世界樹の迷宮・その17(B25F)

アルケミスト♂ ウィバの日記

 オレ達の歩調に合わせて、つかず離れず一定の距離を保って追いかけてくる影。
 『敵対者』の存在に真っ先に気づいたのはジャドだった。

 「獣か? 毛皮か、或いは毛皮張りの靴で足音を消している。」

 以前、ジャドから聞いた話によると、一流の狩人は足音を耳で捉えるのではなく、空気を伝わる振動を肌で察知するのだという。嘘か真か容易には判別しがたい話だが、今までの経験からすると確かにジャドは自分にはないある種の感覚を利して魔物の気配を察知しているように思える。

 「随分な敵意を発散している。迂闊に近づくと血を見るな。」

 本人の談によれば、アリスベルガの戦場経験は微々たるものだそうだが、それでも戦場で培ったのだろう、魔物の敵意と言うか、生物の意思を敏感に察知する技術に彼女は長けている。やはりこれも自分には縁遠い感覚だ。

 「そうですね、早く動いたほうがよさそうです。」

 二人の推論に頷くリーダーも、詩楽を生業としているせいか、聴覚はおしなべて鋭い。リーダーの話によると壁を隔てて向こう側の魔物の息遣いさえわかる、ということらしいが、どうもリーダーの話はイマイチ信憑性が薄い。人徳の差だろうか。
 
 そんな超能力者のような3人の会話をオレとルーノはまるで他人事のようにボーっと眺めている。
 本棚と実験器具に囲まれて完結する冬場の観葉植物のような生活を送っているオレ達とは、この3人は見えている世界そのものが違うのだろう。

 「橋を渡って東の棟へ逃げましょう。」

 しばしの議論を経て結論が出た。
 オレ達は知らぬ間に『敵対者』の縄張りに足を踏み込んでしまっていたのかもしれない。
 縄張り意識の強い『敵対者』の場合、こちらにフィールドを荒らす意思がないことを示すと途端に興味を失う場合がままある。
 その可能性を考慮に入れ、オレ達は『敵対者』から距離を取ることを選択した。




 「……ダメだな。あくまで奴さんのお気に入りはオレ達らしい。」

 橋を渡り終え、物陰に身を隠したところでジャドが舌打ちする。

 「どうする? 一戦交えるだけの余力は残されていると思うが。」
 「出来ればもう少し探索に時間と労力を注ぎたいですね。」

 正直な話、『敵対者』の存在は今のオレ達にとってさほどの脅威ではない。
 問題は永遠に続くのではないかと思われるこの鋼鉄の回廊だ。
 今までの階層とは異なる長大な迷宮と、そこに根付く魔物たちは緩やかに、しかし確実にオレ達の気力と体力を奪いつつある。
 かくいうオレも体力の限界が近い。
 錬金術を起動できるのはもってあと1、2回が限度だろう。

 「ウィバ、あなたは?」

 リーダーの問いかけと共に仲間の視線が集う。
 この階層の魔物の苛烈な攻撃に対して被害を出すことなく対処できるのは、徒に誇るワケではないが錬金術をおいて他にない。
 『敵対者』の存在が明確になる以前から、リーダーは撤退のタイミングを窺っているようだったが、どうやらオレの余力はその指針に定められたようだった。

 「もって1、2回かな。ただ……」

 先ほどの軽い疾走で無様にも悲鳴を上げる心肺を宥めつつオレは答える。

 「魔物の不意打ちに乗じて『敵対者』に乱入されたら厄介だ。危険を避けるためにも余力があるうちにこちらから打って出るべきだと思う。」
 「……わかりました。そうしましょう。」

 リーダーは頷くと軽く右手を上げて仲間に合図を送る。
 オレ達は物音を立てないように息を潜めてフォーメーションを組み、追跡者の襲撃に備える。
 やがて、俺の耳にもハッキリとわかる獣の足音が曲がり角の向こうに響いた瞬間、オレ達は一斉に飛び出した。

 「な、なんだこりゃ……!?」
 「『敵対者』じゃなくて、ウサギ……!?」

 追跡者に渾身の一撃を加えんと踊り出たオレ達を待ち受けていたのは、恐らくは迷宮に適応したのであろう、保護色と思われる青い毛皮に身を包んだウサギの一群だった。

 「『首狩りウサギ』か……!?」

 可愛らしい外見とは裏腹に、脅威の跳躍力と鋭利な前歯で冒険者の素っ首を叩き落す首狩りウサギは、この迷宮を居として広範に生息している。
 この意外な敵の出現に、強敵との戦いを予期していたオレ達は、毒気を抜かれ、肩が落ちるような脱力感を覚えた。
 だがしかし、その瞬間にオレはこの『敵対者』の真意に思い至ったのだ。

 「みんな、油断するな! こいつらこそオレ達を追っていた『敵対者』だ!」

 廊下一杯に響き渡る声に、皆は解けかけていた緊張感を取り戻さんとして身構えた。
 首狩りウサギを前にして皆はいつでも攻撃に移れる体勢を取ってはいたが、しかし懐疑的な視線をオレにちらちらと送り続ける。

 「しかし、こんな『敵対者』は……!」

 見たことも聞いたこともない。それは確かだ。
 しかし重要なのは、それはオレ達の固定観念に過ぎないということだ。

 『敵対者』が単独の個体であること。
 『敵対者』が既知の魔物と異なること。

 これらは長い冒険を経て、オレ達が会得してきた知識と経験だが、しかしそれは常に絶対ではない。
 むしろその心理の間隙をついてオレ達を亡き者にせんとする『敵対者』がいてもおかしくはない。
 そう、ここは迷宮の最奥たる第5層。
 外見から、生態から、常識から、全てをもって冒険者を欺こうとする狡猾な『敵対者』がいるのはむしろ必然とさえ言える。

 「だけど、そんな……!」

 常識が理解を阻むのだろう、皆は明らかに腑に落ちない表情を浮かべていた。

 「重要なのは、生き延びることだ!」

 例えこの推論が誤りだったとしても、徒党を組んだ首狩りウサギが脅威であることには変わりない。
 『敵対者』だから力を尽くす。あるいは『敵対者』ではないから力を残す。そんな考え方自体が極めて危険なのだ。

 依然踏ん切りのつかない仲間達を尻目にオレは詠唱を開始した。
 もし、魔物を一掃できればよし、できなかったとしたら、そのときは……
 オレは体の片隅に残る最後の力を振り絞り、詠唱を完成させた。

 「みんな、あとは頼んだ!」

 突き出した手甲から凝縮された炎の塊が撃ち出される。やがてその塊は魔物たちに辿り着くと、巨大な猛禽類が翼を広げるようにゆっくりと我が身を開放し、耳を劈くような爆音とともに床面と壁面と天井とを目掛けて拡散し、回廊を舐め尽くす。
 塵芥も残さぬほどの強烈な爆発。この猛火の渦に包まれて生き残る者はいないハズだった。



 「……ウィバ、危ない!」

 今や回廊を埋め尽くす黒煙の暗幕を突き破って黒い物体が猛烈な勢いで突進してきた。
 巨大な質量を乗せて繰り出された右腕の一撃を腹に受けて、臓腑が消し飛ぶような衝撃が走る。
 壁に叩きつけられたオレの前に屹立する魔物。それは……

 「こっちが『敵対者』だったのか……!」

 『魂の裁断者』と呼ばれる『敵対者』がそこにいた。





 前回に引き続き、裏読みすぎネタです。これは第5層を歩いていた時に実際あった話で、FOEにぶつかったと思ったら出てきたのが首狩りウサギ*5。その時、私は首狩りウサギ*5の編成を初めて見たこともあって、上記のような勘違いをしたワケです。まぁ、ちゃんとマップを見てればFOEとぶつかったんじゃなくてただのランダムエンカウントだったって分かったんですけどね。

 「え、まかさこいつらがFOE!?」
 「いや、元ネタのボーパルバニーは外見で冒険者を油断させて首をはねるモンスターだ! これはWizフリークの開発者のオマージュなんだ!」
 「それによく考えてみろ! 群体のFOEなんていかにもありそうじゃないか! というか今まで出てこなかったのがおかしい!」
 「そう言えばウサギは寂しいと死んじゃう生き物だしな! 群体であってしかるべきなんだ!」
 「そう言えば依頼に出てくる固定モンスターは同じ外見でも能力が強化されてたな! こいつらもそうなのかも!」
 「きっと容量不足で新規にモンスターを書き下ろせなかったに違いない! 群体ならグラを使いまわせて一石二鳥だ!」
 「開発者は『殺すつもりで行く』って言ってたしな。恐らく今までのFOE(熊)はプレイヤーを油断させる為の囮なんだろう!」
 「さすがアトラス! 油断して攻撃していたら今頃きっと全滅してたに違いない!」

 とか脳内妄想がどんどん激化してヒートアップ。脳内シミュレートの結果、進退窮まっている状況であると判断した私はブースト大爆炎の術式で首狩りウサギが一掃されていくのをポカーンと見送ったのでした。
 まぁ、なんというか延々と迷宮を探索し続けていたので疲れていたんだと思います。第5層は「1時間も探索続けたら疲れますよ」という新納さんの言葉が初めて実感として理解できた階だったしなぁ。

 ともあれ、次回作があったらこんな感じでプレイヤーの虚をつくようなFOEがいたら嫌らしくてよいのでは、と思ったりもします。まぁ、でもこんなモンスターに全滅させられたりすると加藤さんのいうところの理不尽な殺され方っぽい気もするので、微妙かもしれませんね。よく注意すると元のモンスターとは違うのがわかる、って感じがいいのかな。角付きザクと角なしザクみたいな。
 あるいは町の人から噂話的に事前情報を入手できたりね。
 「第5層に棲息するキングスライム用のスライムは普通のスライムより強いから気をつけろ」みたいな。