世界樹の迷宮・その25前編(3竜撃破)

ダークハンター♂ ジャドの日記


 オレは待っていた。
 回廊に繁茂する足高の植物の陰に身を隠してから、どれだけの時間が過ぎただろうか。無遠慮に頭にたかる羽虫の多さに相変わらず閉口させられるが、追い払うための労力も尽きた今では彼らのなすがままにさせている。
 まるで好転しない現状に焦燥感を覚えつつ、しかし今の自分にはただ徒に時間を費やすことしかできない。
 不安を押し殺そうと唇を噛み締めているガキどもの忍耐力は限界に近い。連中が暴発する前に事態を打開しなければならない。だが……
 くそっ、なんで『ヤツ』は動こうとしないんだ!
 このまま飛び込めばやられる。なんとか隙を突いて死角に潜り込まなければならない。
 じっと、じっと、じっと、オレはその瞬間を待ち続けていた……




 「ボーイスカウトの引率かよ? オレのガラじゃねぇな。」
 「ああ、私もそう思う。」


 アリスベルガはオレの皮肉を正面から肯定する。全く不愉快な話だ。「そこをなんとか……」とか愛嬌の一つも見せやがれ。
 自分の褒められない性格を改めて自覚させられて、眉目が釣り上がるのを感じる。
 その様子を見て取ってか慌ててリーダーがオレ達の間に割って入った。


 「お願いしますよ。頼りになるのはジャドだけなんですから。」
 「ん〜、そうだな……」


 下手に出られるとやはり悪い気はしない。まったくリーダーの爪の垢でもこの女には煎じて飲ませたいものだ。


 さて、オレにとっては全く不本意な用件ではあるが、それも裏を返せば信頼の現れなのだろう。気の向かない話であっても、寄せられた信頼には応えたいと思うのが人情ではある。
 第一、放たれた白羽の矢を避けたとして、それは一体誰に突き刺さるのだろうか。他に当てがないというリーダーの言葉は恐らく事実で、例えここでオレが拒否したとしてもリーダーはオレが首を縦に振るまで懇願を続けることだろう。つまり逃げようがない。
 結局のところ、「オレが力になってやらなきゃダメだな」と思わせてしまうのが、この男の得な性分なのだ。頼りないからこそ支えなければならないと思わせる、一種の庇護欲を掻き立てる相手と言うか、まぁ、疲れる相手ではある。
 やれやれ、仕方ない。オレは溜息をつくと口を開いた。


 「……そうだな、偶にはリーダーの顔を立ててやらなきゃな。オッケー、引き受けたぜ。」
 「本当ですか! いやぁ、助かりましたよ。」


 握手を求めるリーダーの右手をガッチリと握り締めるとリーダーの肩越しにアリスベルガの不満げな表情が目に入る。
 晴れやかなリーダーの表情とはまるで対照的だ。


 「フン、あれだけ渋っておいてリーダーの言葉には随分と素直なのだな。」
 「ま、人徳の差ってヤツだわ。」




 若手冒険者を率いての素材の収集。それがオレに任された依頼だった。
 最初に概要を聞かされた時は「それぐらい自力でやれ!」と憤慨したものだが、話を詳しく聞くとどうやら一言に切り捨てるには忍びない状況だと飲み込めた。


 問題の若手は第1層を先日突破した、オレ達が呼ぶところの『篩に残った冒険者』だ。小さな砂粒は闇に消え、大きな砂礫だけが篩に残る。しかし奴らが金なのか石ころなのかを確かめるにはさらなる選別が必要だろう。
 第2層に辿り着いた連中がまず体験したのは、第一層とは比べ物にならないほどの苛烈な魔物たちの攻勢だった。
 確かにあの階は自分に自信がついてきたその矢先に鼻っ柱を叩き折られる場所なのだ。オレも当時の苦い経験を思い出すとつい舌打ちをしてしまう。
 初めはなんとか自力で苦境を乗り切ろうと奮闘していた連中だが、度重なる負傷の連続に治療費も底を尽き、今では宿代さえ覚束ない有様らしい。更にはパーティの主戦力である聖騎士も負傷で倒れ、今では陣形を保つことさえ難しいのだとか。
 そこまで追い詰められる前に何かしら手の打ちようはあっただろうに、と思いもするのだが、困難に真正面からぶつかっていくのは……まぁ、それも若さゆえの特権さか。
 無知ゆえの無謀さも後で笑い話になることもある。むしろ生き永らえたことを喜ぶべきなのだろう。
 ともあれ冒険稼業最大の危機を迎えた連中は、金鹿の酒場で世界の終わりを待つような苦い表情で酒を呷っていた。それを見かねた女主人がリーダーに話を持ちかけたのが今回の話の発端というワケだ。




 夜が明けるとオレは若手連中とティークラブで落ち合った。第1層を突破したと聞いていたのだが、それにしては初々しさの残るガキどもで、どうにも雰囲気が軽すぎる。まるで修辞学校に通う金満家の子息どもだ。或いは療養中の聖騎士がこのパーティの引率で、今はカウンターパートが未機能な状態なのかもしれない。
 多少の不安を覚えつつ、オレ達は打合せを終えると早速樹海地軸から『原始ノ大密林』へ降り立った。


 この『原始ノ大密林』を歩いていると、当時のことを思い出す。あの頃はオレ達も連中と同じ、ようやく初心者を脱することのできた若い冒険者の一群に過ぎなかった。
 あの頃は随分と苦労したが、見るもの全てが刺激的だった。襲い来る敵を何とか退け、青息吐息で街まで帰り、新しい装備を揃えてまた迷宮に潜る。
 力を蓄えれば今度は『敵対者』に挑戦し、打ち勝つことで更に自らの力量を高め、更なる深層へ足を伸ばす。時には迷宮の王者に君臨したかのような錯覚にさえ囚われた。まぁ、そんな傲慢さも密林を居城とする飛竜によってあっさりと打ち砕かれたのだが……
 人知れず郷愁に囚われながら、オレはゆっくりと密林を歩く。偶には昔の思い出に浸るのも悪くない。


 さて、今回のオレの役割は詰まるところ戦闘要員だ。従って迷宮の探索に関する一切についてオレは連中に口出しをしなかった。分岐路の選択だとか、地図の作り方だとか、『敵対者』の行動パターンだとか、頭を使う必要のある全ての局面についてオレは判断を連中に委ねた。
 あくまでオレは臨時のゲストなのだ。教師でもなければ親でもない。冒険者として必要な知識と技術は自らの経験を以ってのみ身につけられるものだ。雛鳥どもには早いところ自分の足で歩けるようになって貰わなくては困る。
 当初はこちらの顔色を伺いながら歩を進めていた連中も、(オレの手を借りてではあるが)魔物との戦いに手応えを覚えてからはそれなりに自信を持った冒険者の顔つきで歩けるようになった。素材も次第に集まり始め、今やバックパックははちきれんばかりに膨れ上がっている。
 だが余裕が足取りを確かにすると、今度は足元の確認が疎かになりがちだ。樹海の深部まで歩を進めたオレ達はそこで初めて自らの失策に気がついた。


 「糸が……ありません。」


 衛生官の男が弱々しく声を絞り出す。……コイツは、あー、なんて名前だったかな。レモンだったかメロンだったか、確かそんな名前だった気がする。まぁ、覚えてないってことは大して重要じゃないってことだ。ま、この冒険限りの連れ合いだ。無理に思い出す必要もないだろう。


 「ちょっと、どうするのよ、それ……!?」


 声を荒げるのは重装備の女剣士。確かアーシュラ・デジレ・クレマンティーヌとかいう長ったらしい名前(苗字がまた長い)だったが、こっちは向こうの衛生官と違って名前の覚え甲斐があるイイ女だ。
 話は少々ズレるが、人の名前を覚えるってのは大事なことだ。名前を正しく記憶するってのは、言ってみればその人間の価値を認めるのと同義で、相手からしてみれば自分の重要度を計る尺度にもなる。特にこの手の覚え難い名前の持ち主はその手の感覚に敏感だ。より良い人間関係を築くためにはこうした極めて初歩的だが注意の必要な努力が必要とされる。
 さて、願わくば彼女とは冒険後も親交を深めたいものだが、その為には、そう、まずはこの迷宮を生きて抜け出なければならない。

 失策を否定しようと幾度も確認が行われ、失策を認めざるを得ないだけの根拠が出揃うと、いよいよ連中の顔が陰りを帯びた。絵に描いたようなパニック症状だ。
 迷宮を安全に脱出するための『アリアドネの糸』。冒険者にとって命の次に大切なアイテムを忘れるとは全く大した大物だ。もっとも、その可能性を見越して糸を持参しなかったオレも手落ちの謗りを免れないだろうが。
 さて、今から撤退を始めるとして果たして地軸まで余力が持つだろうか。既に長時間に渡ってオレ達は迷宮を徘徊しており、気力体力共に余裕はない。自分ひとりなら或いは無事帰還できるかも知れないが、この階層には眠りの粉を多用する厄介な魔物も潜んでいる。万一の可能性を考えると集団で動いたほうがやはり安全だ。


 「仕方ねぇな。ついて来い。」
 「え、一体どこへ……?」


 ここに来てオレはポリシーに拘り続けるのはさすがに危険だと判断した。衛生官の手からマップを奪い取るとオレは通路をまっすぐ歩き始める。後退するものと考えていた連中は慌ててオレの後に続く。
 もう少し歩けばこの先には隠し通路がある。それを利用すれば今来た道を戻るよりも遥かに短い経路で地軸に辿り着くことができる。一箇所だけ厄介な場所があるが、まぁ、それもどうにかなるだろう。
 残りわずかな力を振り絞り、オレ達は魔物を退けて進む。階段を上ったところでオレは歩みを止めた。


 「ジャドさん、どうしたんですか……?」
 「……伏せろ!」


 低く、しかし鋭く号令を下してオレは草むらに上体を沈める。遅れて連中もそれに倣う。鎧の擦れる金属音がやかましい。
 オレの視線は目の前に広がる大広間に向けられていた。そう、ここが例の『厄介な場所』だ。正確に言えばこの広間の主こそがオレ達の帰還を阻む最大の難敵なのだ。


 「ジャドさん、あれは一体……?」


 広間に座する主の存在に気づいたのだろう、衛生官が唾を飲む。
 薄暗い大広間の奥から時折不規則に響く鳴き声。その都度、回廊は振動し、ざわざわと樹葉が擦れる音が響く。不規則に吹き上がる炎に照らされて紅玉のように赤く煌く鱗が浮かび上がる。


 「あれな。ワイバーンだ。」
 「『飛竜の巣』……!」


 原始ノ大密林における最強の『敵対者』。それがこの飛竜の巣に住まうワイバーンだ。竜の眷族に相応しい巨大な体躯と凶暴な精神性を併せ持つ密林の暴君。
 たとえこの面子で戦いを挑んだとして、勝算は間違いなくゼロだろう。1%の余地すら思いつかない。
 鋼の鎧さえ容易く貫く爪と牙で獲物を捕らえ、背後に回ろうとする相手には丸太のような太く重い尻尾を振り回し、いざとなれば宙へ羽ばたき、上空から巨大な翼を利して旋風を巻き起こす。
 嵐のような暴虐振りを誇る飛竜の獰猛さはかつての薄暗い惨めな記憶と併せて今でも鮮明に思い出すことができる。
 そんな相手に抗するだけの武器も技術も今のオレ達は持ち合わせていない。


 「一体どうするつもりなんですか? まさか戦うつもりじゃ……」
 「それはねぇよ。……ヤツの隙を突いて突破する。ナリはデカイがその分死角も多い。コツさえ掴めば難しい話じゃない。」
 「でも、そんなことできるのかしら……?」
 「オレを信じろ。息を合わせるんだ。」


 弱音を零すアーシュラ・デジレ・クレマンティーヌを宥める。
 ワイバーンは確かに獰猛な『敵対者』で、巣に侵入した外敵を発見すると激しい闘争心を以って外敵の排除にかかる。しかし逆に言えば、巣に侵入したとしても、見つかりさえしなければワイバーンの足元をやすやすと潜り抜け、ついでにタマゴの一つも失敬することさえ可能だ。
 迷宮の中で絶対的な捕食者として君臨してきたこの怪物は、生命の危機に晒される機会が少ない分、外敵を察知する感覚に疎い。いくら凶暴と言えども所詮は空飛ぶトカゲ。人間の英知に匹敵するだけの脳味噌は持ち合わせていない。つまり、その一点がオレ達に唯一与えられたアドバンテージなのだ。


 「今はただ待つんだ。ヤツが隙を見せた瞬間、懐に飛び込む。」


 こうしてオレ達と飛竜の持久戦は静かに幕を開けた。




 えらい長くなってしまったのでとりあえずここで一区切り。