世界樹の迷宮・その28(B18F)

アルケミスト♂ ウィバの日記


 金鹿の酒場の片隅には住民から寄せられた冒険者への依頼書が掲示されている。女主人の手による流麗な書体で書き整えられた依頼書には依頼の概要と目的、報酬が簡潔に纏められている。
 もしここに気になる依頼があるのなら、依頼書を剥がしてカウンターを訪ねればいい。女主人が依頼の詳細と最適なアドバイスをくれるはずだ。ただし、経験に見合わぬ難題を持ち込めば、無謀さを諌められるのがオチだ。彼女は迷宮のあらゆる危険について何度も言い含め、最後には必ず依頼を取り下げさせる。
 母親のようなお節介さに鼻白むことも少なくないが、嘆息しながら代わりの手頃な依頼を紹介してくれるのが彼女の優しさでもある。ここまで親身な立場で冒険者に接してくれる人物はなかなかいない。冒険者への理解も彼女自身がかつて冒険者として迷宮に潜っていた過去があるためだとも言われているが、それも噂の域を出ることはない。
 第一、この町にはその手の『元冒険者』が腐るほどいる。多勢が大概にして無法者と変わらないことを思えば、彼女の人柄はやはり生来の気質に由来するものなのだろう。


 さて、掲示板に並ぶ依頼は冒険者にでもやらせればいい簡単な仕事か、冒険者しか引き受け手のいない危険な仕事か、どちらにしても割の悪い仕事ばかりだ。
 時々、陸に上がった『水辺の処刑者』が逃げそこなうくらいの確率で冒険者を正当に、或いは過剰に評価した依頼が張り出されることもあるが、その手のオイシイ依頼は腹を空かした犬達が餌鉢に貪りつくような勢いで持っていってしまう。
 この酒場のルールは常に早い者勝ち。機を伺えずに乗り遅れるようなノロマは迷宮に足を踏み入れるなということだ。
 その一方で女主人がコッソリと特定のパーティに依頼を斡旋することもある。一見して自由競争の公平性を損ねる振る舞いと言えなくもないが、この酒場に屯する連中は皆揃って彼女の温情に縋って糊口を凌いだ過去があるので見て見ぬ振りをしてエールを呷る。この酒場の『神の見えざる手』の持ち主は誰あろうあの女主人なのだ。


 「クソッタレ! 冒険者と兵士を履き違えてんじゃねぇよっ!」


 努力の甲斐なく彼の自制の箍は外れてしまったようだ。怒声と共に鞭のように伸びた右手が、掲示板にひしめく依頼書を縦に引き裂く。粗雑な手漉き紙でできた依頼書は見るも無残な姿で床に舞い落ちた。


 「落ち着けよ。怒鳴ったところでどうにもならない。」


 オレは顔を血気に染めた仲間を宥めつつ、ボロ切れになった依頼書を拾い上げる。確かにジャドの気持ちも理解できなくはない。この掲示板は冒険者と住民の窓口であるべきなのだ。しかし現状は……


 「随分と荒れてるわね。またフラれたの?」


 子気味よいリズムの足音と共に姿を現したのはこの酒場の女主人だった。


 「違ぇよ。冒険者が冒険を取り上げられりゃあ鬱憤も溜まろうってもんさ。当たり前だろ?」


 掲示板に貼られた依頼書はその多くが執政院の名で届出がされている。内容は多少の差異こそあれ、ほぼ同一の文面で占められている。
 曰く、モリビトと戦う勇気ある冒険者よ、来たれ……


 「オレ達は冒険者だぜ。モリビトと戦うために迷宮に潜ってるワケじゃない。」


 モリビトと呼ばれる迷宮の先住民の存在が詳らかになったのはつい最近のことだ。
 オレ達がモリビトと初めて遭遇したのは湖水が地面を侵食する第3層。迷宮の深部へ向かうオレ達に向かってモリビトの少女は出会い頭に警告を発した。
 我々の領域に足を踏み入れるな、と。
 しかしオレ達はその言に逆らってモリビトの守護獣と戦い、勝利を収め、朽ちた木々の乱立する第4層へ続く樹海磁軸を開拓した。
 新たな階層の発見に人々は狂喜し、更なる探索と発見、それに伴う名声と金銭を期待して我先にと未踏の地へ雪崩れ込む。しかし、そこで彼らを出迎えたのはモリビトの熾烈な抵抗だった。人類未踏の無彩色の空間は他でもないモリビトの居住地だったのである。
 人間とモリビトはこの『新世界』を巡って激しく相争い、枯れた大地を一面緋色に染めた。無寛容と無理解が憎悪と怨讐の炎を煽り、復讐の再生産は未だに留まることを知らない。
 酒場の掲示板を埋め尽くさんばかりにモリビト討伐の依頼書が増加したのにはそんな背景がある。


 「モリビトをどうにかしようってんならそれは執政院の仕事だ。オレ達の仕事じゃない。」
 「執政院も人手が足りないのよ。だからこうして場末の酒場にまで声をかけてるワケ。」


 防備のための軍を除けばエトリアには余剰な軍備はない。迷宮を徘徊する魔物はいまだかつて地上への進出を試みることはなかったし、迷宮の調査と開拓、及び危険の排除は開拓精神に満ちた冒険者が勝手に率先していった。
 迷宮のごく入り口では駆け出しの冒険者を監視する意味合いも兼ねて歩哨が警備を担当しているが、これも極めて消極的な働きを与えられているだけで、迷宮に関する執政院の領土的野心とそれに伴う兵員の増強は無関心に近いものさえある。
 そんな執政院の我関せずの態度に不満を覚えたのが第2層、第3層の開拓に乗り遅れ、第4層の発見と到達を今か今かと待っていた人々で、彼らは第4層にあまねく充満する敵意について、自らの手で解決する道を放棄し、執政院に縋りついたのだ。
 今まで自主自立、自己責任、自己解決を旨とする連中が一転して権力の助けを必要としたことに、執政院は当初冷笑をもって返したが、やがて迷宮の開拓に大きな利権を持つ一部ギルドが開拓地の『整備』は執政院にも義務の一端があると訴えたため、執政院は望まざる形で第4層の探索、及び敵性集団の排除に踏み込まざるを得なくなった。
 しかし前述のように執政院には迷宮の探索と戦闘に適した人材が不足している。そこでお呼びがかかったのがオレ達冒険者というワケだ。


 「オレが気に入らないのは依頼人のツラなんだよ。執政院、執政院、執政院。全部あのヒゲだ。」


 多分、執政院のヒゲとは長のヴィズルを指しているのだろう。


 「『雪走り』にしても『森王』にしても、先に死んでった冒険者仲間の敵討ちのつもりだったんだよ。大望を果たせず黄泉路に発ったあいつらの無念を晴らす。そういう気持ちで戦ったんだ。他の依頼にしてもそうだ。依頼者の力になってやりたいからこそオレ達は依頼を引き受けるんだ。」
 「でも執政院の力にはなれないと?」
 「有体に言えばな。今の執政院の言葉には危機感もなければ使命感も感じられない。自分で起こした小火の始末で騒いでいるだけだ。」
 「そうかもしれないわね……」


 彼女はそこで一度言葉を切り、何か思案げな様子でジャドに尋ねた。


 「もし私の依頼だったら聞いてくれるのかしら?」


 一瞬ジャドは答えに窮した後、引きつった笑顔を浮かべると手揉みしながら答える。


 「そりゃもう姐さんの依頼なら例え火の中水の中……」
 「真面目に答えて。」


 おどけた返答を咎められたジャドに代わってオレが口を開く。


 「……力にはなりたいと思う。あなたには日頃から世話になってますからね。」
 「ありがとう。嬉しいわ。」


 結局のところ、モリビト討伐に対する生理的な拒否感は執政院との考え方の齟齬に端を発しているように思う。
 『雪走り』や『森王』の討伐。あの頃はまだオレ達と執政院の思惑は同じ方角を向いていた。少なくともオレ達はそう思っていた。しかし、あのモリビトの守護獣の討伐依頼を受けた辺りから、何かオレ達と執政院の考え方に埋めがたい溝が生じてしまったように感じる。
 モリビトの少女。彼女との出会いが自らの無知を自覚させ、今までの行いを省みさせようとしているのかもしれない。
 無知ゆえの過ち。無知ゆえの罪。未だ彼女の言をオレ達は完全に掌解できてはいないのだが、それゆえに足を踏み出すことを恐れてしまうのだ。
 未完成の地図と同じだ。選んだ道が正解なのか間違いなのか、オレ達は恐る恐る歩を進めることでしか確かめることができない。そしてオレ達は選んだ枝道が誤りではないかと薄々感じ始めている。しかし執政院はなおも前進を指示するのだ。両者の意思は噛み合うことがない。


 「それで、姐さんはオレ達に何か依頼があるのか?」
 「そうね、取りあえずさっき破った依頼書を書き直して貰おうかしら。」
 「執政院の依頼はイヤだって言っただろ?」
 「あなた達が引き受けなくても他の誰かが引き受けるかもしれないわ。」




 ミミズの這ったような筆跡で依頼書をしたためたジャドは女主人からの厳しい指導と添削を受け、何度も依頼書の書き直しを命じられた。不平を零しつつようやく満足の行く依頼書を書き上げ、ギルドに戻ることを伝えた私達に彼女は言い含めるように一言言った。



 「誤解しないでね。執政院は力ないエトリアの人々の代弁者なのよ。」


 ……モリビトの手で愛する家族を失った者がまず最初に助けを求めるのは冒険者だろうか。いや、冒険者などよりよほど信頼でき、実行力に長けた執政院に頼るのがスジだ。執政院の意志はそれら人々の声を代弁しただけに過ぎず、酒場に貼られた依頼書も名義こそ執政院の名が使われてはいるが、本質はエトリアに住む人々の悲痛な叫びの現われなのである……
 モリビトと互いの生存を賭けて戦うべし、という論調は日に日に強まっている。やがてそれがエトリア市民の総意となったとき、オレ達は己の身を戦いに投じる覚悟を抱けるのだろうか。
 なにより執政院の言こそあれ、オレ達は自らの手によってモリビトの住処を暴き立て、両種族を戦いの惨禍へ誘った。混乱の原因の一端をオレ達が担っていたことは否定のしようがない事実だ。そこから先の悲劇を個人の責任に求めるとしても、オレ達にはなお幕を上げた責任が残っているのではないだろうか……


 オレは頭を振って迷走する思索の奔流を遮った。
 今はただ、休むための時間が欲しい。やがて来る旅立ちの日が近いとしても。







 NPCの名前は結局公開されないのかなぁ。どうも名前がわからないと落ち着きが悪いです。


 面倒な割に報酬は微妙なものが多い酒場のクエスト。実入りのいい依頼はきっと目端の利く冒険者が持ってっちゃってるんだろうと解釈。あとは宿賃と同じような理由で女主人が若いパーティに振り分けているんだろうとか。序盤はクエストは大きな収入源でしたしね。
 テキストの簡略化の関係で依頼人とは直接会うことのない各種クエストですが(シリカ(仮)とか院長は除いて)、動機付けに依頼人の事情が垣間見えることが多々あります。迷宮で死んだ仲間の遺品を探す依頼『過去を拾いに』とか、恋愛祈願のお守りを作るための材料探しの依頼『5つの星への祈り』とか。
 基本的にビジュアルで表現されることの少ないエトリアや他の冒険者の雰囲気に関して、ちらちらっと様子が窺えるのはなかなか楽しいです。ゲーム的な貢献は元より世界の奥行きを増す意味で雰囲気作りに貢献していたんじゃないでしょうか。
 開発中はもっとクエストが多かったという話を聞いたことがあるので、没になったクエストの内容とか気になりますね。


 表のエンディングを迎えると金鹿の酒場の女主人があの人の心配をしますよね。多くのプレイヤーはあの人にあんまりいい印象を持たなかったと思うんですが、エトリア市民からは慕われていたのかなぁ。


 女主人、なんかこんな感じの人と会ったことがあるなぁと思ったら、ハローワークの親切なおばちゃんだった……