世界樹の迷宮・その39後編(B21F)

バード♂ エバンスの日記


 「話を戻そう。『協定』を結ぶ際に『トオクニの民』とモリビトは相互の安全を確保する目的で互いに人質を差し出す約束を取り交わした。そして『トオクニの民』からモリビトに差し出されたのが…… 私とツスクルだ。」


 彼女達がなぜモリビトの父祖たる『王』の元に遣わされたのか。その疑問は取りあえず氷解した。彼女達は彼ら一族の誠意を表明する目的で殺生与奪の権利を渡された生きる人柱だったのだ。


 「紆余曲折の末に『トオクニの民』はモリビトと『協定』を結ぶに至ったが、モリビトへの恩讐そのものが消えたワケではなかった。彼らはモリビトとの戦いで郎党の多くを失い、酷く傷ついていたのだ。」


 それは今の私達も同じだ。高ぶる憎悪を抑える術を知らず、距離を空けることでしか諍いを回避する道を知らない。全く人間はいつまでも歩み寄る賢明さを学ぶことができないのだろうか。


 「ゆえに『トオクニの民』はこの人質交換に一つの仕掛けを凝らした。それは神の居ぬ月の9日に生まれ、氏神の守護を得られなかった『忌み子』を彼らに与え、その『呪い』の力でモリビトを内部から崩壊させようと画策したのだ。」


 私は言葉を失い、そして幻視した。固く交わされた握手の奥底で密かにたゆたう恩讐の炎のゆらめきを。


 「それが、あなたとツスクル……」
 「そうだ。もっとも彼らのいう『呪い』など、古めかしい非合理な因習に過ぎないのだがね。」


 なぜ彼女達が『王』に忠誠を誓ったのか。私にはその一端が見えたような気がした。
 『トオクニの民』の社会で恐らく彼女達『忌み子』は腫れ物を触るような扱いを受け、幸福とは呼びがたい幼少期を過ごしたのではないだろうか。モリビトに差し出された彼女達は「生存してこそ価値がある」人種だ。歪んだ形かもしれないが、そこで彼女達は初めて人間らしい生活を得ることができたのかも知れない。
 彼女は先ほど自らをして自由であると叫んだ。私はその言葉をある種の虚勢と捉えていたが、確かに彼女はこの狭い牢獄で、しかし地上では得られない人間らしい自由を手に入れたのだろう。


 「モリビトは私達に名前を与えてくれた。それまでは私達は名前すらなかった。名付け親に塁が及ぶという理由でね。」


 『呪い』の余波が名付け親にも飛び火するために彼女達は名前を与えられなかったということか。今でも僻村の多くでは類似の風習があるのかもしれないが、私には彼らの精神構造まで理解が及ばない。


 「ツスクルは『巫女』。そして私はレンという名を与えられた。レンとはモリビトの言葉で『沈む』という意味。転じて『沈められる者』『人身御供』の意だ。」


 全く、名前一つ取っても彼女の境遇の苦さが和らぐことはない。モリビトとの『協定』を保証する意味で差し出された彼女は言わば神に捧げられた生贄のようなものだ。その意味では彼女の役割を端的に表した名前なのだろう。


 「そして私達はヴィズルと出会い、『世界樹の種』を埋め込まれた。」
 「人質としての価値を保つ為ですか?」
 「違う。『トオクニの民』にとって『忌み子』であった私達の命に価値などない。それはモリビトも半ば理解していたことだろう。ヴィズルが私達に『世界樹の種』を埋め込んだのは……恐らく憐憫なのだと思う。いや、憐憫とは違うかもしれないが、何か……そうだな、温情に連なるものなのだと思う。」
 「『王』はあなた達を手駒にする為に『世界樹の種』を埋め込んだのではないのですか?」
 「それは違うだろう。手足となって働く者が欲しいのなら、年端も行かぬ敵対者の子供など頼らずに眷属を用いればいい。現にそうして『森王』や『雪走り』は各階層の守護を命ぜられたのだから。」
 「『世界樹の種』を植えられたのは、あなたの本意だったのですか?」
 「さて、どうだったか。命は消費する為に与えられているのだとそれまで私は思っていた。振り上げた拳を下ろさずに済んだとして、その拳をどう収めようかと悩むように、私は唐突に得た永遠の命の使い道に悩んだよ。」
 「だから『王』の手足となって生きる道を選んだと?」
 「ヴィズルもそれを望んだ。私達の目的は合致したのだ。」


 なぜ彼女が冒険者の命を奪うような承服しがたい任務に長らく従事していたのか、その理由が少し分かったような気がした。
 彼女はそもそも命の重さに頓着がなかったのだ。自らの命を軽薄なものと考え、それゆえに他人の命も同等と考える。
 その歪んだ価値観が矯正される前に彼女は任を与えられ、その役目を果たした。そして成長と共に人間としての情動を得るに従い、自らの為してきた罪悪にようやく気づき始めたということではないだろうか。
 そこまで考えて私は薄ら寒い想像を思い浮かべ、彼女に問いかける。


 「ひょっとして…… あなたはまさか同族に手をかけたことが……?」
 「幸いにもそれはない。彼らは『協定』を守ったよ。」


 私は思わず安堵の息をつく。幾ら彼女が様々な不幸に見舞われているとは言え、自らの手でかつての親族を殺すような悪夢にまで手を染めていたとあっては救いがない。


 「正確に言えば、『トオクニの民』は迷宮に立ち入ることができなかった。しばらくして地表には疫病が蔓延し、彼らは居住地を捨て、四方に離散したのだ。エトリアの街を拓いた入植者が地表に現れるのはそれから長らく時を跨いだ後の話だ。」
 「大陸全土の冒険者に布令を出したのは執政院と聞きます。『王』はそれに関与していたのですか?」
 「その通りだ。」
 「一体なぜそんなことを? 『協定』を以ってモリビトの身を守ろうとした彼がなぜ改めて迷宮に人間を呼び寄せようとしたのですか?」
 「それは私にもわからない。ヴィズルの心を理解できるのは彼ただ一人だ。私も理解に努めたが、遂にヴィズルの心に触れることは叶わなかった。数千年の時を共に過ごして私が見出したのは、ヴィズルの心を頑なに包む不可視の鉄壁だけだ。結局あの人は心に余人を立ち入らせることがなかったのだ。」


 彼女の話を聞くに従い、迷宮の主たる『王』の輪郭は明確になるどころかますます茫洋さを増しつつある。
 ただ分かったことは彼女達にとって『王』は彼女達にそれまでの生き方とは違う新たな道を提示した恩人だと言うことだ。それゆえに彼女達は『王』への報恩を果たす為にその手を血と罪に染めたのだ。


 「だが、永年の時を重ねた今日に至り、私の心にはおぼろげな『王』への疑念が芽生えた。その端緒となったのが、あの『モリビト殲滅』のミッションだ。」


 数千年に渡って築き上げた彼女の強固な信念を揺るがせたのは、またしても『王』の無縫とも思える行動だった。
 『王』の意によって存亡の危機に立たされた彼らモリビトは、彼女にとってはかつての親族である『トオクニの民』以上に身近な隣人だったのだろう。


 「私達がヴィズルの元に身を寄せてから、ヴィズルはツスクルを伝令役としてモリビトに意を伝え、彼らとの接触を断った。モリビトに対し無関心を貫いたヴィズルが今になってなぜモリビトをその手にかけようとしたのか。私にはその理由が分からない。理解できない。ヴィズルはその理由を語ろうとせず、私もまた疑義を問う勇気がなかった。」


 そして彼女は『王』の命じるままに暗躍を続け、両者を戦争の淵に追いやったのだろう。モリビトの工作員を仕立て上げ、自ら処断することで彼女は両者の不和に決定的な火種を蒔いたのだ。


 「彼らモリビトは私と同類なのだ。ヴィズルに忠誠を近い、その身を捧げることも厭わない。しかし、そんな献身的な彼らを地獄の業火に放り込もうとしたヴィズルを見て、私の脳裏に疑念が焼きついてしまったのだ。時が至れば私もまた彼らのように処分されるのではないかと。」


 自らの眷属を手にかける『王』の姿に、彼女は今までにない冷酷な表情を見てとったのだろう。
 『王』と彼女達が幾ら長い年月を共に過ごしてきたとは言え、最終的には彼らは他人でしかない。ならば自分は『王』の血を分けたモリビト以上に使い捨てにされる存在なのではないかと遂に彼女は思い至ったのだ。


 「滑稽なことに彼らモリビトはそれでも『王』を信じ続けたのだ。涙ぐましいまでの誠忠でね。私はそんな彼らの愚直さが疎ましくもあり、また羨ましくもあった。」


 煩悶する彼女の苦痛を彼らモリビトは分かち合うことが出来ない。何も知らないことが幸福だという事実も世の中には往々として存在する。


 「それだけに彼らが『王』と袂を分かつとは全くの想像の範疇外だった。彼らもまた私とは違う形で懊悩し、そして決断したのだろう。」


 彼女はツスクルの言によって彼らの友人が新たな世界へ旅立ったことを知った。新しい時代に生きることを選択した先導者の存在が彼女の心の奥底に眠っていた勇気にある種の影響を与えたであろうことは想像に難くない。


 「置いてきぼりにされた気分だった。だが、私は彼らの姿勢を素直に賞賛したいと思ったよ。それは私が長年に渡り逡巡を繰り返していた分岐路だったのだから。」




 私が口を開きかけたところで、彼女の視線は私を飛び越えて、背後から私に近づく足音の持ち主に向けられた。振り向くとそこには治療を終えたルーノと、首に厚く包帯を巻いた『呪い師』ツスクルの姿があった。
 『氷の剣士』レンは立ち上がると裾についた埃を払う。問答はもう終わりだということだろう。


 「騎士アリスベルガ!」


 『氷の剣士』に名指しで呼ばれたアリスベルガは腕組みを解くと彼女にゆっくりと歩み寄った。


 「未だ私は歩むべき道を迷っている。だが私に光明を与えてくれた君には感謝している。」


 彼女はそう言うと、帯から鞘ごと刀を抜き取り、右手を突き出した。


 「ゆえに君に受け取って貰いたい。」


 アリスベルガは呆気に取られた様子で煌びやかな装飾の施された鞘とレンの表情を交互に見やる。


 「しばらく私には不要になるものだ。君にこそ必要なものだろう。」


 先ほどの戦いでアリスベルガの愛用の大剣は遥か眼界の彼方に霞む遺跡群のいずこかへ吸い込まれてしまったのだ。それだけに迷宮の深層へ歩を進めるために武器を新調する必要があるのは事実だった。


 「しかし…… 私は刀なんて扱ったことがない。」
 「似たようなものだ。第一、君はその大盾こそが武器なのだろう。ならばこれは飾りだ。気負う必要はない。」
 「だがそれなら尚更私が受け取るワケにはいかない。素人に佩かれては折角の業物が泣く。」
 「刀剣も佩かずに騎士の儀礼もあったものではない。そんな不調法な輩をヴィズルに接見させるワケにはいかない。私に恥を掻かせないでくれ。」


 アリスベルガは助けを求める視線を周囲に散らす。その様子を見たルーノは小さく吹き出すと彼女に声をかけた。


 「あなたの負けよ、アリス。ありがたく頂きなさい。」


 アリスベルガは未だにぶつぶつ何事かを呟いていたが、やがてレンの助けを得て腰帯に刀を帯びるに至った。大柄で重量感のある全身鎧と優雅で細身な和刀は取り合わせとしては極めて珍妙で、まるで子供用の玩具の剣を刷いているかのようだ。
 アリスベルガは恐々と鞘から刀身を引き抜くと、中段の構えから2、3度空を払う。


 「恐ろしく軽いな。軽すぎて不安になる。」
 「体重を乗せるのではない。鋸を引くように撫で斬るのだ。」
 「なんとなくは分かる。」


 剣術を教える教師と生徒といった風情で短い時間を彼女達は剣の修練に費やした。やがてアリスベルガは得心した様子で刀を鞘に収めるとレンに向かって礼を述べる。
 手拭を取り出し汗を拭うアリスベルガを尻目に、私はレンに質問を投げかけた。


 「あなた達はこれからどうするつもりなのですか?」


 その問いかけにレンはツスクルの顔を見やり、次いで天井を見やり、そして口を開いた。


 「地上に出て、離散した『トオクニの民』を探して世界を巡る旅に出ようと思っている。」
 「それはいいですね。」
 「同じ血を引く輩に出会ったとして、何かを得られるとも限らないのだが。」
 「いや、それは瑣末なことです。自分の心の赴くままに世界と相対すること。それが大切なのだと思いますよ。」


 私の言葉に彼女は苦笑した。いや、破顔したのを見られまいとして無理に顔を歪めたと言ったほうが正しいだろうか。


 「一切を話して少し気が軽くなった。私の為した罪過を思えば、贖罪にはまるで至らないが、ようやく心に整理がついたような気がする。君には感謝している。ありがとう。」
 「いえ、私こそあなたを詰るような真似をしてしまって。全く己の不明に恥じ入るばかりです。」
 「詮無きこと。それが人間のあるべき反応だ。そして……」


 彼女の右手をそっとツスクルが両手で包み込む。慈しむような眼差しで彼女はツスクルを見やる。『氷の剣士』と呼ばれた怜悧で非情な剣士の姿はそこには微塵にも感じられなかった。


 「……私に与えられた時間は長い。この時間をどうやって贖罪に費やすか。それはこれからゆっくり考えるさ。」


 柔らかい彼女の表情に一抹の安堵を覚えつつ、しかしその一方で私は腹の底に広がる黒く澱んだ波動を感じてもいた。


 モリビトの父祖であり、彼女達の主であった『王』。確かに『王』の温情によって彼女は『忌み子』という暗く呪われた宿命を乗り越え、『氷の剣士』という新たな生を得たのかもしれない。
 しかし『王』は彼女達の無垢なる忠誠心に付け込み、結果として彼女達を永遠の煉獄に放り込んだ。恣意的な策謀で彼女達の手足に重い枷を嵌め、永年の忠勤を仇で返したのだ。
 『王』の真意は未だに分からない。従って『王』の弁明を聞かない限り、全ての是非を論じるのは早計に過ぎるのだろう。
 しかし、私の心の奥底に燻る暗い情念の炎は、今すぐにでも『王』の利己的で理不尽な振る舞いを責め立てようとしているのだ。


 だからこそ『王』に会わなければならない。『王』に問い質さなければならない。
 私の抱くこの情動は果たして真実を捉えているのか。それとも私達の及びもつかない深慮がそこには存在するのか。それを確かめて、迷宮を舞台にしたこの悲劇に幕を下ろさなければならない。


 真実は余りに苦く、余りにやるせない。しかし、私達は真実を追い求めずにはいられない。なぜなら冒険者はいつだって真実に飢えている。好奇心の渇きを癒すために、冒険者は探求を続けるのだ。
 今まで多くの冒険者がその好奇心ゆえに命を散らせてきた。だから彼らの代行者となり、その無念を私達が晴らそう。この迷宮の真実をこの目で見据え、そして迷宮の行く末を見届けよう。
 もはや手の届く場所にそれはある。さぁ、行こう。迷宮の奥底に忘れられた『王』の居城。全ての真実が眠る揺り篭へ。






 ミニコミ誌によるとレンとツスクルの戦闘BGMは「トオクニの暗殺者」という名前で発注されたそうです。ゲーム中BGMセレクトの「レンとツスクル」が該当する曲目ではなかろうかと。
 で、この「レンとツスクル」ですが、イントロこそパイプオルガンが効いてキラキラした感じのキレイな曲なんですが、それが終わると途端に重低音の強いデロデロした流れに変わっていくという、非常に2面性の強いBGMで、この暗殺者2人の特異な立場を端的に表している曲のように個人的には思えました。或いはキラキラ=レンで、デロデロ=ツスクルとか。
 ゲーム中、殆ど聞く機会のない音楽なんで、耳に残りにくいBGMではあるんですが、改めて聞き直してみると色々面白い曲ではあります。


 「トオクニ」という固有名詞も色々と興味を引くところで、漢字を当てはめると「遠国」なのかなぁと思いますが、新納さん的な捻りを加えると「東国」も怪しいような気がします。
 ただ、トオクニという呼び方は現地の人間が自分の所属を名乗るというよりは、トオクニ以外の文化圏の人々がブシドーやカスメを指して「あのトオクニの連中」みたいな呼び表し方をしそうな雰囲気があるので、固有名詞というよりはForeign countryに近い語感の一般名詞なのかもしれません。そう考えると「遠国」がやっぱりハマりやすいのかなぁ。


 レンの名前について。ツスクルが巫女一択のわかりやすい名前であるのに比べるとレンはなんか取り幅が広くて困ります。「3人」説と「沈む」説が有力らしいので、なんとなく後者を採ってみました。
 で、海外版のEtrian Odysseyだとお国柄からツスクルの名前がTlachtga(トラクトガ……アイルランドドルイド教祭司らしい)と変わっているので、レンも相応の名前に変わっているんじゃないかと調べてみたところ……レンはRenのまんまでした! というかRennですらないし! 英語的にはやっぱ変な綴りだもんなぁ、nn。
 ……ということでレンの名前にはツスクルのような特別な意味合いはない、が実は正解臭いのですが、それだとまたしてもブシドー冷遇でネタキャラに拍車がかかってしまうので、応援の意を込めて実はちゃんとした意味があるんだよ、と個人的には声を上げたいところです。まぁ、単純に現行の和風路線を継承しただけなのかもしれませんが。


 なんか色々あって自分の中のレンのキャラ像が「薄幸」になりつつあります。レン、君はいいキャラだったが、君のお父上がいけないのだよ。