世界樹の迷宮・その22(B26F)

パラディン♀ アリスベルガの日記


 第6層に入ってからというもの、ルーノの様子が少々おかしい。
 始終、落ち着きなく周囲を見渡しているばかりか、まるで患者に大病を宣告する医者のように沈鬱な表情を浮かべている。溜息も多い。
 一体なにがあったのだろうか?


 確かにこの階層は他の階層とはまるで異なる雰囲気に包まれている。
 今までの階層が言わば清冽な、透明感に満ちた大気を纏っていたのに対し、この階層は過剰なまでの生命の波動を発している。
 つまり自己以外の生命の存在を許さない、強烈なまでの自己主張に溢れている、ということだ。


 第5層、『王』の玉座から続く階段に足を踏み入れたとき、私達の足を止めたのは階下から漏れ出す臭気だった。
 獣とは違う、人間に近い、しかしどこか不完全な、血の匂い。
 ウィバは「羊水のようだ」とこの匂いを評していた。
 階下から漏れ出す異様な臭気に、冒険者の、いや、人間の本能が警告を告げるが、それでも私達は勇を奮って足を踏み出す。
 階段を降りた私達が目にしたものは、壁面から床面に至るまで黒ずんだ赤一色の光景だった。
 絶え間なく蠕動する壁面は人間の臓器を連想させ、一時あらば収縮し、私達を飲み込んでしまうのではないかと錯覚させる。
 原生動物のような不規則さで蠢く床の感触と水音は靴を通して肌に伝わり、私達は堅固な足場を得る為に絶え間ない注意を必要とした。
 天井が低く、風が吹くこともないせいか、空気は重く、暑苦しい。全身を締め上げるような圧迫感が私達を苛む。


 この階層は私達の五感を不快に刺激する。
 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。全てに訴えかけて私達を排除しようと試みている。
 まるで意思があるかのように私達を拒絶しているのだ。
 彼女がそんな迷宮の『悪意』に過敏に反応したとしても、それは不思議な話ではない。


 ふと私は思い出す。そう、考えてみれば彼女は元々病弱な子だったのだ。


 小さい頃の彼女は肺を患っており、療養の為に山間の保養地で幼少期を過ごしていたのだ。
 今でこそ衛生官として腕を振るっている彼女だが、体幹は必ずしも頑健とは言いがたい。
 そんな彼女がこの階層の放つ毒気に当てられてしまったとしても、それは決して不思議な話ではない。
 私は意を決し、彼女の傍に寄り、そっと話しかける。


 「どうしたのだ、ルーノ。どうも具合が悪いようだが?」
 「いえ、そんなことはありませんわ。」


 ご心配をおかけしたのでしたら申し訳ありません、と彼女は謝る。
 彼女の言葉には強がる様子も嘘をつく様子も微塵に感じられない。
 しかしただの勘違いと片付けるにはどうにも奇妙すぎる。意地も手伝って、私は更に彼女を詰問する。


 「いえ、体調が悪いのではないのです。ただ、壁が……」
 「壁が?」
 「はい、あの壁を見てると、どうしても腹膜炎に見えてしまうのですわ。」
 「は?」
 「腹膜炎です。小腸の病気。だから、メスを入れたくなってしまって……」


 ……どうやら彼女にとって第6層の壁は『腸壁』に見えるらしい。それも重度の病症の。
 彼女は癒着性腹膜炎の特徴と詳細を訥々と述べると、早急な治療と処置、生活習慣の改善が必要であることを私に熱心に訴えかけ、或いはそれらが為されない場合、命に関わる大病を誘引しかねないと宣言した(『迷宮が死んでしまう』ということだろうか?)。
 その後、彼女は癒着性腹膜炎と結核性腹膜炎の違いについて解説を始め、不規則な生活習慣がもたらす腸への悪影響について小一時間ほど持論を披瀝した。その間、私は脳を素通りしていく専門用語の羅列に、まるで場違いの講座に紛れ込んだ学生のようにただただ生返事を続けていたのだ。


 ふと私は思い出す。そう、考えてみれば彼女は元々変な子だったのだ……




 世界樹のダンジョンは従来の3DダンジョンRPGと比べると随分明るくて開放的なんですよね。で、明るさと開放感を基調に生命力の濃淡を入れて各層を調節している感じ。
 ダンジョンを構成するイメージのX軸に「明るさ、開放感」、Y軸に「生命力」を取るとすると、世界樹のダンジョンは大抵が第1象限に来ます(座標平面でいうところの右上の部分です)。
 で、階層を経るごとに生命力が失われていくので段々とポイントは右下に推移していきます。
 逆に従来のダンジョンRPGでは世界樹と点対称の左下にポイントされることになるんですが、第6層のダンジョンは今までの推移を全く無視してこの左下のスペースにすっ飛んでしまうんですね。第6層に初めて到達した時は、このギャップというか、ふっ飛ばし方に意表を突かれて「おお、まるで3DダンジョンRPGみたいだ!」みたいな感動を覚えましたね。


 まぁ、考えてみれば世界樹で『らしいダンジョン』ってこれが初めてだったんですよね。
 ただ、『らしいダンジョン』ってそれだけでライトユーザからは敬遠されると思うんです。私も小学生の頃はWizって怖いRPGって印象がありましたし。
 なので世界樹では各層の雰囲気に特別に注意を払っています。ライトユーザを引き込みやすくするために、おどろおどろしい雰囲気をなるべく削ぐようにグラフィックを作っています。その辺が世界樹の白眉な点と言うか、名作と呼ぶにふさわしい心遣いが如実に現れている部分なんですよね。


 かつてドラクエの堀井さんがドラゴンクエストを作った際、RPG未経験のプレイヤーをゲームに引き込む為に、ダンジョンの通路のマップチップの幅を2マスにしたという逸話があります。
 基本的にRPGの通路はキャラクターさえ通れればいいので1マスで事足りるんです。世界樹もそうなってますしね。ただ、1マスの通路を歩くとき、プレイヤーはどうしても圧迫感を感じるんですね。それがRPGに対する食わず嫌いに結びつくと考えた堀井さんは通路の幅を広げることで開放感を生み出し、今までにないライトな感覚のダンジョンを作りあげたのです。*1


 世界樹のダンジョンの基本思想はドラクエと同じなんですよね。今までプレイヤーが未経験だったものに対して、敷居を下げる為に様々な工夫を凝らして入り口を広くするという。
 実際、世界樹が3DダンジョンRPG初プレイってプレイヤーも多かったと思うんですよ。でもそういうプレイヤーから2Dの方がよかったって声を私は聞いたことがありません。
 まぁ、世界樹の場合はマップが完備されているので、2Dに近い3Dダンジョンではあるんですが、それでもプレイヤーから3Dダンジョンって難しいからイヤ、みたいな声が挙がらないのは凄いことだと思うんですよね。前代未聞なんじゃないかと思います。
 かと言ってじゃあ3Dを使う意味がないのかと言えばそれは違います。自分で一歩一歩マップを埋めていかないとゴールに辿り着けない手探り感は3DダンジョンRPGでこそ為し得る醍醐味です。
 そういう意味で世界樹の掲げる3DダンジョンRPG再生計画はまさに大当たりというか、いい手応えだったと思います。実際、私もこれほどに3DダンジョンRPGが面白いとは思ってませんでしたしね。
 それだけに世界樹の提示した現代風の3DダンジョンRPGというのは一つのエポックメイキングであると私は思っているんですが、さてさて、ゲーム業界に打ち込まれたこの点を線にして繋げてくれるメーカーが今後出てきてくれるんでしょうかね。出てきて欲しいなぁ。

*1:ただ、通路2マスのダンジョンはひょっとしたらウルティマが元祖かもしれません。その辺は調査不足で申し訳ないです。