世界樹の迷宮・その31(B18F)

バード♂ エバンスの日記


 「なぜ殺したのですか。」
 「身を守るために。」


 彼女ほどの使い手ならば何も殺さずとも幾らでも身を守る術はあったハズだ。それにも関わらず、彼女は一刀の元に彼を切り捨てた。何故だ。
 私は足元に横たわる物言わぬ骸を一瞥し、唇を噛む。


 「彼に戦う意志はありませんでした。」
 「そうかもしれない。見極めがつかなかったのは私の修練の甘さだな。」


 彼女は青白く輝く刀身にこびり付いた血糊をふき取ると刀を滑らすようにして鞘に収める。澱みのないその動作から言動にそぐう悔悟の念を見出すのはいささか困難だった。


 「彼には問い質さなければならないことがあったのです。」
 「『協定』か。」
 「知っているのですか?」
 「彼らの妄言なら。」
 「妄言ですって?」
 「そうだ。彼らは自ら唱えた『協定』を破り、地上に侵犯の手を伸ばした。かくある以上、人間とモリビトの領域に境界線を定めた『協定』など妄言以外の何物でもない。」


 私は空を仰ぎ見る。聳え立つ木々の合間に白く煌く太陽が見えた。
 ここはベルダ広場と世界樹の迷宮を結ぶ獣道。私達が武士道の女性とモリビトの遺骸を挟んで対峙しているのにはある事情があった。


 今から2時間ほど前。執政院に附属する図書院でその事件は起きた。執政院の様子を窺う1人のモリビトの姿が巡回する兵士によって発見されたのだ。
 執政院に現れたモリビトの報はすぐさまエトリア市内全域に通達され、冒険者の集う酒場という酒場にモリビトの発見と捕縛の要請を記した依頼が掲示された。折り良く金鹿の酒場でその依頼を受けた私達は、施薬院の裏手に潜伏するモリビトを発見し、追跡を開始した。そして迷宮に逃げこもうとする彼の足跡を辿って私達はこの女性、『氷の剣士』レンと、事切れたモリビトの姿を発見したのだ。


 「彼らはようやく気づいたのだろう。人間との間に築き上げた堅固な城壁は時代の隔たりと共に老朽化し、いつしか風化してしまったのだとね。」
 「だから地上に姿を現したと?」
 「恐らくは。彼らはモリビトの先鋒なのだろう。」


 倒れ伏したこのモリビトは、彼らの斥候なのだ。そう彼女は説明した。しかし、私は彼女の説を容易には受け入れることができなかった。私の胸郭の狭間に警告を告げる奇塊がある。その正体を見極めない限り、真実に至る道筋は見出せないような気がする。


 「モリビトは自ら『協定』を破棄した。彼らは己の血流の水面に約定がもはや空文であることを見出したのだよ。」


 戦争、という単語が脳裏をよぎり、背筋が震えた。彼女の推察が的を射ているのだとしたら、もはやモリビトは専守防衛に徹することはない。自らの生命と財産を守るために、そして人間に復讐を果たすために、古き過去の因習に倣い、血みどろの戦端を開くのだ。


 「モリビトが不条理な苦痛の果てに開戦の必然性を見つけたように、人間もまた自ら血を流して新たな『協定』を結ぶ必要性を悟らなければならない。でなければ、この悲劇は終わることはない。」
 「好きなだけ戦わせればいいと言うんですか、あなたは。」
 「脱皮とは常に苦痛を伴うものだ。我々の祖先もまたそうして種の延命を図ったハズだ。」
 「人間はもっと賢明な道を採ることもできるハズです。」


 冷笑を伴った反駁が返されるかと私は身を構えたが、彼女はどこか寂しげな目で私を見つめるだけだった。
 彼女もまた心の底では悲劇を望んでいないのだ、と、そう考えるのは短慮に逸り過ぎているのだろうか。


 「一つだけ忠告しておこう。これ以上、世界樹の迷宮に触れようとはしないことだ。」
 「モリビトの領域を荒らす気はありませんよ。」
 「それでいい。命は粗末に扱うものではない。」


 事態が悪化の一途を辿る今、私達がやらなければならないのは執政院の説得だ。
 たかが一冒険者の言葉。跳ね除けられるのは元より承知の上だ。
 しかし、それでも私達は言を束ねて、この無意味な憎悪の坩堝を破壊しなければならない。
 屍血山河のほとりに予定調和に築かれた協調。それも一つの解決の道かもしれないが、幾星霜の年月を経て得たものがそれでは余りにも進歩がなさすぎるではないか。


 「今回の件で、いよいよ執政院も腹を括るだろう。だが重ねて言おう。迷宮には近づくな。何があってもだ。」


 そう言い残して彼女は森に消えた。迷宮へ行くのだろうか。モリビトと戦うために……?




 「リーダー。」


 ウィバの呼びかけに私は我を取り戻す。彼は屈み込んでモリビトの遺体を調べているようだった。


 「どうしたんですか?」
 「この男、武器を所持していない。」


 妙な話だ。彼が斥候としてエトリアを訪れたのだとして、護身のための武器さえ携えていないとはどういうことだろうか。殺傷目的でなくても或いは自害の手段として武器が必要な場合もある。武器を没収されたのでもない限り、いわゆる敵地を丸腰で歩いて回るなど常識的には考えられない。


 「こういう発想はどうだろう。彼らは執政院との交渉に赴いたが、交渉は決裂。いっそ殺してしまえと追われる身となった。」
 「嫌な仮定ですね。事実でないことを祈るのみです。」


 脂汗が背中を伝う。例え相手が百年来の怨敵であっても、最悪の事態に備えて交渉のテーブルを用意するのが為政者の嗜みというものだ。勿論、世論を刺激せぬよう接触は水面下で交わされるのが常だが、ひょんな偶然から衆目の目に触れてしまう場合もままある。彼の存在が詳らかになったのもそうした「手違い」の一つなのだろうか。
 私は先ほど『氷の剣士』レンと会話をした際の違和感を思い出す。彼女はこのモリビトを斥候だと断じていたが果たしてそれは事実なのだろうか。もし、仮にこの男が斥候だとしたら……


 「くそっ、面倒なことになった。」


 ウィバが吐き捨てるように叫んだ。男の袖を捲くるとそこにはくっきり残った縄目の跡。私はジャドに説明を求める視線を送る。


 「想像通りだろうよ。こいつは今しがたまで捕縛されていたってことだ。」


 楽しい趣味の持ち主でもなければな、とジャドは渋面で付け足す。


 「牢獄から逃げ出したのか?」
 「違うな。コイツは野山に放たれたウサギと同じだ。狩猟のための獲物なんだよ。」


 ジャドの見立てではこれほど痕跡の残る拘束を自力で解くことは不可能なのだそうだ。となると誰か第3者が戒めを解いてやらなければならない。しかしこの男が単独で行動していたことからモリビトの仲間が彼を解放したのだとは考えられない。すると残った解答は男の束縛を解いたのは人間ということになる。


 「彼は拉致されたのでしょうか。」
 「恐らくは。それなら武器を所持していないのも納得できる。」


 野山に放ったウサギを狩るのは貴族が汗をかくためのスポーツだ。では、モリビトをエトリアの町に放すことに一体どんな意図があるのか……


 「多分、ろくでもない理由さ。」


 異郷の地で息絶えた男を見下ろしてジャドが呟いた。






 ゲーム内では全然触れられていないんですが、モリビトが地上に姿を見せた事例って全然なかったんでしょうかね。「太陽の光で光合成したい!」とか、ほら、ありそうだし。
 協定にしても第4層以降は入っちゃダメなのか、第1層からもう踏み込むなってことなのか、割と曖昧な感じ。まぁ、ある程度は大目に見てたというか、領土侵犯されても額に青筋立てつつ「まぁ、今回は許してやるか」みたいなやりとりがモリビト内で実はあったのかもしれません。中国の軍艦とかが領海侵犯してきてもなぁなぁで済ませてしまうみたいな感じで(生々しいな)。


 レンについて。結局ミニコミ誌でも素性が明らかにならなかったのが、もどかしいところでもあり、妄想の余地の残るところでもあり、なかなか痛し痒しな感じです。まぁ、「レンはモリビトとツーカーでモリビトに悪さする人間を憎んでいるんだ!」なんて設定が明らかになっていたら、今回のネタとか憤死モノなので、「伏せておいてくれてありがとう!」と小森さんに感謝したい側面もあったりします。でもやっぱり公式設定を知りたかったのも否めないわぁ。
 個人的な感想を言えばレンはツスクルに比べてイマイチ印象が薄いです。というのはツスクルはツスクル汁で回復してくれたり、いかにもイベントアイテムげな呪い鈴をくれたり、割と親身に手助けしてくれたのに対して、レンはどうも一歩劣ると言うか。いや、ブシドーがネタっぽいからってワケじゃないんですが。
 多分ツスクルみたいに本心を覗かせる部分がちらっとあれば、それでググーンと好感度急上昇みたいな、もっと妄想の余地の生まれるキャラになったのかなぁという気がします。そういう意味で物語中でもうちょっと語られる機会が欲しかったキャラではありますね。ROM容量かー。


 ミニコミ誌によるとレンの綴りってRENNなんですよね。なんだこのNは。新納さんはF.O.Eのピリオドもノリでつけたって言ってたのでノリなのかもしれないけど。気、気になる……