世界樹の迷宮・その25後編(3竜撃破)

ダークハンター♂ ジャドの日記


 「ジャドさん、いいですか?」


 まるで変化を見せない状況に集中力を削がれつつある中、クソ忌々しくも声をかけて来たのは件の衛生官だった。
 オレは内心の焦りを隠しつつ、心の中で5秒数えてから衛生官へ視線を転ずる。


 「なんだ? どうした?」


 怒気が漏れ出したのだろうか、衛生官の口端が引き攣る。いかんいかん、落ち着けよ、オレ。


 「このままじゃ埒があきませんよ。相手の出方を窺うためにも一度打って出るべきじゃないかと思うんですが。」


 やれやれ、遂に来ちまったか。
 膠着が続けば強行策を推す声が挙がることは予期できていた。
 事態の解決にはさほどの時間を要すまいとオレは考えていたのだが、どうやらそれは楽観的過ぎる予測だったらしい。


 「何をバカなことを……」
 「僕は真面目ですよ。」


 いちいち反駁する気にもなれず、オレは膝立ちになると服についた土を払い落とす。
 今や持久戦の限界が来たことをオレは認めなければならない。その上で次の手を打つ必要がある。


 「戻るぞ。」
 「……え?」
 「さっき来た道を戻るんだ。」
 「そんな……!」


 隠し通路を使ったショートカットが失策に終わった今、次善の手は来た道を(バカ正直にではあるが)戻ることだけだ。
 行路は長く、敵襲も避けられないだろうが、少なくともワイバーンと矛を交えるよりは生存の可能性を見出せる。
 無様に逃げ回ればなんとか生還の目もあるだろう。


 「……僕は反対です。」
 「気の進まないことはわかるけどよ。それしか方法はない。」


 この衛生官の気持ちも分からなくはない。
 この広間さえ抜けてしまえば上の階に続く階段まであとわずかなのだ。寄り道すれば回復の泉だってある。
 手を伸ばせばゴールを切れるところまで来て、それが折り返し地点に過ぎないと宣告されれば誰しも憤然とする。ましてや疲労困憊の状況で迷宮を歩き回るのは肉体的にも精神的にも苦痛以外の何物でもない。
 だが、蛮勇を奮って飛竜と対峙したとして、足元を潜り抜けられなければ即アウトだ。
 何よりヤツは一度見つけた獲物を易々と逃がしてくれるほど甘い相手ではない。


 「この冒険は僕たちの冒険です……! 僕たちが行動を決定する……!」
 「……まぁ、落ち着けよ。」


 確かに冒険に関する判断をオレは連中に逐一任せてきた。しかしそれは自分の命を秤に乗せていないからこそできた話だ。一瞬の判断ミスが集団の生死に直接関わる現状とは根本的に状況が異なる。
 オレのいないところで好き勝手やってくれる分には構わないが、流石に目の前で死なれるのはカンベンだ。お前ら勝手に死ね、と言い放てるほどにオレは冷徹にはなれない。僅かな時間とは言え一緒につるんできた連中だ。昔の自分を重ねる部分もあれば、それなりに情も沸く。
 あの日、オレ達は一敗地に塗れてエトリアの街へ帰還した。幸いにして誰もが命を落とすことなく生還することができたが、冒険者としての自らの資質を疑問視せざるを得ないほどにオレ達は矜持を傷つけられていた。
 ワイバーンに敗れたのは要するに力が足りなかっただけの話だ。問題は、彼我の力量差を省みることなく飛び込んでいった自らの無知さ、無謀さ加減にある。


 冷静であれ。狡猾であれ。臆病であれ。身命こそ冒険者の唯一の資産である。命を投げ打つ冒険者に成功などない……
 あの当時、金鹿の酒場にたむろする先輩冒険者から耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
 その言葉に逆らってオレ達は危うく命を落としかけた。そして今、オレ達の轍を踏もうとしている連中を見過ごすワケにはいかない。


 「いえ、ジャドさんこそ落ち着いてください。……いや、ジャドさんを責めようってんじゃありません。ジャドさんに頼りすぎていた自分達にこそ責があります。」
 「何を言ってんだよ、オマエ……」


 衛生官の言葉は支離滅裂で全く何を言わんとしているのか理解できない。とは言え、目から理性の光が失われているワケではないのだ。
 万歳突撃とは違う、何か生還に繋げる秘策があるのか?
 それとも、ただ単純に腹を括っただけなだろうのか?


 「ジャドさん、僕達はまだまだ素人です。あなた方から見れば赤ん坊に過ぎません。」
 「ああ、そうだ。お前達はてめぇの尻に殻をくっつけてピヨピヨ鳴いてるヒヨコだよ。」
 「だけど、だからと言って自分達の命を他人に預けきってはいけないと思うんです。」
 「結構な心意気だ。だけど今はオレを信じろ。オレの判断に従ってくれ。」
 「僕はジャドさんを信じていますよ。僕達を助けてくれたあなたを信じています。だから……」
 「お前、何を……」
 「……僕は自分で自分の命の使い道を決めます。あなたに報いる為にも……!」
 「バカ、やめろっ!」


 その瞬間、オレは反射的に衛生官の襟首に手を伸ばしたが、素早く踵を返したヤツを捉えることはできず、オレの手は空しく宙を掻いた。
 制止の声を振り切るとヤツは一直線に大広間に向かって駆け出した。あの飛竜の待つ処刑台へ。


 なんてこった。衛生官の、あのバカの、アイツの意図が今ようやく掴めた。
 目の前に飛び出してきた獲物を決して飛竜は逃すまい。アイツは自らを囮として、その隙にオレ達に逃げろと言っているんだ。自分が犠牲になることでパーティを救おうとしているんだ。
 バカだ! なんてバカなんだ! 確かにそれでオレ達は難を逃れることが出来るかもしれない。だが、それはオレの望んだ結末じゃない。全員が無事エトリアに戻らなければ何の意味もない。一人に過分に犠牲を強いて、それで残った人間が納得できるものか。



 オレは大きく息を吸い込んで、アイツの名前を叫ぼうとして、そして、何も言えずに歯噛みする。
 アイツの名前をオレは知らない。アイツの名前をオレは呼べない。
 くそったれ……っ!



 「お前たちは逃げろ! オレはヤツを助ける!」


 残った連中に指示を飛ばすとオレは鞭を握り締めて広間に飛び込んだ。
 勝算がないだとか、余力がないだとか、そんな繰言を言ってられる状況じゃない。
 足か? それとも腕か? 縛るならどっちだ? 可能性は限りなく低い。それでもオレの鞭ならば突破口を開けるかもしれない。あの飛竜の攻撃を読み切って、その寸前に四肢を封じる。縛れなかったら? ……考えたくもないね!
 戦うしかない。退路を封じられたのならば選択肢はただ一つだ。迷う必要がないんだ。へっ、簡単な話じゃねぇか。


 広間に飛び込んだオレの目に映ったのは巨岩のようにゴツゴツとした4本の足で屹立する『敵対者』の姿。そして迷宮の主と1対1で向かい合う衛生官の後姿だった。
 燃え盛る松明のように爛々と輝く双眸に居竦まれたのか、衛生官は微動だにしない。そして『敵対者』もまた一切の動きを見せることがない。その身に雷を蓄える黒雲にも似た低い唸り声を上げ、侵入者を観察し続けている。余裕を見せているのか。それとも獲物の足掻く様子を見守っているのか。……いや、違う。これは……


 「ジャドさん……」


 足音に気づいたのだろう、衛生官がぎこちなくこちらを振り返る。


 「ジャドさん、やっぱりそうでしたよ。僕の予想は正しかった。」
 「お前、一体何を……」


 竜の『敵対者』に注意を払いつつ、オレは衛生官の傍に駆け寄る。幸いにも外傷はないようだ。取りあえず最悪の事態だけは免れたらしくオレは胸を撫で下ろす。それにしても……


 「ジャドさん、この『敵対者』はワイバーンなんかじゃありませんよ。」
 「ああ…… そうだ。そうだな……」



 「ええ、この『敵対者』こそ伝説にその名を轟かす『偉大なる赤竜』です……!」



 威風堂々とその身をオレ達の前に曝け出しているこの『敵対者』こそ、その強大なる力ゆえに迷宮に縛られた存在、3匹の魔竜の1頭である『偉大なる赤竜』だったのだ。
 そう、元々この大広間はこの『偉大なる赤竜』の住処だった。しかし『偉大なる赤竜』の力を恐れたある男がこの竜の力を封印したため、この広間の主はワイバーンに取って代わられた。
 しかし、先日オレの仲間達がワイバーンを大広間から追い出し、『偉大なる赤竜』を束縛する封印を解いたことで大広間にはかつての主が舞い戻ったのだ。
 それを失念していたオレはすっかりこの『敵対者』をワイバーンだと思い込み、その視線が逸れる瞬間を延々と待ち続けていたというワケだ。
 しかし衛生官はなんらかの推察でこの大広間の主の正体を見破った。そしてその推察が確信に至ったからこそ、あの無謀とも思える行動に打って出ることができたのだ。
 そう、あれは英雄の自己犠牲などではなかった。生存欲と理性に基づいた冒険者の勇気ある行動だったのだ。


 オレは『偉大なる赤竜』の姿を見上げる。はちきれんばかりに盛り上がった四肢。大型帆船に匹敵する巨大な体躯と比較して余りに小さな頭部は、しかし見る者を心胆から寒からしめる悪鬼の如き双眸と山羊のように折れ曲がった大角に飾られている。全身を火山岩を思わせる赤い鱗に包まれ、大きく広げられた皮膜翼はまるで神に戦いを挑む悪魔のようだ。そしてこの巨翼こそ、この竜が竜の亜種ではない、純血の竜たるを示す何よりの証拠だった。
 しかし『偉大なる赤竜』はオレ達に対してなんら積極的な興味を示していない様子だった。隊列を整えて地面を這い回る蟻に対してオレ達が敵愾心を抱かないのと同様に、『偉大なる赤竜』もまた矮小な人間に暇潰しの観察対象以上の価値を見出していないようだった。トカゲの亜種に過ぎない竜の眷属と比べると、古代から生き続ける純血の竜は神に近しい存在ですらある。その知能は老練な賢者を凌ぎ、時には人語さえ解する者さえいるという。
 ここでオレ達が剣を振るって攻撃を仕掛けたりしない限り、オレ達は『偉大なる赤竜』に敵対者と見なされることはない。背後に回って切りつけることさえ可能だ。しかし、それでもこの竜が動じることはないだろう。それだけ人間と竜には力量差がある。背後を敢えて覗かせているのも、この王者の矜持の現れなのだ。


 「それにしても……なんでワイバーンじゃないって分かったんだ?」


 ようやく事態を飲み込めた俺は、疑問を口にする。
 この衛生官は確信があったからこそ、この大広間に飛び込めたのだ。自分の命が失われる可能性は低い。そう判断して。
 では、その判断を支えた根拠とは一体なんなのだろうか。


 「だって、ワイバーンは火を吹かないじゃないですか。」
 「あ……」


 聞いてみればなんでもない、単純明快な解答だった。
 ……そうだ、ワイバーンは炎を吹かない。竜の最大の武器である『吐息』の攻撃はワイバーンのような竜の亜種は持ち合わせていないのだ。
 暗闇から時折見えた吹き上がる炎。あれこそが『偉大なる赤竜』の存在を教える導きの灯火だったのだ。


 オレは自分の心が重く暗く染まっていくのを感じていた。
 ああ、そうか、オレはこの大広間で受けた屈辱的な記憶に未だ縛られ続けていたのだ。
 迷宮を踏破し、真の冒険者の称号を手に入れた今でさえなお。
 オレは自らの記憶に縛られ、目前の相手の姿さえ見失っていた。自らの判断をこそ上善とし、それ以外の全てを切り捨てていた。
 なんてバカげた増長慢なんだ。
 気づいてみればオレは若い連中を守るどころか、錆びた判断力で危険に晒していたのだ。なぜか?
 そう、彼らを仲間と見なしていなかったからだ……!


 やがてパーティの他のメンバーも続々と広間に集まる。皆、恐々と『偉大なる赤竜』を見上げている。


 「無事でよかった……!」


 アーシュラ・デジレ・クレマンティーヌが衛生官に抱きつく。鎧の重さも相まってか非力な衛生官は危うく膝が折れかける。
 それをオレは後ろから支えてやり、一つ溜息をついた。
 ……やれやれ、全部持っていかれちまったな。


 「ジャドさん、ありがとうございました。」


 泣きじゃくる女剣士をなんとか宥めた後、衛生官はオレに向き直ってそう言った。


 「いや、礼を言われる筋合いはねぇよ。オレはただビビってただけだ。」


 あの飛竜の幻想に、と心の中で呟く。


 「それでも、ジャドさんがいなければ僕達は隠し通路を見つけることもできなかったんです。」
 「そうかもな。でもお前たちなら何とか危地を脱したと思うぜ。」


 経験もない。周到さもない。しかし、コイツらには勇気がある。
 考えてみればオレ達だって昔は生存術もロクに知らなかった。全く褒められたものじゃないが、無謀さと紙一重の勇気を武器にただただ迷宮を歩き続けたんだ。
 冷静であれ。狡猾であれ。臆病であれ。身命こそ冒険者の唯一の資産である。命を投げ打つ冒険者に成功などない……
 しかし同時に冒険者はその名の通り、険しきを冒す者なのだ。危険を承知でなお前に進むことを躊躇うのならば、冒険者として生きる道を選んだ意味がない。
 優秀な冒険者とはすなわち勇気と臆病さのバランス感覚に優れた者なのだ。そして今日のオレは臆病に過ぎた。未熟だった頃の自分を思い出し、それに引きずられていたのだ。





 ベルダ広場でオレ達は別れの挨拶を交わす。療養中の聖騎士の回復を待っていずれまた挨拶に伺うと彼らは言った。
 最後になって、オレはようやく踏ん切りをつける。呆れられるかもしれない。失望されるかもしれない。しかし、ここで確かめなかったらオレは今後ずっと後悔し続けるだろう。アイツを騙し続けていたことに。


 「なぁ……」


 乾ききった唇を舐めて、オレは衛生官に声を掛ける。


 「悪いんだが、お前の名前、もう一度聞かせてくれないか?」


 すると衛生官は一度訝しげに首をかしげて、しかしすぐに笑顔で答えた。


 「レゼンです。」






 ブシ+カメでB8Fの大広間に行ったらワイバーンが全然動かなくて困ったなぁ→実は赤竜でした! ってだけの話だったんですが、えらい分量に。なお、ダンジョンはフィクションです。帰り道だけ大広間を通るとかありえない。
 実のところ私はワイバーンは避けて進んだクチです。事前に情報を仕入れておいて敢えて避けると言う小賢しい真似を。結構多くの人が「やられたー」と言ってるカマキリとかゴーレムとかもそんな感じだったので、まぁ、ちょっと臆病に過ぎると言うか、冒険心が足りないプレイヤーだったような気もします。
 ただまぁ、ワイバーンを3ターンで倒すのは結構苦労した覚えがあるので、その辺は思い入れがあります。アルケミストがまるで役立たずでアルケミ好きの自分は泣く羽目に。この頃が一番アルケミストの辛い時期だったなぁ(世間の人気的に)。


 ポッドキャストで、FOEは基本的には初遭遇時には戦闘を避けて、あとで強くなってから打ちのめしてお宝ゲットみたいな感じで設定した、みたいな話がありましたが、そうしたFOEのコンセプトに一番合致していたのは実はワイバーンだったんじゃないかなぁと思います。
 カマキリは意外と力押しorスキルの工夫で倒しちゃう人が多かったり、ゴーレムは不意打ち感が強くてそもそも戦闘を回避しようって方向に頭がいかなかったりで、戦闘を能動的に回避する方向になかなか進みにくいような気がします。
 それに比べるとワイバーンは自身はグルグル回ってるだけで動きませんし、何より黒FOEで明らかにヤバいと分かる作り。しかも普通に第2層クリアレベルでも勝てない強さなので第2層クリア前に頑張ってレベルを上げてワイバーンを倒したって人はかなりの少数派なのではと思います。たまに頑張る人も見かけるんだけどワイバーンって経験値0なんだよね……
 そういう意味では非常に役どころの分かりやすい壁ボスではあるので、縛りプレイの目標としても面白いポジションにいるような気もします。ワイバーン攻略低レベルクリアプレイとか。
 縛りプレイは縛りプレイで面白いんですが、最後まで頑張れる組み合わせとなると結構限られてしまうような気もするので、手ごろな目標として、かつそれなりに達成感も味わえる相手として重宝しそうに思います。なんかやってみようかな。




 最近、スパロボをやってたので妙に感じるんですが、かつて若者と反目してたオヤジが丸くなると死亡フラグバリバリですよね。ダークハンターの今後に幸あれかし。