世界樹の迷宮・その41中編(B25F)

 パラディン♀ アリスベルガの日記


 「息絶えろ、世界樹の王! お前の生きる大地は既にない! お前のいるべき場所へ還れ!」


 刀が心臓に達する確かな手応えを感じ、刹那、振動が止まった。
 血の気を失った世界樹の心臓は鮮やかな血色を急速に失い、死人のように青ざめていく。
 ……終わったのか。手元に目を落としたその瞬間、横面を強烈な勢いで叩かれた私は空を泳いで無様に床を転がった。


 「アリスベルガっ!?」


 何が起きたのか、瞬時には理解できなかった。
 ふらつく頭で視線を世界樹の心臓に転じようとすると、宙空を飛来する人影の存在に気づき、そちらを目で追ってしまう。四散した壁の残骸の中へ勢いよく墜落したその人物は、他でもない金髪の錬金術師だった。


 「ウィバっ! しっかりしろっ!」


 ようやく私は世界樹の王が未だ健在であることを知った。心臓に刃が達した今でもなお『王』はまだ現世に足を止め続けている。
 大地から身体を再構築する『世界樹の種』。その原種の力が『王』には宿っている。その力は傷ついた心臓までも瞬時に復元するというのだろうか。
 気づいてみれば、ジャドが動きを封じたはずの触手の群れは再び『王』の制御を受け入れ、指揮下に組みこまれていた。私を殴打し、そしてウィバを弾き飛ばしたものの正体はそれだったのだ。
 触手の一群は再び仲間達を標的にして、狼の群れのように代わる代わる攻勢を仕掛けている。リーダーとルーノを守るようにジャドがそれら触手を弾き返しているものの、防戦に不慣れなことが災いして動きは鈍い。このままではジリ貧だ。


 「ジャド! 一旦後退しましょう!」
 「ダメだ、ここで引いたら向こうの思う壺だ! また四方からの攻撃に晒される!」


 私は鈍痛の走る体を引き起こし、そしてようやく異常に気づいた。
 ……刀がない。レンから預かったあの刀がない。
 転倒した際に落としてしまったのだろうかと私は四方に視線を巡らせるが、それらしき影はない。
 まさか、と唾を飲んで私は世界樹に視線を転ずる。世界樹の心臓。そしてそれを取り巻く防護膜。その中にレンの刀が取り込まれていた。心臓に先端を宛がったまま、再び防壁を形作る防護膜によって覆い囲まれたその刀は、琥珀の中に浮かぶ化石のように静止していた。


 何がなんだか分からなかった。勝利を確信したあの一瞬から、転じて私達は極度の劣勢に立たされている。ジャドの『封じ』が『王』の動きを止めた。仲間たちの援護で防壁を破った。そして私の一撃は確実に世界樹の心臓を捉えた。
 私達は世界樹の王を追い詰め、そして勝利をこの手にした。手応えでそれが分かった。


 なのに。なのに。『王』は未だ健在で、止むことのない攻撃で私達を苦しめている。
 私は武器を奪われ、戦線から弾き出され、ウィバは衝撃で昏倒してしまった。ジャドとルーノとリーダーは未だ抗戦の構えを取ってはいるが、敵方の雪崩のような攻勢に戦線を維持し続けることは困難を極めるだろう。
 なにより一連の奇襲で手札を使い果たした私達が抗しえる手段はもはや底を尽きていて、窮地を脱する道筋などまるで見えてこない。


 「伏せろっ!」


 ジャドの叫びは突如として大気を粉砕した爆音によって掻き消された。
 視界を真白に染める閃光。一瞬遅れて爆炎が翻り、天井に向かって黒煙がもうもうと立ち上る。
 唸りを上げて吹き付ける熱風と共に、抉り取られた地面の破片が飛礫となって顔を叩く。気がつくと私の横にはうつ伏せに寝転がる男の影があった。


 「ジャドっ!」


 黒のチュニックに身を包んだその男はジャドだった。土埃に塗れて落着したジャドはピクリとも動かず、うつ伏せのまま地面に顔を埋めている。
 ジャドはあの爆発をまともに食らってしまったのか? ならばルーノは? リーダーは? 2人は無事なのか?
 しかしあの爆発は一体なんなのだ。ウィバの放った錬金術ではない。ウィバは未だに意識を取り戻すことさえ叶わず、瓦礫の海の中でつかの間の悪夢に浸っている。
 黒煙が薄まると、その向こう側に炭化して一面黒く染まった世界樹の表皮が見えた。表皮は元より、世界樹の樹枝たる触手の多くまでもが半ばまで焼け落ちている。
 あの爆発は私達はおろか、世界樹もろともを焼き焦がしたのだ。ならばあの爆発は世界樹の根元に取り付いた私達を振り払う為の『王』の捨て身の一撃だったのだろうか。


 「レンとツスクル。トオクニの民を退けた冒険者の力量とはこの程度のものか。」


 しわがれた声が突如として上空から響く。私が世界樹を仰ぐと、その中腹に『王』の顔が人面瘡のように浮かび上がった。


 「消耗戦を強いてようやく五分に戻した程度でよくも言う……!」
 「蒙いた知恵で百事を量ろうとは笑止千万。迂愚なるがゆえの滑稽さだ。」


 この男は何を言っているのだ。確かに私達は痛手を負ったが、それは『王』とて同じことだ。
 今や世界樹を外敵から守護する器官の多くは失われ、今はどちらも攻め手を失っている。それにも関わらず一方的に余裕を誇示するその態度は私には傲慢としか映らない。


 「ならばその目に確と焼き付けるがいい。人類の叡智の結晶を。永遠なる生命の奔流を。」


 『王』の宣言と共に、世界樹が光に包まれた。淡い緑色の光を発する粒子の破片が天井から雪のように降り注ぎ、世界樹の表皮に落着していく。
 光の雪は、黒く焼き焦げた世界樹の表皮に染み込むようにして消えてゆき、それと同時に炭化した表皮の奥から新緑の若芽が飛び出すように顔を覗かせる。そして世界樹が纏う黒炭の層は急速に始まった芽吹きによって押し出されるようにして剥ぎ落とされ、まるで世界樹は脱皮するかのように古い体皮を脱ぎ捨てていく。
 大量の酸素を供給すべく活発に収縮と拡張を繰り返していた私の心臓が落ち着きを取り戻す頃には、世界樹の表皮は私達が初めて見たときと同じ、粘性を伴う鈍色の姿を取り戻していた。


 「『世界樹の種子』か……!」


 不老不死さえ実現化した科学の極み。この世界樹はその力を具現化した存在なのだ。
 『王』は表皮の焼失など初めから気にも留めていない。一種の自爆戦術をとってなお、有り余る回復力を開放することで『王』は継戦能力を保持できる。世界樹と戦うのは無限の余剰兵力を持つ兵団と戦うようなものだ。決して疲れず、決して引かず、決して倒れない。無敵の兵団だ。
 『王』の言葉は事実だった。これは消耗戦ではない。消耗戦ですらない。
 『王』は世界樹の持つ無限の生命力を利して、ただただ私達に損耗を強いればいい。余力のあるうちは私達も抵抗できるだろう。運がよければ『王』に有効な一撃をお見舞いできるかもしれない。
 しかしそこまでだ。私達が例え有効打を加えたとしても、追撃を加える前に世界樹は自己の傷耗を回復してしまうだろう。そして次の新たなチャンスを得る為には、私達は更なる時間と労力を費やして臨まねばならない。更なる消耗を強いられて、より微小な機会を待ち続けるしかない。
 私達を待っているのは、機会の縮小再生産だけが続く不毛なだけの戦いだ。


 「理解したかね。汝らが幾ら足掻こうとも全能なる神の御業の前には無為に過ぎない。」


 世界樹の王とは。
 新世界を作り上げた『王』の力とはここまで強大なものだったのか。
 いくら私達の力を束ねたとしても『王』の足元にも及ばない。私達は巨象の前に身を晒す地虫も同然だ。
 今まで私は多くの困難を仲間と共に乗り越えてきた。それが私達の信頼の源だった。しかし、今ではその事実が一片の自信にさえ繋がらない。
 私達は勝てない。勝つための方策が見つからない。
 体が、ただ重い。総身に染み渡るように広がる絶望感が体温を奪ってゆく。


 「されど卑小なる者よ、汝らはよく努めた。自らの命を厭わず勇を奮ったその姿、賞賛に値しよう。」
 「……何が言いたい。」
 「取引だ。」


 『王』の意外な申し出に私は言葉を失った。
 勝利を確信した『王』はむやみに羽虫を叩き潰すことを潔しとせず、勝利者の余裕を誇示しようとしているのだろうか。


 「取引だと……?」
 「左様。汝らの健闘を称える褒賞だ。」


 首肯すると『王』は歪んだ笑みを浮かべて言い放った。


 「我が手足となり、定命の執着を捨て、人類の未来を見守る観察者の業を負え。」


 私は絶句した。言葉こそ婉曲だが、『王』は私達にレンやツスクルと同じ、暗殺者の道を選ぶことを要求してきたのだ。


 「……断る。」
 「短慮は愚行の最たるものだ。これは汝らが生き延びるための最後の選択だ。よく考えたまえ。」
 「断ると言っているんだ!」


 私は腰元から予備の小剣を引き抜くと、世界樹に向かって走り出す。
 勝算が見えたワケじゃない。目的があったワケじゃない。
 ただ、何も考えたくなかった。早くこの戦いを終わらせたかった。
 早く戦いを終わらせて、エトリアの街に帰って、金鹿の酒場で薄いエールを皆と煽って、それから、それから……


 上空から襲い来る触手の隊列を私は小剣で切り払う。触手の頭を切り落とすと、薄緑の光に包まれたそれは間を置かずに新たな頭を再生させる。『世界樹の種子』の力か。
 それでも私は次から次へと飛来する触手の一群を小剣で切り払い、盾で受け止め、前進する。


 私は無我夢中に走り続けた。世界樹の根元へ。世界樹の心臓へ向かって。
 しかし、荒れ果てた足場に足を取られた私はバランスを崩してよろめく。
 その瞬間、踊りかかってきた槍状の触手を私は避けることができず、触手は私の鎧を突き破った。


 「……眠りたまえ。我が胎内にその身を横たえて。」


 鮮血が鎧を真紅に染めた。衝撃で私は仰向けに倒れ、甲高い金属音が部屋中に響いた。
 小剣で触手を切り払い、穂先を引き抜いて投げ捨てる。血が一気に噴き出した。
 私は奥歯の合間から漏れる苦痛の声音を必死で押さえ込み、左手で流血の続く腹部を押さえつける。
 敵の追撃がなかったのは幸いだったが、それでも私は戦闘能力の大部分を失ったことを悟った。


 私は残された力を振り絞って上体を引き起こす。掠れる視界に巨大な世界樹の姿が映る。
 世界樹を取り巻いていた薄緑の生命の光は、なぜか突風に煽られて吹き消えようとする灯火の光のように弱々しく明滅している。
 だが、それも恐らくは『世界樹の種子』の力をもう必要としなくなったためなのだろう。
 仲間は皆倒れ、残った私も慢心創痍で、もはや戦う力は残されていない。敵対者を掃討した今、過剰なまでの再生能力などもはや必要ないのだ。


 ……まったく、情けない話だ。
 『王』を討ち果たすと息巻いて、挑んでみれば片手であしらわれ、屈辱的な交渉を持ち出され、挙句の果てには余裕まで見せ付けられる。世界樹の迷宮を踏破する力など、元々私には備わっていなかったのだ。
 だからこの結末はまったく理不尽でもなんでもない。落ち着くべくところに落ち着いた、当然の帰結なのだ。




 「アリス、諦めてはいけません!」


 その声に私の視界が明瞭さを取り戻す。気がつくと私の傍らにはルーノがいた。彼女は私の腹部の治療を行っている最中だった。


 「ルーノ、無事だったのか……?」
 「ジャドさんが庇ってくれたんです。私と、そしてリーダーを。」


 ジャドは自らの身を挺して、あの爆発から2人を守ってくれたのか。
 首を捻じ曲げて、私は直立するリーダーの姿を視界に捉えた。その顔は緊張に満ち、いつにない厳しさを帯びてはいたが、幸いにも大きな怪我を負っている様子はなかった。


 「『王』は? 奴はなぜ追撃を仕掛けない? まさか……!」


 私は瞬時に先程の取引の話を思い出す。ルーノとリーダー、もしかして2人は『王』の差し出した契約書に自らの血を以って判を押してしまったのか!?


 「いえ、それが私にもよくわからないんですが。……どうも『王』は再生の力を失い、それに動揺しているように見えます。」


 私の懸念は杞憂にすぎなかったようだ。とりあえず私は胸を撫で下ろしたが、同時に新たな疑問も沸く。


 「どういうことだ? 再生の力を失ったとは?」


 私の問いかけにリーダーは世界樹の大樹に視線を向けて答える。


 「世界樹を取り巻いていた緑の光、生命の力が先程から掻き消えているんです。」
 「余裕を見せているだけではないのか?」
 「だとしても詰めを手控える必要はありませんよ。満身創痍の私達にトドメを刺すのに大した労力は要りません。」
 「『王』は警戒しているというのか?」
 「……恐らくは。或いは私達が『世界樹の種子』の力を打ち消す術策を持っているのだと疑っているのかもしれません。」


 もし、そんなものがあるならこっちが教えて欲しいものだ。
 とは言え、この状況は極限の絶望下の中で不意に湧き出た最後の好機とも言えた。
 理由は不明だが、もし本当に『王』が『世界樹の種子』の力を失ったのだとすれば、再生の時間を与えずに、再び世界樹の心臓を突き破ることで或いはこの戦いに終止符を打てるかもしれない。
 だが一方で……


 「ブラフという可能性もあります。出し惜しみしているだけかもしれません。」
 「そんな児戯めいた遊びを好む輩でもないと思うのだがな。」


 合理的な解釈を当てはめようとするならば、『王』は先程の取引に未だ拘泥があるのではないだろうか。
 レンとツスクルが『王』の手元を離れた今、自らの意志を代行する持ち駒を『王』は必要としているハズだ。
 そのために『王』は私達を生かさず殺さず、時間をかけてじわじわと消耗を強いて、心を折って従属を誓わせようとしている。今は懐に飛び込ませるために敢えて隙を見せているのかもしれない。
 絶望を味あわせる為に仮初めの希望を与える。それはあの男らしいやり口に思える。


 「アリス、見て!」


 緊張を帯びたルーノの示唆に世界樹に視線を転ずると、一度は消失していた生命の光が徐々に輝きを増し始め、世界樹は再び蠢動を開始しようとしていた。


 「くそっ、やはり『世界樹の種子』は健在ということか!」


 ルーノの手による治療が終わり、私は上半身を捻って感触を確かめる。
 全くルーノの手際は見事なものだった。戦時と言うこともあり、治療は簡潔なものだったが、止血は完璧で動きを妨げることもない。これなら十二分に体を動かせる。
 軽く顎を引いてルーノに目配せすると、彼女は頷いて皮袋を差し出した。


 「これ、返しますね。」


 治療の妨げになるために解いたのだろう、ルーノが差し出したのは呪い鈴の入った皮袋だった。
 私は呪い鈴を受け取って、その重みを確かめるように握り締めると、再び腰帯に皮袋を結わえる。
 意気を新たに顔を上げると、リーダーの惚けた顔が目に入った。


 「……アリスベルガ、それはなんですか?」


 リーダーは私の腰元に結わえられた呪い鈴を指差して尋ねる。そう言えば私は呪い鈴の仔細について彼らには事情を話していなかったような気がする。


 「……ああ、これは、ツスクルから預かったものだ。」
 「枯れ森で頂いたんですよね。」


 途端にリーダーの表情が険しさを帯びる。


 「アリスベルガ、それを貸してください! ひょっとしたらそれは……!」
 「アリス、危ない!」


 上空から舞い降りる猛禽のような鋭さで世界樹の触手が急襲を開始した。
 私は腰帯から皮袋を解いてリーダーに投げ渡すと、踵を返して小剣を引き抜き、触手を縦に切り裂いた。
 苦悶に蠢く触手は仰け反るようにして上空へと避難するが、自ら纏った生命の光によって再生を果たすと再び急降下を開始する。


 「定命の者よ、迷える愚者達よ! その命を大地に捧げ、以って自らの罪を贖うがいい!」


 『王』の呼号を契機に敵の攻勢はより一段と激しさを増した。四方からの間断のない襲来に私達は手を止める暇さえ与えられない。
 しかし、それでも私が持ちこたえられたのは、ルーノが私の背後を守ってくれたからだ。彼女は杖を用いて飛来する触手を殴打して敵の攻勢を漸減する。私は前方の敵だけに集中することができたので、負担は先程よりも数倍減じている。


 「くそっ、これじゃ埒があかない!」
 「せめて『世界樹の種子』さえ無力化できれば……!」


 私達が抗戦を続ける間、リーダーは長閑にも地面に腰を下ろして、呪い鈴を振り鳴らし、かと思えばリュートを爪弾き、思案げな表情で唸っている。


 「何を遊んでいるんだ、リーダー! この非常時に!」
 「いや、そうじゃないんですよ!」
 「アリス、後ろよ!」


 リーダーを詰問する暇も与えられず、私は再び戦場に引きずり出される。
 相変わらず止むことを知らない敵の攻勢を前にして、私の体に徐々に疲労の澱が蓄積し、剣を振る腕が重くなり、フォローバックが遅れてゆく。
 相手を牽制するための余分な動作が入り始めると、疲労感が加速度的に身体を蝕むようになり、盾を構えることすら億劫になる。鎧の重さに至っては膝を曲げれば即座に自重で押し潰されそうになるほどだ。
 それはルーノも同様で、先程までは縦横無尽に振り回していた杖に今では逆に振り回されているような感さえある。


 「まだ抗うか、定命の者よ!」


 限界などとうに超えていた。息つく暇も与えられず、私達は終わりのない戦舞にただひたすら身を躍らせている。
 手足は鉛のように重く、心臓は破裂せんばかりに喘いでいる。
 それでも私が戦うことを諦めなかったのは、仲間たちがいるからだ。少なくとも自分の命ある限り、私は仲間を守りたい。例えこの場で息絶えるのだとしても、仲間のために死ぬのだと自分を納得させたい。
 それは陳腐なヒロイズムなのかも知れないが、それでも自らの無力さを嘆いて孤独のうちに死んでいくよりはずっとマシだ。
 自分の命が無駄だったとは私は思いたくない。仲間のために命を懸けたことを誇りに思いたいのだ。


 握力の尽きた右手から小剣が零れ落ちる。私は小剣が地面に弾かれるのを見た。硬質で虚ろな響きを聞いた。それは宵闇の訪れを告げる無常な鐘音だった。


 「あなたを死なせやしませんよ! みんなで生きて帰るんです!」


 突如として背後から奇妙なリュートの調べが波涛のように押し寄せた。軽快で、しかし重厚で、喜怒哀楽全てを表そうとするような全く掴みどころのないメロディ。加速し、減速し、次々と転調し、気まぐれな春の天気を思わせるような先の読めない、しかしそれでいて全く淀みのない調べ。


 部屋全体に響き渡るリュートの音色が奇妙な現象を発現させていた。
 生命の光に照らされていた世界樹がまるで雲間に沈む太陽のように後光を失っていく。世界樹の樹枝はみな混乱に陥り、方向性を見失って、上空へと避難していく。一体何が起きたのだ?


 「あの呪い鈴のおかげですよ。」
 「呪い鈴だって!?」


 弾む指先でリュートを軽やかに奏でながらリーダーが口を開いた。


 「あの呪い鈴の音色には『世界樹の種子』を打ち消す力があったのです。」
 「ツスクルから貰った、あの鈴に?」


 リーダーは私の問いかけに力強く頷いた。


 「生命が自ずから備えている再生能力を阻害する力、といった方がより的確かもしれません。『世界樹の種子』に生命の『生の本能』を増幅する力があるとすれば、呪い鈴はそれとは逆の『死の本能』を発現させる力を備えていたのです。まぁ、さすがに呪い鈴を使いこなすには呪術師としての素養が必要です。ですが、呪術も呪歌も同じ周波の揺らぎを用いた技術ですからね。要諦さえ掴めば、呪歌にも応用は可能なのですよ。」


 全く、この男はいつでも予想外の殊勲をやってのける。
 緊張の糸が切れてしまったのだろうか、自分でも押し止めることの出来ない低い笑い声が漏れた。


 「じゃあ、先程一時的に『世界樹の種子』の力が消散したのは……」
 「アリスベルガが転倒して、呪い鈴を鳴らしたせいでしょうね。」


 とんでもない偶然ですよ、とリーダーは呆れ顔で呟く。
 しかし、私にはそれがただの偶然には思えなかった。ツスクルは…… 彼女はこの事態を見越して、あの時私達に呪い鈴を預けたのではないだろうか。彼女の性格から考えるとそれは合理性に欠けた推論だとは断じ切れないようにも思える。


 「いずれにしても……」


 リーダーは一度咳払いをして言葉を続ける。


 「私の『奇想曲』では『世界樹の種子』の力を打ち消すことしかできません。従って『王』の本体に止めを刺すには……」


 そしてリーダーは私を見据えて力強く言い放った。


 「アリスベルガ。あなた達の力が必要なのです。」
 「……ああ、任せてくれ。」