケです。
 同様の設計がタッチペンでのマップ作りにも言えまして、タッチペンを握っている最中は左手が本体、右手にタッチペンと、ゲーム以外の行動ができない状況にあります。右手を常に使わせることで他の媒体とプレイヤーを遮断させ、ゲームに集中する環境を作る。そこには一切他メディアが入り込む余地がありません。


 正直な話、シビれました。近年の本格思考ゲームが生き延びていくためにはカルチョビットのような「ながらゲームを極めること」がコアユーザーとライトユーザーを満足させるための最良のコンセプトの一つだと私は思っています。
 現代のユーザーはゲームだけをするための時間は持ち合わせていない。だからこそゲーム性と商業性を両立させるには、わずかな時間で多くのリターンを返せるシステムが必要なのだと。
 しかし、この世界樹の迷宮は「ながらゲームを許さないゲーム」なのです。多くの時間で多くのリターンを返すゲーム。ハッキリ言って(周知の事実ではありますが)コアゲーマーのためだけに作られたゲームです。その割り切り方に安っぽい言い方をすれば感動したと言うか、自分がゲーマーとして愛されていることを感じたと言うか、開発者のストライクゾーンに自分がいたことをとにかく感謝せずにはいられない、そういうゲームなんです。


 そういう視点で見てみると、Lボタンに決定を割り振ることができないのは、実はDSから手を離させないためなんじゃないかと深読みさえしてしまうのです。
 多くのRPGでは片手でプレイングができるようにコントローラーのLボタンに決定機能を振り分けられることがあります。しかしながら片手でゲームができるということは、逆の手が空いてしまうということで、その空いた片手がパソコンやマンガ雑誌に伸びると今度はゲームへの集中度が疎かになってしまいます。Lボタン決定はゲームをプレイする上では実に便利ではありますが、実はゲームへの集中を阻害する可能性を秘めた諸刃の剣なのです。
 それを開発側が意図的にやっているのか否かはわかりませんが、世界樹のインターフェースの多くがゲームにより深く没頭するために考え抜かれた作りになっていることは全く頭が下がる思いです。ユーザが何気に不満を感じる箇所には、実はそれ以上の大きな意図が隠されているのかもしれませんね。


 さて、「片手」というキーワードで思い浮かぶのは、ちょっと世界樹からすっ飛びますが、Wiiリモコンの存在です。Wiiリモコンは今までのコントローラーの概念から全く離れたものとして完成し、従来のコントローラーに拒否感を抱く多くのライトユーザー未満の人たちにも気軽に触れるスタイルを提案しました。
 今の任天堂の、言い換えればゲーム業界の目指しているスタイルは、片手プレイに代表される極めてライトな方向です。「ボタンを10個も20個も覚えられない!」という未経験者に向けて発信されているものなのです。
 昨今のゲーム業界の情勢を見るにそうした提案が間違っているとは思いません。ゲームが文化の裾野を広げ、社会的に認知されるために任天堂が極めてチャレンジブルでユーザフレンドリーな方法論を取っているのは確かです。
 しかしそれでは従来のゲーマーは満足まではできないんです。昔からのオールドゲーマーは、そういう方向性を支持しつつも心の底ではどこか満たされない空虚さを抱いているように思えます。「Wiiスポーツは面白いよ。でも……」みたいな。
 そして、そのゲーマーの心の空白をガツンと埋めに入ったのがこの世界樹の迷宮だと言う気がしてならないのです。発売前は不調が噂された売れ行きも蓋を開けてみれば品切れ続出。出荷本数が定かではないので、「好調な売れ行き!」と一言で言っても規模としてどの程度なのかはまだイマイチわからないのですが、それでもこのゲームの発売を多くのサイレントマジョリティが待っていたと言うことは厳然とした事実で、かつその期待に応える仕上がりを見せたこのゲームは、(悪い言い方をすれば)時代に捨てられようとしているコアゲーマーを拾い上げてくれたノアの箱舟のようなもので、決して自分が見捨てられていないんだ、と言うことを確信できたことだけで、開発者の皆様には「ありがとう!」の一言を言わずにはいられなくなります。
 このゲームは全てが全て、コアゲーマーのコアゲーマーによるコアゲーマーのためのゲーム。もちろん開発側の考えとしては新規層の引き込みも十分考慮にはあったと思いますが、それでもメインターゲットとして選ばれたのは、(市場価値の全く薄い)私たちなのです。同様のコンセプトを持ったゲームは今までに数多くありましたが、それらのゲームとこの世界樹の迷宮が一線を画すのは、やはりコアゲーマーがゲームを始めて遊んだ時に知った、「ゲームだけをすることの喜び」を存分に味あわせてくれるゲームであるからだと思います。


 さて、私としてはコアゲーマーとしての視点でこの世界樹の迷宮をついつい見てしまうのですが、今一番知りたいのはWizもメガテンも難しそうでor古めかしそうで、プレイしたことがない、というプレイヤーにとって世界樹の迷宮がどのように映ったのかということです。初めてDSでゲームに触れたという方なら尚更です。
 もし、今まで3DダンジョンRPGに触れたことのない人たちも、今の私と同じような「ゲームだけをすることの楽しみ」を味わえているのだとすれば、それに勝る喜びはありません。1マス1マス細心の注意を払ってマップを埋め、モンスターとの戦闘に頭を絞り、キャラクターの成長を喜び、パーティの全滅に落胆し、Foeへのリベンジに燃える。その体験を今、そして遠い未来においても語り合える。そんな仲間たちが続々誕生しているのであれば、これからも決して3DダンジョンRPGが死に絶えることはないでしょう。そう私は思います。