▼宇田さんと新納さんのコラムの話

 本題とは全然関係ないんですが、今日のさんまのからくりTVで鈴木史朗さんがバイオやってる映像が流れてました。うぉー、話には聞いてたけどこれは面白いなぁ。
 加山雄三さんとの「クラウザー!」の話とか、あのキャラのまんま真顔で「焼き殺します」「死ね!」とかつぶやきながらプレイしてるとか、いやぁ、鈴木史朗さんは面白すぎます。いいもの見たなぁ。眼福眼福。
 以前の映像ではスコアが9万点ちょいだったんですが、今回のスコアは11万点でしたね。前回はGC版で今回はWii版という違いがあるので、そこは鈴木史朗さん曰く「ナイフ攻撃が0.5秒早いWii版」のおかげなのかなと。


 さておいて、今日は金曜日更新のコラムについての雑感を。まずは宇田さんから。
 宇田さんのコラムの内容はドラクエ延期についての感想なんですが、しかし、新納さんも書きづらそうなことを割とサラッと振りますね。公人の立場と私人の立場と複雑に絡んで、凄く書きづらいと思うんですけどもね、これ。
 でもまぁ、これは確かに宇田さんが真っ先に語るべき部分ではあって、自分としても7竜開発陣にドラクエ延期の報が届いて、どんな衝撃が走ったかは気になるところだったんですよね。で、その顛末も、ああ、なるほどなぁ、と腑に落ちるものでした。
 とは言え宇田さんが、「これってラッキー?」と感じたのかと思えば、全然そんなことはなくて、未だに気が抜けないじゃないか、と決意を新たにしたのは、これ、ちょっとカッコイイなと思いました。日頃のフニャフニャぶりからすると実に謙虚な姿!
 確かに現状認識としてはそれが正しいんですよね。7竜はネームバリュー的には小粒なゲームであることには依然変わりないんです。油断は禁物というか、油断することさえおこがましい立場ではあります。


 まぁ、ドラクエが延期したことで、むしろ言い訳が効かなくなった部分はあるのかもしれません。今までは販売が不振に終わったとしても「ドラクエと被ったからしょうがないよ」と嘯くくらいのことはできたと思うんですよね。
 とは言え、今となっては、もうそんな自嘲染みた呟きには誰も同情なんかしてくれません。ドラクエの影が消えて、本当の意味でソフトの価値が試される場が与えられたんだと思います。
 まぁ、ポッカリと空いたこの空白地帯は絶好の好機には違いありません。小売店にしても各種メディアにしてもドラクエの穴を(僅かでも)埋めるための商材は必要でしょうし、取り扱われる機会は以前よりも確実に増えるハズです。
 「ドラゴンなんとか」を欲しがるお孫さんにおじいちゃんが「なんとかドラゴン」を買い与えることも…… ひょっとしたらあるかもしれません。良識ある一市民としてはそういう不幸なできごとは起こらないといいな、と思いますが、ゲームに期待する1ファンとしては、触った結果幸せになるならいいな、と思ってしまいます。救いがたいファン心理ですね。


 ともあれ、だからこそ宇田さんには頑張って欲しいなと自分は思います。望外の好機が飛び込んできたのも全ては勇気(とも呼べない無謀さ)の裏返しでもあって、最初から逃げを決め込んでいればこんなチャンスも生まれなかったハズなんです。
 7竜だって場合によってはドラクエと同じような理由での発売延期もありえたワケで、こうして予定どおりにソフトが販売できるのも開発陣の頑張りがあったからなんですよね。これからは開発陣が繋いだタスキを宇田さんがゴールまで運ぶ番で、開発陣から引き継いだ色々な思いを7竜を期待する全てのユーザの手元まで届けて欲しいなと自分は思っています。


 ……で、なぜか、宇田さんが走ってる横で新納さんも自転車で伴走してたりするんですよね。これだけ縦横無尽に働くディレクターって珍しいと思うんだけどなぁ。




 さてまぁ、そんな新納さんの援護射撃。新野さんのコラムについての雑感です。
 相変わらず新納さんのコラムは読んでて全くその通りと何度も頷いてしまう内容で、「早く7竜を触ってみたい!」と思わずにはいられません。ゲームへの理想を語る開発者は世の中に幾らでもいますが、その発言が素直にゲームへの期待に繋がるのは、多分、新納さんがこれまで有言実行を常に果たしてきたからなのかな、と自分は思います。
 今回の内容は2DRPGの「安心感」の話です。2DRPGは誰もが安心して遊べるゲームだからこそ、人気のジャンルとして世に定着したと自分も思っているので、新納さんのいう「安心感」は非常に大切なキーワードだと自分は感じています。


 さて、2DRPGが安心感を得やすいゲームだと言われても、すぐには納得できない人はいるかもしれません。神の視点でマップを上から眺められることはごくごく普通のRPGの文法の一つで、それほど力説するほど重要な話ではないようにも感じられます。
 ただ、現在の2DRPGの見下ろし型2Dマップが非常に親しみやすいスタイルであることの証左は、例えばドラクエ1では視界が制限されていたダンジョンが、2以降ではなりを潜めた点からも見てとれますよね。視界制限のあるダンジョンが、(例えばドラクエ5のレヌール城のような)特殊なギミックとしてしか機能しなくなったのは、視界を制限されると、途端にゲームとしての敷居の高さをプレイヤーが感じてしまうからなんです。


 視界制限のあるマップはそれだけで攻略不可能なまでの難度をプレイヤーに感じさせます。この反応をうまく利用してプレイの幅を生み出したのが実はポケモンで、視界制限のある洞窟を明るく照らす技マシン「フラッシュ」は、マップの構造を知悉しているプレイヤーにとっては不要なアイテムですらあります。これは安心感を求めるユーザと、自由度を求めるユーザと、双方のニーズにマッチした工夫ですね。


 また、新納さんはコラムの中で「マップを可能な限り狭くした」ことを強調していますが、これも機能的には視界の制限を緩めたことと同義ではあります。一目でパッと画面上の情報が把握できる視認性の高さがユーザに安心感を与え、ひいては快適なゲームプレイを導きます。
 主観的すぎる話で申し訳ないですが、2Dの安心感を自分が一番覚えたのは、「ゼルダの伝説夢幻の砂時計」でした。「テスト用紙を探せ!」から入る3Dゼルダに比べて、2Dゼルダは「テスト用紙はこれだよ」と教えてくれるので、余計な手続きを必要とせずに謎解きだけに集中できるんですよね。3Dゼルダは敷居を感じて全くプレイできない自分がクリアまで辿り着けたのは、一目で全体が把握できる2Dの安心感のおかげだと思っています。


 さて、新納さんが前回作った世界樹の迷宮は、今回のセブンスドラゴンとは全く異なるスタイルの3DダンジョンRPGでした。そして世界樹が生まれた理由、日本で3DダンジョンRPGが衰退してしまった理由は、3DダンジョンRPGがユーザにとって不安感を招きやすいジャンルのゲームだから、という側面があります。3DダンジョンRPGの楽しさは、不安感に根ざしたものなんですね。
 3DダンジョンRPGという「不安感のRPG」の極北に挑戦した人が、今回は2DRPGという「安心感のRPG」を作ろうとしている、というのは実に面白い構図ではあります。3DダンジョンRPGを自ら願って作り上げた新納さんは、不安感が刺激に転化する魅力を存分に知りながらも今回は180度舵を切ってきたんですからね。
 ただ、それでも、いかにソフトを手にとって貰うか、いかにゲームを快適に遊んでもらうか、という点に新納さんが力を込めているのは今も昔も全く変わりがありません。自分が新納さんの言葉に説得力を感じるのは、その姿勢が首尾一貫していることも一因としてあるのかなと思います。




 まぁ、あとは先日述べた、7竜が世界で売れないと思う理由を絡めて2Dマップの話をもう少し書きたかったんですが、ちょっと話が広がりすぎるので、また機会があればそれも書きたいと思います。