世界樹の迷宮・その38後編(B21F)

メディック♀ ルーノの日記


 「君達の、勝ちだ。」


 口を真一文字に結んだまま、ツスクルの手を握っていたレンがようやく口にした言葉がそれでした。


 「もう私には君達を止めることはできない。君達の足で、君達の手で、君達の目で、この迷宮の真実を確かめればいい。」


 彼女の声は臓腑の奥から搾り出したようなか細い響きでしたが、その口調には一切の迷いの揺らぎも見えません。
 長きに渡って冒険者を拒み続けた迷宮の門番は、自らの意志によってその役割の完了を告げたのです。


 「傷の手当を。」
 「無用だ。……だが、ツスクルの手当を頼めるとありがたい。」
 「任せて下さい。」


 『世界樹の種』を埋め込まれた彼女達は、常人を遥かに凌駕する回復力を持っています。従って本来であれば私達の気遣いなどまるで必要ないハズです。
 しかし、それでもなお彼女がツスクルの手当を私に頼んだのは、苦痛に歪む彼女の表情を少しでも和らげたいと望んでいるからなのでしょう。
 私は手持ちの救急箱を開けると手早く準備を始めます。


 「少し痛むかもしれないけれど、出来るだけ早く終わらせるから我慢してくださいね。」
 「……痛みには慣れている。私、子供じゃないし。」


 そのつもりはなかったのですが、どうも彼女の外見から小児に対する態度で接してしまう自分がいます。重ねて来た人生を思えば、むしろ私の方が年端も行かない子供ではあるのですが。
 アルコールで消毒を施してから痛み止めを注射すると、彼女の顔から僅かではありますが苦痛の影が引いていきます。尤もこれは一時的に痛覚を麻痺させているだけなので、薬が効いている間に暫時的な治療に着手しなければなりません。


 「ごめんなさい。あなた達には随分と迷惑をかけたわ。」
 「迷惑ですか? ……そんなことはないと思いますけども。」


 痛みが収まってきたのでしょうか、普段は寡黙な彼女が、自ら率先して口を開いています。珍しい事態ではありますが、会話が続く間は意識のレベルが保てると判断して、私は治療と平行しつつ彼女に質問を投げかけることにしました。


 「迷宮の踏破に連なる案件。『王』の『巫女』であるあなたが私達に依頼したのはなぜ?」
 「……全てはレンのため。彼女の心を暗闇から救うためよ。」


 なんとなしに想像はついていましたが、彼女の真意はやはり『氷の剣士』の救済にあったようです。枯れ森で呟いた言葉、そして我が身を挺してまで彼女を助けた姿。数千年にも及ぶ長い時間の間、身を寄せ合って孤独の冷風を耐え忍んだ彼女達は、私たちの想像を遥かに超えた信頼と連帯によって結び付けられているのでしょう。


 「今までは『王』がレンの心の支えだった。レンは永遠に続く無為な生の全てを『王』に捧げてきた。でも、いつか『王』がいなくなった時、レンはどうなってしまうのか? 私はそれを考えるのが怖かった。」


 彼女の話では、この数千年の間、レンは『王』に依存して生きてきたようです。
 迷宮が依然として神秘のヴェールに包まれている間はその関係も歯車が噛み合うように良好に回っていたのでしょう。しかし、冒険者の深層到達に伴う世界の変調に、やがて『王』と彼女の関係までもが崩れる未来の到来を彼女は予感しました。
 それゆえに彼女は行動を始めたのです。ただ、レンを助けるために。


 「レンは純粋な人。でも、それゆえに脆くもある。『王』の消えた世界でレンは絶望に身を焦がし、悲嘆に暮れるでしょう。でもレンは死ぬことさえ許されない。『世界中の種』の力で。」


 『世界中の種』を埋め込まれた彼女達は永遠の生を得ると同時に、自ら命を絶つこともまた禁じられたのです。その束縛は『王』の消えた後もなお続き、彼女達は未来永劫に渡ってこの世界と共にあり続けるのでしょう。


 「だから、生きるための名実が必要だったと?」
 「そう。『王』のためではなく、レンが自らの意志に基づいて生きる理由が必要だったの。『王』の死後もなお、彼女がこの世界を愛するためにね。」


 たったそれだけのために随分と大袈裟な舞台を用意したものだと思わざるを得ませんが、数千年に渡って迷宮の極風に晒され続けた彼女の凍りついた信念を溶かすには、やはり相応の仕掛けが必要だったのでしょう。
 そして傍目から見れば私達は彼女の手の内で操られていただけとも言えます。全て彼女の思惑通りに迷宮を進み、『岩をも破る者』を討ち果たし、そして彼女達と対峙した……
 ですが、例え道化を演じていたことが理解できた今でも、私は彼女に怒りを覚えるよりも先に胸の焼けるような憐憫を覚えてしまうのです。


 私には彼女の抱く強迫観念を理解できるような気がします。全てとは言えなくても。
 愛する友人の悲嘆に暮れる顔を見たくない。そのためになら例え悪魔に魂を売っても構わない。私が彼女の立場にあったら、やはりどんな手段を取っても友人を救おうと奔走したと思うのです。


 「では、私たちに『岩をも破る者』を討たせたのも、それが理由なのですか?」
 「レンの決断を促すために彼らをダシにした。それは否めないわ。」


 先ほど、レンを説き伏せようとした彼女の切り札となったのは、『岩をも破る者』を失ったモリビトが『王』の庇護から巣立った経緯でした。
 それを知った彼女は、まるで西から昇る太陽を見たかのように動転し、彼女と、彼女を取り巻く環境が新たなステージに移行したことを初めて認識したのです。


 「でも彼らは私の友人でもあった。長い長い年月を共に樹海で過ごした、ね。だから彼らが滅亡の危機に瀕している事実を見過ごせなかった。彼らにもレンと同様に『王』亡き新時代の到来を悟らせ、自立への旅立ちを決意させなくてはならなかった。」
 「その最善の方法が、私達に『岩をも破る者』を殺させることだった、と。」
 「そう。でも私は動けなかった。あなた達の力を借りるしかなかった。」


 それはなぜ、と問おうとして私はその理由に思い至りました。
 モリビトとの破滅的な開戦を断行した人物。その名は……


 「あなたの想像どおりよ。私達の主、迷宮の『王』とは執政院の長、ヴィズルその人。だから私は表立って動くことが出来なかった。彼の目を掻い潜り、彼の意を拒む冒険者に私の願いを託すしかなかったの。」


 予想はしていたものの、改めて事実を突きつけられて、私の脆弱な心臓は跳ね馬のように高鳴ります。
 ヴィズル。エトリアの最高執政機関、執政院の長。しかし、その正体は迷宮の全ての謎を知る深奥の『王』。
 全く異なる二つの表情。恐らくは『王』こそが彼の本当の素顔なのでしょう。彼は二つの異なる立場を自在に使い分けて、この数千年の間、エトリアと迷宮の双方を天秤に掛けて、迷宮に関わる全ての人々の運命を自在に操り続けてきたのです。


 「『王』の真意は私にもわからない。恐らくはレンにも。なぜ『王』が迷宮に冒険者を誘い、そして同時に死に至らしめてきたのか。遂にはモリビトまでも手に掛けようとした。彼の思惑を知る者は誰もいない。……彼は、この世界で最も孤独な人よ。」


 モリビトは『王』を自らの父祖と語っていました。しかし同時に『王』=ヴィズルはモリビトの殲滅を画策した人物でもあります。
 彼らは『王』を評して『人間でもなければモリビトでもない』と語っていました。その表現は一面では正鵠を射ています。彼の意志は人間とモリビト、どちらの理解も届かない、異なる軸、異なる価値観に属しています。


 「『王』の真意を知りたければ『王』に尋ねるよりないわ。尤も『王』がそれを明かしてくれるかどうかはわからないけど。」
 「ならば、やはり私達は迷宮の最奥へ行くしかないようですね。」


 迷宮の最後の番人だった彼女達を退けた今、もはや私達の進む道を遮るものは何もありません。
 あとはただ、迷宮の最奥まで辿り着き、全ての発端であり元凶でもある『王』にその真意を質すのみです。


 「『王』に会って、『王』を質して、そして世界の行き先を決めて。あなた達ならきっと正しい答えを見つけ出せる。私はあなた達に全ての選択を託すわ。」
 「『王』と戦うことになるかもしれません。それでも宜しいのですね?」


 私が尋ねると彼女は私から視線を外して、慈しむような視線を虚空に舞わせました。この迷宮で過ごした日々を反芻するかのような、柔らかな眼差しで。それからゆっくりと顔を伏せて、呟いたのです。


 「……ええ。あなた達ならきっとこの迷宮の『呪い』を解くことができる。そう信じているから。」


 彼女は言い淀むことなく、一息で言い切りました。
 ……ですが、彼女の信頼は過分な期待にも私には思えました。結局のところ、私達は一介の冒険者に過ぎず、私達を取り囲む世界に影響を及ぼすであろう大局を判断する知恵や視界など持ち合わせてはいないのです。
 『氷の剣士』レンは先ほど私たちにこう語りました。
 『迷宮はエトリアの繁栄のために存在する』と。エトリアの繁栄のために冒険者を殺害するのは主客の転倒に他なりませんが、彼女の言い分は一面では真実を捉えてもいるのです。
 全てを暴かれた迷宮は、掘り尽された金鉱のように置き捨てられて、やがて人々は街を去り、そこに迷宮があったことさえ忘れてしまうのでしょう。
 それが果たしてエトリアに集う人々にとって幸福な未来なのかどうか、私には容易に判じかねます。


 最後に私は彼女の首元に包帯を巻いて応急処置を終えました。雑菌の蔓延る不潔な環境下では、この程度が限度です。あとは改めて本格的な治療を施すなり、『世界樹の種』の力に任せるなり、無理を避けて回復を待つのが賢明でしょう。
 とは言え、先程に比べれば彼女の息遣いは随分と緩やかになり、顔色も血色を取り戻しつつあります(尤も彼女は元々顔色が良くないので明確には断言しづらいのですが)。処置中に意識の混濁も窺えず、容態は驚くべき早さで快方に向かいつつあるようです。やはりこれも『世界樹の種』の力なのでしょうか。


 「あなたはさっき、私の呪術を跳ね除けたわね。」


 前振りもなく唐突に切り替わる話題に、私は彼女の意図を掴めず瞬きを繰り返します。


 「完全に支配下に収めたはずなのに。信じられなかった。」
 「え、ええ。呪術も医術も同じ身体を管掌する技術ですからね。」


 身体へアクセスするアプローチの手法が異なるだけで、呪術と医術は表裏一体の技術なのでしょう。だからこそ私は呪術の支配下から脱することができたのです。


 「……でも、それだけかしら?」
 「というと?」


 私の問いかけに彼女は確信を篭めて言を継ぎます。


 「人はね、きっと誰しも意志の力で呪縛を退けることができるのよ。」
 「意志の、力……?」
 「そう、あなたが示してみせたように。だから私は信じるの。人の抱く心の強さは、どんな呪縛も打ち破ることができる。……この迷宮に仕掛けられた強大な呪縛さえも、ね。」


 アリスの喉元に刀を突き付けられ、呪術に四肢を奪われたあの瞬間。今改めて思い返してみると背筋が凍る思いがします。
 私たちは目前に迫った死の幻影を間一髪で跳ね除け、紙一重で大きな勝利を得ることができました。あの苦境を跳ね返したのは、そう、彼女の言うように人間の意志の力。アリス、大切な友人を助けようとする一念が与えた力だったのでしょう。


 「自分を信じて。あなた達の選択はきっと未来を拓く道だから。」


 彼女の言葉が熱い潮衝となって私の胸郭を満たしていきます。
 今に至ってようやく私は、なぜ彼女が先程の一幕に触れたのかを理解できました。
 私たちの一挙手一投足は恐らくこの迷宮の、そしてエトリアの未来をも左右する大事です。そんな世界を転変させる責務を負って、私は高揚を覚える一方で恐怖に慄いてもいたのです。
 しかし、彼女は私の中に眠る強い心の存在を教えてくれました。私の心に巣食う怯惰の魔物を彼女は怪我を押して取り除こうとしてくれたのです。
 私は彼女に感謝しなければなりません。そして誇りに思わなければなりません。
 彼女は私達を信じて、迷宮を踏破する役目を私たちに託してくれたのですから。


 「……ありがとう。」
 「感謝される謂れなんてないわ。私はただの利己主義者だから。」
 「全ては彼女のため、ですか?」
 「そうね、あなた達を嗾けるのもレンのためよ。それ以外の理由なんてない。」


 ぶっきらぼうに言い放つと彼女は私から目線を外します。
 ……彼女の本当の願い。それは先程彼女が言った言葉。迷宮の『呪い』を解くことにあるのでしょう。
 しかし彼女はそれを再び言明せず、敢えて個人的な事由に拠る依頼だと強調しました。
 重荷を背負う必要などない。彼女はそう言いたかったのではないでしょうか。


 そう、私達は冒険者なのです。英雄ではありません。
 だからこそ私たちは冒険者の論理と目線とプライドで、この迷宮の真実と向き合えばいいのです。
 それ以上の背伸びをしたところで、丈の長い服など初めから着こなせるハズもないのですから。




 「約束します。私達は必ず迷宮を踏破すると。」


 言い終えてから、私は枯れ森でアリスが同じような誓約を立てていたことを思い出しました。


 「そう。」


 彼女の受け答えも同じ。
 ですが、一つだけ。彼女の表情が緩やかに綻んでいたことが、あの時とは違っていたのです。






 ツスクルのレンへのゾッコンっぷりは彼女の言動の端々から窺えるのですが、「レンの為ならなんでもやっちゃるけん!」なスゴ味を個人的には彼女からは感じます。なんか思いつめるタイプっぽくないですか? 言い換えるとストーカ……ゲフンゲフン。
 まぁ、なんでもかんでも「それも私だ。」で片付くので話立てには便利なキャラとは言えます。

 そう言えば断崖絶壁での告悔ってのは火曜サスペンス劇場とかでよくある死亡フラグの最たるものなんですが、あの二人はそういう場の流れとかちっとも気にしないで、さっさか立ち去ってしまいましたよね。
 まぁ、アレで投身自殺でもされたら後味が悪いことこの上ないので、どんな形であれ生き永らえてくれたことには正直ホッとするんですが、考えてみたらアイキャンフライしても世界樹の力で死ねなくて痛いだけだからやめたって話のようにも思えてきました。割り切りの早い2人に絶望した!

 医術と呪術。超常現象を否定した世界設定なので、呪術は現実で言うところの催眠術に近いものなんでしょうね。で、現実では催眠術は医療の分野で応用されていることから考えて、両者は近しい性質を持つ技術のように思えます。対比としては面白いかなと思ったんですが、果たして自分の感じているこのワクワク感を伝えられたのかどうか。
 まぁ、結論はテリアカα最強ということで。一人にしか使えないけどねー。