▼エルミナージュ・その12

 あれ、銀のティアラって忘れられた地の第2層で出ないのか……? 第2層で歩き回った10時間は一体。orz


 そんなワケでエルミナージュを遊んでいます。ヒドい遊び方をしています。
 具体的に言えば、ながらプレイですね。最近はニコニコで四八(仮)動画を見ながら忘れられた地を練り歩くと言う、コタツに潜ってアイスを食べるが如き楽しみ方を満喫しています。
 しかし、四八(仮)。最近年末と言うことでKG(直接その言葉を言うのは好きじゃないのでー)方面の話題が花盛りですね。で、今回、自分の中のKGの定義をキチンと固めようと思って、初めて四八(仮)を見たんですが、なんというか、開発者の作りたいものってこうだったんじゃないかな、ってのが傍目からも良く見えるゲームでしたね。で、同時に色々足りなかったんだな、ってのもよくわかるゲームで。大作を求めすぎていたような気がします。開発者もユーザも。
 まぁ、ニコニコで実況を見ただけの人間に何がわかるもんかと言われると、その通りだなぁとしか言いようがないんですけども、もっとねー、コンパクトに纏めればなんとかなったんじゃないかと思える部分が結構あって、惜しいゲームだなぁと思いました。まぁ、去年のゲームに今更言及するのもアレな話で、何の価値もない呟きではありますけど。


 さて、エルミです。エルミは、と言うか、エルミの始祖であるWizもそうなんですが、この手のゲームはとかくながらプレイに最適な作りをしています。動作が軽快で、操作がパターン化できて、反射神経がいらない、使うボタンが少ない、と古典的なRPGには概してそんな特徴があるでしょうか。
 エルミは敵の位置がほぼ固定で、慣れると画面をチラ見するだけでダンジョンを回ることができます。自分はWiz3の6階なら今でもマップを見なくても一周できると思います。
 戦闘はいわゆる「Aボタン連打戦闘」で、頭を使うことなく機械的にお金と経験値、そしてドロップアイテムを集めることができます。プレイヤーがゲームに積極的に介入するのは、時折悲鳴が上がったときに回復呪文を唱えるぐらいで、後は基本的に高い戦闘力と自己治癒力を生かしてモンスターを一方的に撲殺し続けます。
 適当に区切りのいいところ、例えば見ている動画が終わったタイミングで冒険を切り上げます。手元には経験値と未鑑定のアイテム。ひょっとしたらレアかもしれないそれらのアイテムを一つずつ鑑定して売り払い、次に宿屋に泊まって溜まった経験値をレベルに変えます。レベルアップのデデデデッデッデッデ、デッデッデッデーンというファンファーレが終わらないうちに次のファンファーレが重なって、デデデデッデデデデッデデデデッデデデデッと延々とレベルアップが続きます。これはSEがヒヒーンヒヒーンヒヒーンヒヒーンに変わるまで続きます。
 レベルアップが終わったら錬金倉庫で手に入れた素材を調べ、可能なら武器を強化し、いらない素材は店に売り払います。最後に全体マップに戻ってセーブをして終了です。


 これが自分のエルミのプレイングワンセットです。なんというか、これだけを見て「楽しそう!」と思える人は結構限られているんじゃないかと思います。
 自分もそう思います。エルミに費やした時間で、例えばクイズマジックアカデミーや応援団をプレイしていたら、もっとスリリングでエキサイティングな楽しみ方ができたように思います。自分の美学に照らし合わせてみても、こんなダラダラとした遊び方は、いたずらに施した延命治療のような往生際の悪さを感じます。
 でも、不思議と自分はこの遊び方を許容しているんですよね。時には動画を見ながらエルミをプレイして、時にはテレビを見ながらエルミをプレイして、時にはネットを見ながらエルミをプレイして、時にはぶつ森をプレイしながらエルミをプレイする…… あ、ぶつ森はリモコンで片手操作可能なので、慣れると結構いけるんですよ。
 この遊び方はどちらかと言えば積極的にゲームを楽しむ遊び方ではなくて、どちらかと言えば受動的、今ゲームを起動していないとなんだか勿体無いと感じる強迫観念に取り付かれた遊び方のような気がします。だって片手さえ空いていれば自動的に経験値やお金が稼げるんですよ。だったらネットを見ながらゲームをするのはむしろ効率的な時間の使い方なんじゃないか? そんな考え方をしてしまうんです。不思議ですね。


 でも、一昔前のRPGってそういう側面はあったと思うんですよ。FCやSFCの頃はどうしてもゲームのプレイングにテレビが欠かせないので、暇潰し……(あー、そうだ、暇潰しなんだ、戦闘の合間の)……暇潰しのよき相手となったのはゲーム雑誌やマンガだったような思い出があります。
 自分は良く親から「ゲームを遊ぶかマンガを読むかどっちかにしなさい!」とか「ゲームやりながらマンガ見るとか器用だねぇ」とか色々言われた記憶があるんですが、その手のスタイルに最も向いていたのがRPGで、その極北がWizだったのかな、という気がちょっとします。


 Wizの今では廃れてしまった多くのシステム、例えばアイテムの鑑定や宿屋でのレベルアップは、プレイヤーが報酬を得るタイミングを自らコントロールできる点にながらプレイとの親和性があると自分は思うんです。敵と戦っていたらいつの間にかレベルが上がっていた、お金が溜まっていた、というんじゃなくて、敵と沢山戦ったからレベルが一杯上がるだろう、という期待を持って宿屋に泊まる。で、予想通りにレベルが上がる。プレイヤーが一番欲しいタイミングで報酬を得ることができるんですね。レベルアップの喜びを無駄なく得られるんです。
 Wizでなければ、例えばマザーで銀行に多額のお金が振り込まれた時のあの嬉しさに近いのかなと思います。苦労に見合った成果を具体的に実感できるワケです。


 リソース稼ぎが主要素となるRPGは、「作業の遂行」と「対価の獲得」の二つのフェーズで成り立っています。経験値を稼ぐための「作業の遂行」がルーチン化されたものを、俗に「経験値稼ぎ」と呼びますが、質の落ちた「作業の遂行」は、同時に「対価の獲得」の価値を減じさせます。
 十字キーとAボタンを固定して流砂に突っ込ませて、次の朝テレビをつけたらキャラのLVが99になっている。これは経験値稼ぎを自動化した結果、レベルアップの喜びが失われるパターンです。まぁ、今はこんな面倒な仕掛けを作らないでも、チートで好き放題にできるんですかね。
 さておき、Wizは「対価の獲得」を任意のタイミングでプレイヤーが行えることで、「作業の遂行」と「対価の獲得」を切り離せた点に着目すべき点があったのかなと思います。この二つを切り離したことで、プレイヤーは「作業の遂行」を半ばルーチン化しつつ、「対価の獲得」だけを通常通りに享受することができるようになったんです。
 結果として自分は、エルミをずっとプレイしています。労力は少なく、しかし報酬は十分に貰えるんですから、これをやらない理由はありません。レアアイテムが出てきたら素直に嬉しいですし、ちょこちょことレベルが上がっていくキャラを見るのは楽しいです。確実にエルミにハマってると言えます。
 でも、これってどういう理屈でハマってるんだろうなぁと。それが不思議に思えたので、今日はこんなことをダラダラと書いてみました。




 キャシディ(ワービースト♀・神女 LV432)


 イベロ(ワービースト♂・侍 LV586)


 ミュイ(フェアリー♀・盗賊 LV570)


 グラスタバウ(デビリッシュ♂・錬金術師→司教 LV451)


 チノ(ドラゴニュート♂・召喚士 LV568)


 ネルネリ(フェアリー♀・司教→錬金術師 LV625)




 あ、決して遊びすぎなのを自己弁護したかったワケじゃありませんからね。