世界樹の迷宮・その37(B21F)

ダークハンター♂ ジャドの日記


 『岩をも破る者』の巣と思われる藁床の奥に『遺跡』に続く道はあった。滑らかで硬質な大理石にも似た材質の階段を踏みしめながら、オレ達は階下から足元を舐めるように這い上がる冷たく乾いた空気に身を震わせた。
 太陽の恩恵の届かない迷宮の深奥はどこもかしこも薄ら寒い。湿った空気が肌に纏わりつくようにして体温を奪っていく。湿気の多い第3層は殊の外それが顕著だった。
 しかし、同じ寒さでも原始の生命がそこかしこに芽吹く第3層とこの第5層は寒さの質が異なる。大気はどこか薄く透明で、砂漠の夜にも似て固く張り詰めている。
 そう、この世界は生命の消えた空虚な世界。人工的な無垢なる大地だ。


 壊れた窓から覗く外界には乱立する遺跡群。まるで雨後の筍のように好き放題に生えている。
 そう言えば遠い過去の時分には、細石も永年の時を経ることで巌にまで成長すると考えられていたそうだ。
 勿論、それは御伽噺にすぎないのだが、外界に林立する『塔』の全てが鍾乳石のように長い時間をかけて成長したのだと言われても今のオレには納得がいく。この大地は地上から何千年も隔絶された世界なのだ。
 むしろ眼下に広がる光景全てが人の手による産物だとは到底信じがたい。あの『塔』一つを完成させるだけでもどれだけの労力と資材と時間が必要なのだろうか。ましてやその基幹となる知識と技術ともなると想像の範疇外だ。神の御業としか考えられない。


 「オレ達がこれから会うのは、その神だ。」


 ウィバの声はどこか上擦っている。
 モリビトの父祖たる『王』の居城。モリビトの少女はこの遺跡をそう表現した。一つ確かな事はこの階層の最奥にはこの世界の住人がいる。彼はこの遺跡群を作ったのだろうか。それとも末端の1人にすぎないのか。いずれにしても彼はオレ達よりも多くの真実を知っている。オレ達はそれを確かめるために今ここにいる。




 扉を開けると唸り狂う突風が吹き寄せ、思わずオレは顔を背ける。正面に視線を戻すとそこには切り立った断崖。眼下にはマッチ箱のような遺跡群が広がり、向かいには天上まで聳え立つ『塔』。連絡通路だったのか、それとも倒れかかった鉄柱なのか、それすら判別のつかないほどに年季を重ねた『橋』がこちらの『塔』とあちらの『塔』とを結んでいる。どうやらオレ達の探索している遺跡は一対の塔らしい。


 「見て! あそこ……!」


 アリスベルガの白磁のような人差し指の延長上に、柳のように泰然と佇む一組の人影をオレは見出した。
 レンとツスクル。『王』の『神官』と『巫女』。
 甲冑を着込んだ『氷の剣士』と紫色の長衣を纏う『呪い師』は荒れ狂う強風の中、橋を渡ってこちらへと歩を進める。
 限られた足場。吹き荒ぶ強風。眼下に霞む大地。平静さを奪い去るであろう幾つもの悪意を前にして、しかしその足運びにはまるで淀みがない。落下の危険性など微塵にも感じさせない馴れた足取りでこちらへ一歩一歩近づいてくる。
 凍りついたようにオレ達は2人の動作から目を離せずにいる。やがて橋の手元にまで辿り着いた2人は互いの無事を確認するかのように一度視線を交わしあい、それからオレ達に向き直った。


 「君たちは……」


 『氷の剣士』が口を開く。その声はいつにない固さを帯びている。


 「ついにここまで来てしまったね。でも、ここは人の来てはいけない領域なんだ。」
 「なぜだ?」
 「……エトリアの街は、樹海の謎を追う冒険者によってなりたっている。」


 彼女の言う通り、エトリアは冒険を主幹として成り立つ街だ。巨万の富を求めて迷宮に挑む冒険者と、(言い方は悪いが)彼らを食い物にして生計を立てる商工業者の集まりがいつしか街を形作るに至ったのだ。


 「わかるかね? この樹海は常に人々の謎であり、目指すべき目標であらねばならぬのだ。樹海の謎を解くような者が出ては困るのだ。」


 迷宮の踏破。誰もが夢を見て、しかし叶うことのなかった至上の夢。だが、誰かがその夢を叶えた瞬間、迷宮を包んでいた謎のヴェールは消失し、迷宮は冒険者に「消費される」。踏破された迷宮は価値を失う。それは消滅と同義だ。
 迷宮の消える日。
 この迷宮はオレが生まれる前から地表に口を開けていた。多分、オレが死んだ後もそうだろう。だからオレは迷宮が永遠にそこにあるものと思っていた。この日常がいつまでも続くものと思っていた。
 しかし、現実はそうではない。オレ達が迷宮の深奥へ一歩一歩足を踏み出すごとに迷宮はその神秘を失っていく。そしていつか迷宮は完全にその神性を失ってしまう。それを止める手立てはあるのだろうか?


 「街を束ねる者としては…… すなわち君たちが樹海の謎を解く前に始末しろ! ということさ。それが執政院の考えだ。」


 ふん、なるほど、合理的な解法だ。
 迷宮の謎に近づいたオレ達を始末し、剥がれかけた神秘のヴェールをかけ直す。かくして迷宮は再び神性の宿る謎めいた宝箱に立ち還り、冒険者はより堅固となった迷宮の伝説を打破すべく決意を新たに最奥を目指すというワケだ。
 彼女は王様のロバの耳を見た散髪屋を処刑するために現れたのだ。だが、そんな身勝手な理屈に付き合わされて生贄に選ばれるのはどうにも楽しい話ではない。


 「人に夢を見るように嗾けて、その一方で夢を潰そうとする。そんな傲慢がいつまでも罷り通るものか。」
 「私達が果たすのさ。今までも。そしてこれからも。」
 「それが『王』の意志か。」


 『王』の名が出た瞬間、彼女の口の端が小さく歪んだ。


 「確かに街としても執政院としてもその方が都合がいいんだろう。だが、それだけの為にアンタらが動いてるとは思えないな。『王』に仕える『神官』と『巫女』がな。」
 「……モリビトか。彼らは冒険者に胸襟を開いたのか。」


 種を明かしたのは失敗だったかもしれない。どうも今の彼女はオレ達を殺したその足でモリビトまで殺っちまおうってツラをしている。いざとなれば逃げ出す手も考えていた。だが、この場でオレ達が尻を捲くって逃げ出せば、今度はモリビトに類火が及ぶだろう。モリビト連中を助けようってワケじゃあないが、破滅を逃れた矢先にようやく芽生えた希望の種が、有無を言わさず刈り取られていく様を見過ごすのは後味が悪すぎる。
 腹を据えるしかないらしい。オレは得物に手を伸ばす。


 「君たちに何のうらみもないが…… 死んでもらう。」


 第4層でオレ達が目にした跳ね飛ばされたモリビトの首。今でこそ疑うべくもないが、あれは間違いなく彼女の手によるものだ。常人の目には奇術としか映らない奥義の数々も彼女にとっては野兎を切り分ける程度の造作もない技術に過ぎないのだろう。
 数千年にも及ぶ永劫の時を彼女は人殺しの技術の修練に費やしてきたのだろう。そして彼女は課せられた役目を遂行し続けた。迷宮の踏破を夢見た熟練の勇者達のことごとくを闇に葬り、迷宮の秘密を知る者を土に還したのだ。
 未だ彼女には失敗の二文字と縁がない。彼女は優秀な暗殺者だ。しかし付け入る隙はある。


 「……全力であなたたちを阻止する。それが、レンの願いだから……」


 それが彼女、『呪い師』ツスクルの存在だ。どうも彼女は『氷の剣士』とは異なる行動原理で動いている節がある。長年に渡って『氷の剣士』が妨げてきた迷宮の踏破を彼女はオレ達に依頼した。
 未だにオレ達は彼女の真意を量りかねているが、依頼を達しえていない以上、オレ達が死んだら彼女は困る…… ハズだ。しかし一方で『氷の剣士』の身命に危難が迫れば彼女は身を挺して『氷の剣士』を守るだろう。そう、彼女は極めて不安定な立場にある。
 オレ達にとって、そして『氷の剣士』にとっても『呪い師』の存在は勝負の行く末を左右するジョーカーになる。果たして当の『呪い師』はどんな青写真を描いているのか。ぼそぼそと呪言を紡ぐその表情からは何も読み取ることができない。


 「待て。」


 『氷の剣士』を牽制するために足を踏み出したオレを制したのはアリスベルガだった。
 彼女はオレ達を一瞥し、そして極めて平静な口調でとんでもないことを言い出したのだ。


 「あの2人は私とルーノが相手をする。」


 驚いたのは何もオレ達だけではなかった。対する暗殺者の2人も毒気を抜かれたように構えを解いてしまっている。


 「向こうは2人。こちらも2人。2対2で対等な勝負をしたい。」
 「アホか! 決闘じゃねぇんだぞ!」
 「でも殺し合いをするつもりはないんでしょう?」


 ルーノの言葉にオレは反駁の声を失う。本音を言えば確かにそうだ。あの2人がどんな立場の人間であっても、命を奪うのは気が引ける。この冒険の様々な局面において、あの2人はオレ達を助力してくれた。恩義を感じているといえば大袈裟だが、感謝の気持ちがあるのは確かだ。
 幸か不幸か、オレには相手の戦闘能力だけを奪う技術がある。それでこの悶着にケリがつけばそれが上善だと思っていた。だが、自らの技に拘って勝機を逃したら、今度は仲間の命を危険に晒しかねない。
 殺し合いに挑む覚悟をオレは抱けていなかったのだ。きっとハッピーエンドが待っている……なんてのは安易な楽観だったと言わざるを得ない。


 「でもよ、お前達2人でどうにかなる相手じゃないだろう。」
 「重要なのは呼吸を合わせることだ。それには少人数の方が都合がいい。」
 「なんだそりゃ。謎掛けか?」


 相変わらずワケのわからないことをほざく聖騎士に流石のオレも頭が痛くなる。
 頭を掻き毟るオレの肩にルーノが宥めるように左手を置いた。


 「アリスを信じてください。凍てついた彼女の心を溶かすために。」




 「本当に君達2人だけなのか。」
 「女に手をかけるのは気が向かんのだそうだ。」
 「大した余裕だ。」


 ちっ、好き勝手言ってくれやがるぜ。
 別行動を取ってたから知らないんだろうが、オレ達が道中『禍乱の姫君』や『冷酷なる貴婦人』に何をしたか聞いたら連中きっと目を剥くぞ。……まぁ、敢えて暴露する必要もないが。


 結局、オレ達は彼女の意を翻すことはできなかった。アリスベルガとルーノは2人きりの決戦を強行し、オレ達は彼女達の殺し合いを路傍から痴呆のように見守ることしかできない。
 5人で戦えば、仲間と力をあわせれば、恐らくこの戦い、オレ達の勝算は大きかったと思う。幾ら名うての剣士と呪い師が相手と言えども、この冒険で培ってきたオレ達の連携は遅れをとらなかったはずだ。
 それにも関わらず彼女が決闘じみた戦いを望んだのはなぜなのか。多分それは騎士の誇りに根ざした儀礼的な理屈ではない。もっと根源的な感情に起因した泥臭い理由なのだと思う。


 刀を腰溜めに構えた『氷の剣士』は足裏を地面から離さない独特の足取りで間を詰める。対するアリスベルガは大盾を正眼に構えてあらゆる角度の斬撃に備えつつ、大盾の陰に右肩を潜ませて攻撃の出所を隠している。
 『氷の剣士』の後方には相手を見据えつつ何事かを呟いて呪言の完成を進める『呪い師』。一方でルーノは鞄から取り出したアンプルを片手に、もう片手に愛用の杖を構え、一時あらばアリスベルガの支援に入れるよう緊張を高めている。
 鼓膜を叩く音は唯一『塔』の合間を駆け抜ける早足の風音だけだ。4人が対峙する空間を狭めていくに連れ、圧縮された大気の密度が高まる。火花散る眼閃が飛び交い、焦げ付くような熱い吐息が戦場の熱気を否応なしに高めていく。
 瞬間、叩きつけるような突風が戦場を縦断し、アリスベルガの栗色の長髪が重力に逆らって舞い上がる。その刹那、極限まで圧された大気は行き場を失って破裂する。地面を蹴った『氷の剣士』の斬撃を皮切りに4人の死闘は始まった。






 ミステリの世界には叙述トリックと呼ばれる仕掛けがあります。
 これは通常のミステリのトリック(時刻表トリックとか密室トリックとか)とは違って、作中の登場人物ではなく、読者に対して仕掛けられるトリックです。
 世界樹の迷宮でプレイヤーが第5層に降り立った瞬間に表示される『遺都シンジュク』の文字。これを見て、「うわ、やられた!」と思った人は少なくないと思うのですが、このように媒体の暗黙の前提や偏見などを引っくり返して読者(プレイヤー)に知的興奮を与えるやり方が叙述トリックなワケです。
 その一方で叙述トリックは作中の登場人物には(基本的には)影響がありません。エトリア育ちの冒険者がシンジュクと呼ばれる遺跡を発見したところで、私達が感じるような感慨は一切ないワケです。「ふーん、シンジュクって名前なんだー。」くらいのもんです。


 ただし、叙述トリックは受け手の思い込みを裏切るところに妙味があるので、矛盾なく意図を気づかれない伏線をキッチリと置いておかなければなりません。
 通貨単位がenだったり、ブシドーと呼ばれる職業があったりするのも、パッと見ではこの手のゲームにありがちな設定に思えるんですが、実は第5層のための深遠な伏線だったと。ミニコミ誌でもオチありきで通貨単位が決まった旨の話もありますしね。


 もうちょっと身近な例を挙げると、例えば、(手前味噌ですが)パラディンのアリスベルガは実は金髪パラじゃなくて褐色パラなんだよ、とか言い出すとこれはある種の叙述トリックになるかもしれません。外見に関しては(今回ちょっとだけ触れたけど)今まで言説がなかったワケで、このくらいの逆転ならちょっと考えるだけで色々とやれそうです。まぁ、だからどうしたというレベルのネタなのであんまり意味はないんですが。


 叙述トリックは「この話には叙述トリックがあるよ」と説明するだけでネタバレになってしまうものも多いので、あんまり例を挙げられないんですが、ゲームに絡めて話題を続けると、かまいたちの夜の原作者として知られる我孫子武丸氏の『探偵映画』という小説がこの手の叙述トリックの入門編としては適しているように思います。
 作中には分かりやすい叙述トリックの説明もありますし、かまいたちのような読みやすさで、かつ殺人事件が起こらない話なので、ミステリを全然読まない方で、叙述トリックにちょっと興味が湧いた方にオススメしたい一冊です。


 世界樹に関してもうちょっと言及すると、世界樹自体は発売前にさんざん「ストーリーは皆無!」ってのを強く言ってきて、「ああ、このゲームはシステムで魅せるゲームなんだな」とプレイヤーに思い込ませたのも第5層がうまく決まった要因のように思います。
 まぁ、「深層に都市があるんじゃないの?」なんて推測は発売前にも結構あったので、その辺はちょっと身構えてプレイした人なら「ああ、やっぱりな。」で済んだのかもしれません。自分はまるっきり丸腰で迷宮に潜っていたのでバッサリやられましたよ。……ネタバレに。ゲーム発売直後のネットはリスキーだぁね。