世界樹の迷宮・その35後編(B20F)

パラディン♀ アリスベルガの日記


 「アリス、逃げてーっ!」


 ルーノの絶叫が私の鼓膜を虚ろに叩いたその瞬間、大気を引き裂く甲高い音を引き連れて一本の矢が飛び込んできた。その矢は『岩をも破る者』の右翼に突き刺さり、彼のバランスを大いに狂わした。体勢を崩した『岩をも破る者』は空中で左翼をはためかせてバランスを取り直す。
 しかしそんな彼に猶予を与えぬかのように、突き刺さった矢を目掛けて地上から雷霆が奔る。目の眩む青白い閃光が地上と大鷲の右翼の間にアーチを形成し、次の刹那、『岩をも破る者』の翼は黄金の羽根を撒き散らして弾け飛んだ。
 神には似つかわしくない悲しげな悲鳴を残して地表へ落下する大鷲。残った左翼を必死にはためかせるが、失った右翼をカバーするだけの揚力を得ることは不可能だった。
 轟音響く落着と共に巻き起こる砂塵。今までにない屈辱的な大地との邂逅を果たしたであろう天空の支配者はその瞬間、驚愕に目を見開いた。空気を押し切る重い音と共に飛来した紐状の何かが、彼の何よりの自慢だった黄金の左翼を巨木に縛り付けたのだ。彼の翼は樹齢千年にも至ろうかという古木の幹に固定されてしまっていて、引き剥がすことが出来ない。
 ……一体何が起きたのだ。奇跡的に私は生き残っている。『岩をも破る者』の餌食になろうかというその寸前に、矢と、雷と、投げ縄が、彼の両翼を奪い去り、そして私の命は救われた。なぜ、私は生き延びられたのだ……?



 「へっ、幾ら神サマと言えども、自慢の翼を無くしたらヒヨコも同然だぜ。」



 背後から響く癪に障る下卑た声。私は…… 私はこの声を『聞いたことがある』。



 「やれやれ、なんとか間に合いました。間一髪でしたね。」



 緊張感のない間延びした声。しかし人を落ち着かせる不思議な声。



 「あなた達が地図を持って行ってしまうからだ。ジャドに先導を任せたのは失敗だった。」



 常に泰然としていて、しかしいつも不満げなこの口調。
 間違いない。間違いない。彼らは。彼らは……!


 「みんな……!」


 私は声にならない声を振り絞って背後を振り向く。
 そこには満面の笑みを浮かべたティークラブの仲間が立っていた。


 「やぁ、アリスベルガ。なんとか無事巡り会えたようですね。」
 「怪我はないか。遅くなってすまない。」
 「ルーノ、生きてたか。良かった。心配したぜぇ。」


 早速ルーノに駆け寄るジャドには後で鉄拳でも加えるとして、全く、こいつらは…… なんて奴らだ。
 私は溢れ出そうになる涙を拭ってなんとか誤魔化すと、大きく息を吸って彼らの顔をまじまじと見た。


 ほんの僅かな間。彼らと行動を別にしたのはたった数日のことなのだ。
 しかし、それだけなのに彼らの顔が酷く懐かしく思える。
 彼らと共にいる日々は、いつの間にか私にとっての日常になってしまっていたのかもしれない。
 リーダーはいつもと変わらぬ笑みで頷くと、表情を正して口を開いた。


 「再会を喜んでばかりはいられませんよ、アリスベルガ。」
 「……あ、ああ、そうだな。うん、そうだ。」
 「私達が再び迷宮に舞い戻った理由。あなたには分かるはずです。」


 そうだ。彼らは迷宮の探索を打ち切るつもりだったのだ。
 だから私達は2人で迷宮に降り立った。彼らの助力はもう得られないと思っていたから。
 そして彼らにしても迷宮に足を踏み入れるのは本意ではないハズなのだ。


 「執政院がミッションを発動したからか。」
 「ええ、もはや彼らにこの戦争を止める意志はありません。……私達は無力でした。執政院の意を正せなかった。」


 残念ながら彼らの努力が実を結ぶことはなかったのだ。
 エトリアに居を置く全ての人々がモリビトとの決戦を望んだ。
 その声は余りにも強く、激しく、私達のささやかな願いなど掻き消してしまう。
 余りに早すぎる世論の変化は洪水のように彼らの反駁を飲み込んでしまったのだろう。


 「アリスベルガ。あなたはモリビトの首魁を討ち取るつもりなのだろう?」


 ウィバの問い掛けに私は首肯する。
 私は彼らに『呪い師』ツスクルからの依頼について話した。
 迷宮の踏破を。そしてあの生ける神の殺害を。


 「『岩をも破る者』ですか。守護神にしては少々凶暴すぎるようですが。」
 「多分、あの大鷲は彼らの荒神なのだと思う。」


 どのような経緯で彼らが『岩をも破る者』を奉じるようになったのかは定かではない。
 だが、彼らにとって『岩をも破る者』とは、部族に災厄を齎す破壊神であり、その御霊を安んじるために『協定』の名の下に聖域を設け、永年の奉祭を続けて来たのではないかと私は推測する。
 恐らく彼女は、ツスクルは、彼らと破壊神との関係についても熟知しているのだろう。
 その彼女が言ったのだ。「神を殺せ」と。
 では、彼女の真意は一体奈辺にあるのか?


 私は彼女の言葉を「モリビトの士気を挫くため」と解釈していた。信仰の対象である絶対者を葬ることで、彼らの価値観を揺るがすのだと。
 だが、実際に『岩をも破る者』をこの目で見て、どうやらこの問題はもっと複雑な構図を孕んでいるのだと直観を得た。
 恐らく、彼女には私達には打ち明けていない別の意図がある。だからこそ彼女は『岩をも破る者』の神性について詳述しなかったのだ。


 「彼女は『岩をも破る者』を殺すことで、彼らモリビトをあの神の支配下から解放しようとしているのだと思う。」
 「モリビトの、解放ですか……?」


 断言は出来ない。彼女がモリビトについてどんな感情を抱いているのかさえ私には分からない。
 だが、私には彼女が私達人間よりモリビトに近い立場の人種のように思えるのだ。


 「彼女はモリビトを哀れんでいるのだろうか?」
 「わからない。でも一つ確かなのは、あの神を倒せば、両者にとって新たな地平が開かれるかもしれないということだ。」
 「なるほど、信仰と恐怖の対象が消えれば、彼らと森の関係は大きく変化します。」
 「直接和解に結びつくかはさておき…… 再考を促す端緒にはなるかもしれん。」


 彼らの顔に薄っすらとではあるが自信と希望の光が差し込んできた。
 無理もない。彼らとて深い絶望の中で、ただひたすら一本の蜘蛛の糸を頼りに歩いて来たのだ。


 「ありがとう、ここまで来た甲斐がありましたよ。」
 「そんな。礼を言うのはむしろ私のほうだ。」


 彼らが私の命を救ってくれなければ、私は彼らに『呪い師』の話を伝えることもできなかった。
 彼らは私に助けられたと思っているのかもしれないが、本当に助けられたのは私のほうだ。
 今回だけではない。この迷宮の旅路のあらゆる場面で私は彼らに助け続けられたのだ。


 「言葉だけじゃなくてキチンとした形で礼は返してもらいたいもんだ。」


 頭を掻き毟りながら話に割り込んできたのはジャドだった。


 「ジャド、お前は……」
 「おっとその前にだ! 先日は、まぁ、その、悪かったな。」


 私はジャドが何を言わんとしているのか瞬時に理解しかねた。
 だってこの男は自分から謝ることなど決してなかったのだから。


 「悪かったって、何が?」
 「お前ってホント性格悪いよな。いちいちオレのクチから言わせる気かよ。」


 この前のことですよ、とルーノに耳打ちされて私はようやく合点が行った。
 あのモリビトの少女と出会った日のことだ。


 (要するにお前は恋人を探したいだけなんだろう!?)


 その言葉に私は動揺した。その瞬間、私は自分の不甲斐なさに思い至ったからである。


 「誤解するなよ、ジャド。私は騎士としての本分を忘れ、冒険にのめり込んでいた自分に気づいて恥じ入ったのだ。」
 「は? なんだよ、それ? じゃあ騎士ナントカってのは……?」
 「騎士ベルグレイはルーノの義兄だ。どうも変な誤解をしているようだが、私はルーノのために探索を買って出たのだぞ。」
 「つまり、アレか。お前は騎士ナントカのことは別に好いてもいない。」
 「尊敬できる騎士ではある。何より私の友人の身内だ。大事な人物ではあるが、特別な人物ではないな。」
 「ふ〜ん、へ〜え、は〜あ、そぉ。」


 一体なぜこいつはこんな締まりのない下卑た笑顔を覗かせているのだ。何でそんなに嬉しそうなんだ。


 「むしろお前達の身を危険に晒したことを私は深く後悔している。私の我侭に付き合わせてこんな危険な場所まで引きずりこんでしまったのだからな。」
 「おい、ちょっと待てよ! そりゃお前の勘違いだぜ!」
 「勘違いだと?」
 「いいか、オレはな、お前に感謝してんだ! オレの世界を広げてくれたのは間違いなくお前なんだからな!」


 なんというか、真正面から礼を言われると却って恥ずかしい。
 特に相手が普段そんなことを言わないジャドなら尚更である。


 「そりゃな、死ぬような目にもあったさ。でもな、それは自分で選んだ道だ。責任は自分で取るさ。女なんかに責任転嫁しようなんて腐った真似はしねぇよ。」
 「先日、宿屋で腐ってたのは誰だったかな。」


 ジャドに横槍を入れたのはウィバだった。ウィバは笑いながらジャドを指差す。


 「オレ達の冒険は終わったんだ…… なんて真面目な顔で言ってたんだ、こいつは。」
 「てめぇ、ウィバ! あん時は! まぁ! ……色々あったんだよ!」
 「連れ出すのにも随分苦労したんだ。へそ曲りだからな。」


 ウィバとジャドの口喧嘩は続く。この2人は相変わらず仲がいい。


 「アリスベルガ。あなた自身の問題は解決したと見ていいのですね。」


 ウィバとジャドを他所にリーダーが私に問いかける。


 「ああ、私は迷宮を踏破する。もう誰にも口出しはさせん。」
 「後悔するかもしれませんよ。この迷宮の真実を知って。」
 「乗り越えてみせるさ。」


 リーダーは私の瞳をじっと凝視する。
 やがてリーダーは表情を緩めると、右手を差し出した。


 「わかりました。私達もあなたの冒険に同行させて頂けませんか?」
 「ああ、こちらこそお願いする。あなた達の助力なくしてはこの先の踏破は極めて困難だ。」


 差し出されたリーダーの右手を私は固く握り返した。


 「さて、冒険を再開する前にさし当たって解決しなければならない問題があります。」
 「わかってる。……ヤツだな。」


 私は『岩をも破る者』に視線を転ずる。
 いつの間にか戒めを振り解いた大鷲は、鋭く曲がった大爪で引き倒した『悪魔』に覆い被さり、一心不乱にその身を啄ばんでいる。

 食事を楽しんでいるのでもなければ、残忍性を誇示しているのでもない。
 彼は自らの生存本能に従って生命を取り込もうとしているのだ。


 「右翼が再生しています!」
 「『悪魔』を取り込んで組成を回復したのか……!」


 常識外の再生能力は元より、彼の生存への執着心は極めて単純で強大だ。
 或いはこの純粋性にモリビトは自らにはない神性を見出したのだろうか。


 「ならばもう一度電撃を食らわせてやるだけだ。」
 「でっけぇ焼き鳥にしてやるぜ。」


 私達は自然と戦闘隊形を取った。かつて共に冒険の日々を過ごしたあの隊列を。
 私とルーノとジャドが並び立ち、後ろからウィバとリーダーが支援を行う。


 私一人では何も出来ない。何も守れない。私は誰よりも弱い存在だ。
 でも、この仲間と一緒だったらどんな敵とも戦える。どんな困難でも乗り越えられる。


 冒険を望んで私は迷宮に帰還した。
 しかし、仲間と共に喜びを分かち合えない冒険はえらく味気ないものなのだ。
 道中の疲れも、勝利の美酒も、敗北の苦痛も、仲間と共に共有してこそ味わいがある。
 私にとって冒険と仲間は不可分なのだ。
 それを知った今だからこそ、私は彼らを守りたい。私の騎士の盾で彼らを守りたいのだ。


 「行くぞ!」


 号令を下して私は地面を蹴った。『岩をも破る者』を倒し、私達の冒険を再開する為に。







 イワォロペネレプの話。
 ポッドキャストで初めて判明し、誰もが驚嘆したB20Fの攻略法。それは群がるFOEをイワォロペネレプに乱入させて潰すというものでした。
 開発者的にはこのB20FのFOEはボスに潰させるものであって、真正面から撃破する戦い方は全然想定してなかったそうです。
 しかしプレイヤーは世界樹の迷宮に敷設された数多の罠を潜り抜けた結果、B20Fの絶望的なFOEを見ても「このマゾさこそが世界樹よ!」と納得してしまっていたのですね。軍曹の言葉をお借りすると、「全滅するプレイヤーはマゾプレイヤーだ。全滅させるプレイヤーは訓練されたマゾプレイヤーだ。全く世界樹は地獄だぜー。」てな感じでしょうか。この情報が公になるまでは多くのプレイヤーの脳みそには全滅するかさせられるか、2つに1つしかなかったのです。
 で、人口に膾炙したB20Fの攻略法ですが、その後に「守護神の割に信者を皆殺しにするってどんな神様だよ!」というツッコミが方々から入りまして、それが今回のネタ元になったワケです。

 そんなワケでイワォオロペネレプは、自身よりも彼を取り囲むFOEも含めて印象の強いボスですね。まぁ、スノードリフトもクイーンアントもその系統ではありますが。
 個人的にはあの延々と乱入の続く戦いにはアドレナリン出まくりでシビれたクチなので、ガッチリ強くなったパーティでもう一回楽しみたいところではあるんですが、イワォロペネレプを倒しちゃうともう二度とあの乱入地獄を楽しめないのがちょっと残念なところではあります。擬似2週目でもその辺りが楽しめないのがちょっとネックで、やっぱり1回データをさっぱり消したいなぁと思ったりもします。

 あと、時々「イワォロペネレプが全然動かない」と嘆く人をたまに見かけます。FOE『高貴なる貴婦人』と『禍乱の姫君』撃破がイワォロペネレプが移動を開始する条件となっていますので、まずは乱入されないように濡れた糸を集めてください。
 でもまぁ、実際の話、乱入させるよりガンガン倒しちゃった方がラクと言う意見も。基本的にこのゲームは防戦に回ると不利になりますしね。