神ゲー来た!

torinity02007-11-26


 腹は括りました。詳細はまた後日!
 裏面のキャッチコピー「それは、愛とか、勇気とか、感動とか、忘れたものを、思い出させてくれる。」ってのが妙に力が抜けてて面白いですね。『とか』使いすぎ。読点も多すぎ。



 http://www.atlusnet.jp/topic/detail/287


 アトラスネットのカドゥケウスコラム。
 プランナーの後藤さんの言葉が物凄く鮮烈だったので引用してみます。


>人間の意識って不思議なもので、
>同じ「失敗」でも「失敗したくない」と思っている時に失敗した場合の原因は「自分」と思えるのに
>「失敗するはずが無い」と思っている時に失敗した場合の原因は「ゲーム」にあると思えます。


 これが一番実感できるのって例えばRPGなんかの攻撃ミス。大体RPGの通常打撃ってまず攻撃が外れないじゃないですか。だから攻撃がミスるのってそれだけで凄く理不尽に感じるんですよね。「これは仕様からおかしいんじゃなかろうか?」と思ってしまうぐらい。
 これは「攻撃は当たって当たり前。それ以外の結果は認めん!」という思考が無意識的に働いてるから起こる作用で、FEとかの事前に命中率が表示されるゲームで「よし、分かった! 攻撃ミスるかもしれん! でも敢えてオレはこれで行く!」って納得済みでミスるのとは全く意味合いが異なってくるんですね。
 ちなみにスパロボはパッと見ではFEの仲間っぽいんですが、アレは容易にリセットが利く「失敗していい」=「失敗するはずが無い」ゲームなので、攻撃がミスると「この命中率絶対おかしい!」と叫ぶことになるんですな。


 そういう意味では面白いゲームと言うのは、「失敗したくない」と思わせる緊張感を与えつつ、ユーザに責任を被せるつくり、成否の判断をプレイヤーに握らせる、責任転嫁させる作りが要求されるのかなと思ったりします。もっと簡単に言えば「失敗した理由が納得できる作り」というか。
 具体的にそれをどうやって成立させるかは、まぁ、そこが開発者の腕の見せ所なんでしょうけれど(笑) 玉利さんのコラムからはその辺の仕掛けが読み取れますね。


 更に言えば、失敗してからのリトライがテンポよく進むゲームは、一度湧き上がった挑戦の気力を萎えさせずに再チャレンジする気概をユーザに与えるので、この辺のレスポンスがこの手のゲームにのめり込ませる上では凄く大切になりますよね。
 最近ではG1ジョッキーWiiのリトライが、不快感を全く感じさせずにテンポよく再挑戦できる作りで凄く感心しました。やっぱりこういう細かい部分の完成度が高いのがシリーズモノの強みだとも思うんです。
 そういう意味ではカドゥケウスも今までのノウハウの積み重ねがありますから、従前のシリーズに比べて更にユーザの感覚にフィットした高い完成度を備えたゲームに仕上がるんじゃないでしょうかねぇ。
 とかあんまりカドゥケウスプレイしてないのにダラダラと書いてみました。