世界樹の迷宮・その34(B18F)

アルケミスト♂ ウィバの日記


 「なんの騒ぎだ。」


 灰色の外套を翻してその男は現れた。痩躯な上に上背もない、冒険者と比べればまるで貧相な体躯。しかし獲物を狙う猛禽の如き鋭い瞳の奥には、けぶるように揺らめく頑なな意志の片鱗を覗かせる。襟元に輝くは執政院の長たるを示す若葉の勲章。彼こそは、このエトリアの町の最高権力者である執政院長ヴィズルその人だった。
 形式どおりの挨拶(「他の2人はどうした?」「色々ありまして……」等々)を交わすと長は情報室長に視線を転じ、オレ達との間で交わされたやりとりについて説明を求める。


 「君達はモリビトに誑かされたのかね。」


 情報室長との問答が終わった後、振り向きざまに長は言い放った。
 発言の主がキタザキ院長であれば、或いはこれもジョークの一種と受け止めることもできる。
 しかし、頬髯を蓄えた長の表情には一片の綻びも窺えない。


 「枯れ森には『冷酷なる貴婦人』と呼ばれる妖しがいる。彼女は特に屈強な冒険者に対して魅了の術を用い、本体である老木に引きずり込んで干乾びるまで精を吸い取るそうだ。気をつけたまえ。」


 やはりこれは彼一流のジョークなのかもしれない。
 しかし、真鉄にも似た、冷たい、硬質の声は、愛想笑いを浮かべることさえ萎縮させる。
 オレ達が返答にまごつく間に、長はさらに言を継ぐ。


 「今、エトリアは創生以来の危難に瀕している。勇敢なるエトリア市民は今こそ一丸となって、かかる困難に立ち向かわねばならない。そして君達、ティークラブの諸君には、エトリアの冒険者の旗頭として先陣に赴き、我ら人類の不撓不屈の精神の体現者となってもらわねばならない。その君達が排すべき敵に対して惰弱な態度を現すことが、果たして周囲にいかほどの悪影響を与えるか? 君達は自身の立場について改めて自覚してもらいたい。」


 その言葉でオレは確信した。これはジョークだ。それも極めて悪質な。
 一介の冒険者に相応しからぬ光栄な任務を与えてやる、という言い草。
 いつ、誰が、どこで、そんな不条理を望んだというのだ。


 「多大な期待を寄せて頂いて真に恐縮ですが、人殺しを強要される謂れはありませんね。」


 半ば反射的にオレは声を発していた。仲間と、そして情報室長の驚愕の視線が突き刺さる。
 早まったかもしれない。もう少し言葉を選ぶべきだったとオレは悔やんだが、一度言ってしまった以上は仕方ない。
 長は相変わらず渋面を保ったままだ。地なのか、勘気に障ったのか、一見して判別がつき難い。


 「君達も知っているハズだ。このエトリアの町は迷宮の恩恵を受けて成り立つ町。探索を、そして開拓を否定すればこの町は成り立たぬ。」


 長い探求の歴史を経て、エトリアの冒険者達は飽いていた。代わり映えのしない光景に。日常に。
 停滞がやがて衰退を招き、勇気と探究心とを失ったエトリアの町は、無為無策の中に緩やかな死への行路を歩み始めていたのだ。
 そんな折、オレ達はある些細な切欠から迷宮の探索を始め、未踏の大地を切り開くに至った。
 それはエトリアの人々からすれば、永遠とも思える夜との決別の瞬間だったのだろう。
 塞き止められていた彼らの熱情は燎原を走る炎のように燃え広がり、一夜にしてエトリアはかつての古き良き時代の喧騒を取り戻したのだ。しかし……


 「彼らは血気に逸りすぎています。強すぎる反動はいずれ不幸を招く。その端緒が今や随所に現れています。」
 「ならば枯死する途を選ぶか? 執政院の長たる者として私はエトリアを繁栄に導かねばならぬ。」
 「犠牲の上に成り立つ繁栄などっ!」


 なおも抗弁しようとするオレを、長は頭を振って制止する。


 「君は儚いロマンチシズムに浮かされているのだ。我々の為すべきことは今も昔も変わらない。迷宮を人の手によって作り変え、我々の恣意により恵沢を汲み上げる。僅かに異なるのは我々を阻む者が魔物か、モリビトか、たったそれだけの違いだ。」


 確かに本質的にはオレ達の行為は今までと相違ないのだろう。相手のことを省みない、自分本位なやり口だ。
 だが、彼らの叫びを、嘆きを聞いて、それでもなお我意を通そうとする人々の考えがオレには理解できない。


 「君の言で改めて私は所思を固くしたよ。彼らモリビトは人心を惑わす存在。然るに彼らに与えられるのは殲滅の途のみだ。」


 刹那、胸郭を暗雲が満たした。


 「彼らの存在を、歴史を、痕跡を、すべて焼き尽くし、抹消せねばならない。迷宮に先住民などいなかったのだ。そう記録には残さねばならない。後世の関心を刺激してはならない。でなければエトリアの万民は未来永劫に渡って自ら為した罪と咎に苦しめられるだろう。」
 「殲滅など! そんなことは不可能だ!」
 「不可能事であろうと、我々は達せねばならぬ。彼らを逃せば遺恨の芽が残る。幹を切り倒し、根を掘り起こし、塩を振り撒き、迷宮を不毛の大地に変えねばならぬ。」


 長の言葉一つ一つがまるで槌のような重さを伴って脳髄を揺らす。オレは眩暈を覚えながらも、反駁の言葉を必死に探す。


 「わかるかね、彼らは『協定』などという不詳の理を持ち出し、我ら人間を煙に巻こうとしているのだ。」
 「それは憶測に過ぎない!」
 「ならば仮に『協定』が事実、両者の間で結ばれたものとしよう。だが考えてみるがいい。彼らモリビトは我々人類が忘却を許すほど遥かな過去の記憶を未だに引きずっているのだ。ならば彼らは、此度の争いを、一族の屈辱を、人間への怨讐を、未来永劫忘れまいぞ。子々孫々に渡って怨嗟の種火を燃やし続けるだろう。」
 「将来の不都合を理由に身勝手な断罪が許されるものか!」
 「私は予言者ではないが、君達よりもわずかばかり長く生き永らえている。年を取るとは、つまりそれだけ未来が見通す知恵がつくということだ。そして彼らの復讐は蓋然ではない。必然だ。」
 「だからと言って相手が死に絶えるまで暴力を以って捻じ伏せる気か! 過分に過ぎる!」
 「防衛とは理性よりむしろ動物的な本能に根ざした反応だ。頭を撫でようと差し出した手を噛みつかれたとして、君は過剰防衛だと犬猫を責めるのか。」
 「賢い猫なら身を翻して逃げる! 争いごとに巻き込まれないようにだ! 防衛とは相争うことじゃない! 我々人間は森から手を引くべきなんだ!」
 「もはや我々は迷宮の恩恵なしには生きられん。転進すること能ず。ただ矛を持ってモリビトを打ち据えるのみだ。」


 長の口調はモリビト殲滅を誓う断固とした決意に溢れていた。だが異常に過ぎる。なぜ彼はこれほどまでにモリビトに対し敵意を顕にするのか。彼自身の立場を考慮してもなお強硬に過ぎはしまいか。


 「君達の実直さは賞賛に値する。だが、世の中には不可避の悪意が存在することを覚えるべきだ。」


 その瞬間、清冽に澄み切った長の瞳が僅かな翳りを見せたような気がした。
 それから老人は議論は終わりだと言わんばかりに頭を振ると、情報室長に視線を転じる。


 「情報室長。委員会と検討を諮った結果、予てよりの議題に関し、彼らの理解と賛同を得ることができた。公示を頼む。」
 「は、では……!」


 情報室長の眼鏡の奥に隠された瞳が慄く。



 「『モリビト殲滅』。ミッションの発動だ。」


 口髭に隠された長の口元が禍々しく歪んだように見えた。



 「既にギルドを通して装備と糧秣を手配している。明朝よりミッションを発動する。そして……」


 長は炎すら凍てつかせんとする冷たい眼差しを以ってオレ達を見据える。


 「ティークラブの諸君。君たちの協力を期待している。」




 「あなたにしては妙に熱くなっていましたね。」


 ギルドの片隅に置かれた書き物机に突っ伏したオレに向かってリーダーはそう言った。


 「虫の居所が悪かったんだ。」


 まぁ、嘘ではない。それが主因でもないが。


 「いずれにせよ、執政院はもう当てに出来ない。ミッションの発動だと? ふざけている……!」


 執政院が本腰を入れてモリビトの殲滅に動き出した以上、対話による解決の可能性は完全に潰えたと言っていい。
 彼らに議決した案件を翻すほどの柔軟さがあれば話は別だが、意地と面子とやらが邪魔をするのだろう、彼らが振り上げた拳を収めることなど未だかつてなかったのだ。


 『雪走り退治』『森王退治』……『海上に来る者』はともかくとして、執政院の公示したミッションの多くは、冒険者に対して僅かな報酬と引き換えに過分な危険に挑戦させる無慈悲で冷徹な釣り餌なのだ。
 一般的にはミッションは冒険者に対し行使の強制力を持たない。だが、冒険者の中には食いあぐねて身の丈に合わないミッションの遂行に走る者もいる。その末路は誰もが容易に想像できる通りだが、いずれにせよ執政院にとって冒険者など安価で使い捨ての効く労働力に過ぎない。ミッションなどという大仰な言い回しはそんな彼らの(もし彼らにそんなものがあるとすればだが)後ろめたさを隠すための空虚な飾り立てに過ぎないのだ。
 恐らく多くの冒険者がモリビトとの戦いの中で命を散らすのだろう。執政院はそれを抑えるばかりか、ミッションの発令によりむしろ煽り立てようとさえしている。
 いや、ミッションだけではない。過日のモリビト工作員の事件にしてもそうだ。彼の身柄を確保できなかったことが今となっては悔やまれるが、執政院はモリビトの殲滅をこそ唯一至上の命題として冒険者を戦いの奔流に放り込もうとしているのだ。


 一体なぜだ。なぜ執政院は、そして長ヴィズルは、あれほどまでにモリビトの排除に血道を上げるのだ。
 エトリアの繁栄の為に彼らを絶滅させるなど愚挙もいいところだ。幾ら彼らの復讐が脅威だとしても、彼らを根絶やしにする理由には繋がり難い。それともモリビト殲滅の裏には何かオレ達の預かり知らない理由が隠されているのだろうか? そして何より彼のモリビトに対する憎悪の源泉は奈辺にあるのだろう?


 「これから、どうするよ?」


 不貞腐れた様子でジャドがボソリと呟いた。
 言わんとしているところはつまり、ミッションに参加するか否かということだろう。
 ミッションに参加する肯定的な意志はない。だが……


 「ベイブの仲間達はこぞって参加するでしょうね。」


 モリビトとの戦いで死んだ冒険者ベイブ。未亡人となった彼の妻はベイブの仲間達に呼びかけ、夫の惜念を晴らすよう申し伝えたということだ。そしてベイブの仲間達も夫人の願いを承諾した。彼らはミッションの発動を今や遅しと待ち構えている。
 そして彼だけではない。多くの冒険者が様々な思いを秘めて死地へと向かう。多分、それは執政院の標榜するエトリアの繁栄などという壮大壮美な美麗字句とは異なる、ささやかで、そしてひそやかな誓いに端を発しているのだろう。


 オレ達は一体どうするべきなのだろう。
 仲間の力になるためにミッションに参加するべきなのか。
 「主義に反するから」とだんまりを決め込むべきなのか。
 どちらにしても待っているのは不幸な未来だ。同じ結論の繰り返しだが、オレ達は無力な冒険者なのだ。
 だが、そんな無力なオレ達にも、何か出来ることはないのだろうか。
 オレは目を瞑り、天井を仰ぐ。
 ……瞼の裏に二人組の人影がよぎった。



 「アリスベルガとルーノ。彼女達を助けたい。」



 数分後、オレは吐き出すように呟いた。
 リーダーとジャドは怪訝そうな表情を浮かべ、それからニヤリと笑みを浮かべた。




 「いやぁ、あなたがそれほど情熱的な男だとは思いませんでしたよ!」
 「リーダーは何か誤解しているようだ!」


 オレ達は荷物袋にありったけの薬品と食料とを詰め込み始める。5人分の雑貨を詰め込んだ荷物袋は今にもはちきれそうだ。


 「冒険なんざホントは願い下げなんだ! なのにお前はオレを引きずり出した! 覚悟しとけよ!」
 「ああ、溺れ死ぬまで奢ってやるさ!」


 軽鎧を装着するジャドの手つきは鮮やかなものだ。まるで吸い付くようにしてパーツが所定の位置に収まっていく。


 「『氷の剣士』は忠告していた! 迷宮には立ち入るなと!」
 「「それがどうした!」」


 力強く、そして暖かい、拒絶の言葉。
 光明は未だに見えない。ただの虚勢にすぎない。
 しかし、仲間の声はいつだって心強い。胸郭に澱む瘴気を吹き飛ばすほどに。
 きっと臆病で日和見な自分がこの一歩を踏み出せるのは、他でもない仲間達のおかげなのだ。


 「ミッション開始まであと6時間です!」
 「十分だ! それまでにアリスベルガとルーノを探して!」
 「それから…… どうする!?」
 「彼女達の尻馬に乗る!」
 「解決の為の糸口を掴んだからこそ彼女達は迷宮に臨んだハズです!」
 「それはちょっと好意的に過ぎる見方じゃないか!?」
 「信じるんですよ、こういう時は!」
 「そう、仲間をな!」


 ギルドの扉を蹴り飛ばして、オレ達は闇夜のエトリアを疾走する。もちろん、行き先は世界樹の迷宮だ。
 迷う必要なんてなかった。
 オレ達は仲間のために戦ってきたんだ。今までも、そして多分これからも。だからその流儀を貫けばいい。


 彼女達がこの陰惨な戦いに終止符を打つために考えた方策。彼女の気質からして想像はついた。
 しかし、その方法はたった2人でこなすには余りに険しすぎる代物だ。
 だからこそオレ達は彼女達の重荷を分かち合い、共に力を合わせて成功へ導かねばならない。
 だから、早まらないでくれ。そして、間に合ってくれ。
 大切な仲間を失わなずに済むように。






 ミッションについて。スパロボWをやってたせいか「ミッションを発動する」という下りを聞くと「ミッション承認! セーフティデバイス、リリーブ!」みたいな若旦那を想像してしまいます。言い回しが実にクドくて大好きです。


 ミッションは纏まったお金を貰えるありがたい機会なので、装備を充実させるいいポイントになります。が、ミッションを達成した直後に装備を買い整えると、新しい階層で得た装備が今度は買えなくなるという罠。この装備を買い換えるタイミングは現実のPCを買い換えるタイミングっぽくてなかなか悩まされます。「欲しい時が買い時」って言ってもなぁ。
 あと、擬似2週目でお金がやたら足りない理由について考えてみたら、ミッションの報酬がないせいだと最近になって気づきました。薬代を除いてもこの物価は異常だと思っていたら、そう言えばそんなカラクリがあったんですね。なんか損した気分。


 執政院の長、ヴィズルさん。今回一番困ったのが、ヴィズルさんの立ち絵が見れないことです。どんな服装だったかさっぱり思い出せない。というか、顔すら思い出せない。唯一覚えているキーワードは『ヒゲ』。ヒゲにしても色々ありますしね。
 世界樹の迷宮は固有のキャラが少ない割にはキャラ人気が強いという不思議なゲームで、色々な方が思い思いのキャラを描いてるんですが、その中でもヴィズルさんはダントツで人気薄です。なのでヴィズルさんのイメージを探そうにも全然見つからず、本当に苦労しました。おまけに台詞もなかなか見当たらないという二重苦。なのでヴィズルさんについては確かこんな人じゃなかったっけ、みたいな感じで書いてます。多分全然違ってます。


 ミニコミ誌を頂いたので、設定面について特に色々と読み深めています。それでも結構想像力にお任せの部分が多いんですが。
 まぁ、この話自体は自分設定の極みみたいなものなので、公式設定と見比べてどうこうってのも変な話ではあるんです。が、どうにか無理矢理に論理付けで解決しちゃおうという気質が自分は強いもので(ウシの話とかね)、なんとかならんものかなぁと頭を捻ったりしています。まぁ、それは無理かなと半ば諦めかけてもいますが。
 なので、以後のアレはそういう裏設定を理解した上で敢えて変な話を作ってるとお考えください。


 ミニコミ誌と言えば勝手に執政院の若旦那(と呼んでた眼鏡の人)の名前と役職が明らかになったのがありがたかったです。グッドタイミング。多分、もう多くの人が知ってると思うので敢えて書き出すのもアレかなと思うんですが、自分のメモ代わりに書き出しときます。肩書きとか微妙に書き間違えそうな気配があるので。


 長鳴鶏の宿フロアマネージャ アレイ パラディンLV1
 ケフト施薬院院長 Dr.キタザキ メディックLV144
 シリカ商店 シリカ プリンセスLV17
 金鹿の酒場店主 サクヤ ディテクティカLV64
 冒険者ギルド統括執務役 ガンリュー レンジャーLV70
 執政院ラーダ情報室長 オレルス サージェントLV28


 名前で一番モヤッとしたのはギルド長のガンリューかな。ガンリュー…… 巌流島?
 モリビトの少女も名前が知りたかったなぁ。「私の名前は……」みたいな和解イベントの妄想が膨らむ。