裸ソフトはどこに消えた?

 家に帰ってみて、DSを鞄から取り出すとタッチペンがなくなっていた。慌てて鞄を引っくり返してみても見当たらず。ホルダーがユルユルになってたので薄々ヤバいかなーと思ってたんだけど、遂にその時が来てしまったか。
 まぁ、タッチペン自体は『すばらしきこのせかい』と一緒に買った予備のものがあるからいいんだけど、これってDSL用で本体に収納できないのよね。お店にあるタッチペンもみんなDSL用で、旧DS用のタッチペンってなかなか見当たらない。いつの間にかマイノリティになってた気分だ。


 DSL用のタッチペンもいつ無くすかわからないし、既に一本どっか行っちゃったので、予備を確保しとこうとクラブニンテンドープレゼントを申し込むことにした。確かタッチペン7本セットみたいなのがあったような気がしたので。
 そんなワケでクラブニンテンドーのプレゼントページを見てみたんだけど、あれ、タッチペンセットがない。以前はマリオのタッチペンの次にあった気がしたんだけど。品切れかいな。
 画面をスクロールさせると下の方に7色タッチペン+カードケースを発見。うーん、カードケースは別にいらないというか。タッチペンだけ欲しいんだけどなぁ。
 とは言えポイントの使い道が別にあるワケでもないので即注文。


 で、ここからが本題なんだけど、カートリッジを保護するためのカードケースなんてものに需要ができるって、昔を振り返ってみたらちょっと変というか、凄く奇妙な話じゃなかろうか?
 いや、複数のゲームをまとめて保管できるとか、コンパクトにソフトを携帯できるとか、実用面で意義があるのはわかってる。そうじゃなくて、もっと根本的な話として、昔はカートリッジってそもそもケースなんかに入れずに裸で放置しとくようなものだったんじゃないか、ってこと。
 勿論、自分もDSカードは逐一ケースに収めているし、そのことに対して今までなんら疑問を持つことはなかった。DSカードを裸で放置するってことにも凄く拒否感を覚える。
 でも、昔はそんなんじゃなかったと思うんだよね。中古屋なんかを覗いて見ればわかるけど、FCやSFCのソフトをケースを取っ払って扱うのは稀な話じゃなくて、きちんと箱と説明書を保管しておくなんてマメなヤツだと思われてた気がする。
 取り扱いもぞんざいで、自分なんかは裸カセットのドラクエ3を自転車のカゴにそのまま放り込んでガシャガシャ言わせながら友達の家に遊びに行ったことも頻繁にあったし、当時のゲームソフトってのは精密機器ってよりはもっと玩具的な扱われ方をしていたように思う。
 昔のROMカセットとDSカードにそんなに相違があるかと言えば、サイズの差ってのがあるにしても、それが習慣にまで影響するほどの差とは思えないんだよね。サイズをどうこう言うならGBはどうなのかってことにもなるし。
 端子が剥き出しだから? FCも端子は剥き出しだよなぁ。見えやすいか見えにくいかだけの差はそんなに大きいものだろうか。


 自分としてはROMカセットとDSカードの違いは、間にディスクメディアを挟んだか否かの違いなんじゃないかと思う。読み取り面に傷をつけたらデータを読み出せなくなるディスクメディアの登場は、ゲームメディアの性格を玩具から精密機器にシフトさせたから。
 だからユーザとソフトの関わり方に劇的な変化が発生したのがPS期。そのPS期の慣習から生まれたのがカードケースなる品物の誕生の由来なんじゃなかろうか、とまずは仮定してみたい。

 ただ、PSに代表されるディスクメディアが粗雑な取り扱いを禁止した一方で、GBCGBAのソフトなんかはFC、SFC期と同じく裸ソフトで扱われる事が多かった。これもやっぱり中古屋を覗いてみれば一目瞭然だ。
 そう考えると、ソフトの取り扱い方が変わってしまったのは時代性の問題と結論付けるのは短絡的で、もっとDSならではの特異な理由によるものじゃないかと思えてくる。


 例えばユーザの年齢層はどうだろうか。
 残念ながら自分は身近にDSで遊ぶ子供がいないので、彼らがソフトをきちんとパッケージにしまっているのか、それとも昔の自分達のように裸で放置しているのか、その辺の事情はよくわからないんだけど、DSのユーザ層ってのは、従来のゲームとは違ってかなり幅が広い。子供達は昔のように乱雑にソフトを取り扱ってはいるんだけど、母数に比べて割合が低いので、そういう面が見えてこない、とか。


 いや、実はもっと簡単な話で、DSは体裁こそROMだけど、パッケはディスクメディアのそれだからって話なのかもしれない。
 考えてみればDSのパッケージってのはROMソフトにしては極めて機能的で、パカッと開けてカチッと嵌めて、カチャッと閉じればそれで済む。説明書もホルダーに引っ掛けてあるだけで取り出すのも片付けるのも簡単だ。
 昔のROMカセットは紙の外箱にプラスチックの内箱があって、その裏側に説明書が潜り込んでいて、取り出そうとしても手間がかかるし、仕舞おうとすると説明書がひっかかったりと、実に面倒くさかった。だから大半のユーザは労を惜しんで裸でソフトを放置していたんじゃないかな。


 すると重要なのはメディアの性質ではなく、パッケージの性質なんだろうか。
 DSのパッケージはROMカセット用ではありながら、そのデザインはディスクメディアのものに近い。任天堂がこの組み合わせを採用したのはDSが初めてだ。
 そう考えるとGBAGBCもパッケージ自体はFCやSFCの流れを汲んだ紙製のものだし、FC〜GBAとPS〜DSを分かつ分水嶺はやはりパッケージにあるように思う。
 簡単だから収納する。面倒だから放置する。なんだか自分で書いてて凄く納得してしまった。


 とまぁ、結論としては至極当たり前なところに落ち着いたんだけど、よくよく考えてみるとFCからDS発売までの21年間に渡ってROMカセットに伝統的に使われてきた紙パッケが、DSを境に方向転換したってのは、任天堂においてもDSが異端の存在、鬼子だったってことを現わしている一例じゃないかと思う。まぁ、大袈裟な言い方ではあるけど。
 サイズ的にはDSカードはGBAよりもコンパクトで、パッケージと比較すると容積的にも随分と余裕がある。さすがにFD期のPCゲームほどではないけれど、ソフトに比べてパッケージが大きいなという印象は拭えないワケで、紙パッケを使う余地は十分に残されていたと思うんだよね。
 それでもDSがCDアルバムと同サイズのプラパッケを採用したのは、タッチペンやWiiリモコンと同じ、生活用品の延長上に存在するものとしてデザインされたからなんだと思う。だからユーザはCDやDVDを扱うようにごく自然にDSカードを取り扱っている。使用後はきちんと収納して、放置することに気持ち悪さを感じるんだと思う。


 うーん、そう考えるとDSってやっぱり挑戦的だったんだなと。なんか凄い大きな結論になってしまった感もあるけれど、ヤフオクで裸のNintendogsを買ってから、なんとなく自分の中でモヤモヤとしてた何かが晴れたような気がしてちょっとスッキリした。
 まぁ、疑問が解決したところで後はクラブニンテンドーからプレゼントが届くのを待つばかり。ちゃんと届いてくれるといいんだけどなぁ。