世界樹の迷宮・その46前編(エトリアの税制について)

 ダークハンター♂ ジャドの日記


 「あ、おかえり! ……じゃなくていらっしゃいませ、だったね。」


 原色鮮やかな菱形模様の織り込まれた日除けの簾を潜ると、腹の奥底まで伝わる大太鼓の響きのような豪放な喜声が出迎えて…… 出迎えて…… 出迎えて……?


 「……なにやってんだ、ジジイ。」


 ……とびっきりの笑顔で来訪を迎えてくれたのは、健康的に焼けた肌と対照的に真夏の太陽のように真白に輝く前歯を覗かせるエキゾチックな少女ではなく、熊を思わせる風貌の無骨でむさ苦しいだけのクソオヤジだった。


 「見りゃあわかるだろぅがよぉ。店番だよ、店番。」
 「店番だぁ?」
 「嬢ちゃん目当てに鼻の下伸ばしてやってくる連中をからかうんが面白くてなぁ。みんな青っちろい顔して、あれ、店を間違えたか、って顔ぉしやがる。」
 「悪い趣味だぜ。……ったくよ。」


 このオッサン…… 騎士ベイブは『眠りウサギ』って古参のギルドの――どう見ても『眠りウサギ』より『寝起きの熊』の方が似つかわしいのだが――リーダーを務めている男で、エトリアの中でも指折りの冒険者として知られている。
 ウチのリーダーも冒険を始めた頃にはさんざ世話になったらしい。が、そのおかげでオレ達までも一緒くたに子供扱いされているのはどうにも業腹な話だ。オレ的にはどうも苦手意識を拭えない相手ではある。


 「にしてもジャドよぉ、怪我ぁ治ったのか? 『森王』の角をどてっ腹にぶちかまされて、お月さんみてぇな穴が開いたってぇ聞いてたぞ。」
 「死ぬだろうがよ、そんなん! ……一発貰って寝込んでただけだっつの。」
 「でもヒョロ坊主は毎日迷宮に潜ってんだろぉ? お前、当てにされてねぇなぁ。」
 「ぐっ……!」


 ずけずけとしたオッサンの物言いに言葉が詰まる。
 『森王』の討伐を終えてすぐに仲間連中は第3層の探索を始めた。当然ながらオレは病床にあって冒険に同行できず、彼らの土産話に相槌を打つだけの役割しか果たせなかったのだが、話を聞く限りでは特に大きな問題もなく、探索は順調に進んでいるとのことらしい。まったく喜んでいいのやら悲しんでいいのやらだ。
 ちなみにヒョロ坊主とはリーダーのことだ。ヒョロヒョロしてるからってのがその理由だが…… まったく捻りも何もあったもんじゃないな。


 「ま、まぁ、アレだ。地道に迷宮を歩き回るのは下々の仕事なのさ。オレの仕事は連中が泣きついてきてから始まるってことよ。」
 「泣きつくのはお前だろぅ。昔のお前はやれ樹海は暗い、おっかないっつってよぉ、出発間際になると腹が痛ぇ頭が痛ぇってぴぃぴぃ喚いて……」
 「うっせぇ、黙れ!」


 ったく、これだからこのジジィはいけ好かねぇんだ!
 オッサンは悪びれる様子もなく呵々と笑ってみせるが、笑われたこっちは不愉快なだけだ。ムカつくヒゲ面に蹴りの一つもくれてやろうかと思ったところで店の奥からひょいと馴染みの顔が現れる。このシリカ商店の屋号を名に持つ二代目店主、シリカだった。


 この店の屋号である『シリカ商店』とは先代が愛娘の成長と健康を祈って名付けたのだと聞く。つまり、先代にとって店と家族は等しく掛け替えのない存在だったワケだ。
 そして当の愛娘もそんな先代の親心に恥じない成長を遂げて(特に身体面での成熟は著しい)、今では商店の先頭に立って自らの名が冠されたこの店を切り盛りしている。


 「ベイブさん、ごめんね。店番なんか任せちゃって。」
 「なぁに、新たな才能を発掘していたところさ。引退後は店を構えるのも悪かねぇ。」
 「ビビって誰も寄り付かねーよ。」


 彼女は笑いながら小脇に抱えていた包みをカウンターに置く。覆いを剥ぎ取ると緩やかな弧を描く幅広の刀身が姿を現した。


 「どうかな?」


 オッサンは無言で曲刀を手にとってまずは握り具合を確かめると、次に重心を確認するように剣先を揺らした後で、気合と共に上段から振り下ろす。床に澱んだ大気が剣閃に圧されて舞い上がり、突風となってオレの前髪を吹き上げた。


 「……大したぁモンだ。よほど嬢ちゃんの発破が効いたと見える。」
 「やったぁっ! ベイブさんのお墨付きなら間違いないね。みんな頑張ったんだから!」


 刀工の労苦を労いながら、2人は曲刀の出来栄えについて話を弾ませる。先ほどの一閃は傍から見てもハッキリと分かる会心の太刀筋だった。それはつまり、武器が使い手の身体と既に一体化していることを意味する。
 本来的に武器の習熟には時間が必要だ。一言で刀剣と言っても長剣と曲刀では扱い方から重量まで何もが違う。それなのに使い手にまるで違和感を感じさせないのは、偏に刀工の技術と心遣いによるものだ。
 使い手の膂力。性格。経験。それらを吟味し、知悉しているからこそ初太刀から手に吸い付くような逸品を彼女は冒険者に提供することができる。この店が愛される理由だ。


 「これで蒼樹海の魔物とも渡り合えらぁな。礼を言うぜ、嬢ちゃん。」
 「なんだ、オッサンとこも第3層に潜ってんのか?」
 「自分だけが特別だと思うなよ、坊主。ツキが回っていい気になってるかも知れねぇが、お前んとこのぐれぇならこのエトリアにゃあ、ごまんといるぜ。」


 当然ながらその中には『眠りウサギ』も含まれているのだろう。オッサンは歴戦の兵らしい不敵な笑みを零してみせる。


 「未開の階層への到達に皆がいきり立っている。冒険者も。住民も。執政院もだ。一旗上げるチャンスだってぇのにここで尻込みしてりゃあ、そりゃ冒険者の名が泣くってもんだぜ。」
 「べ、別にオレは尻込みしてるワケじゃ……」


 反駁しようとするオレを、オッサンはじろりとねめつけると得心したように大きく頷いて、それからあくどく口元を綻ばせる。


 「ん? 別にお前のことを言ったつもりじゃなかったんだがなぁ。そうかそうか、自覚はあったのか。」
 「早く死ね! クソジジイ!」
 「ん〜ん。……死ぬ気にゃなれんなぁ。女房のメシは旨いんだ。」




 「で、ジャド? 君は冷やかしに来ただけ?」
 「……っと、そうだった。」


 オッサンを見送りに店外に出たシリカが簾を潜って店内に戻ってくる。オレは足元のバックパックを爪先に引っかけると足を振り上げてカウンターの上に放り置いた。


 「……行儀わるっ。」
 「お上品な育ちじゃないのはお互い様だろ。樹海土産だ。引き取ってくれ。」
 「ああ、ギルドの使いっぱってことね。」
 「……どうも引っかかる言い方だよな、それ。もうちょっと言いようがあるだろうがよ。」
 「言い繕ったって水がワインに変わるワケでもなし。早く見せてよ。」


 そう言いながらシリカは勝手に封を開いて、バックパックに詰まった素材を物色し始める。つーか持ち主の許可を得てからにしろよ、コラ。


 「あ、『蛙のホホ皮』。」
 「なんだ、値打ちモノか?」
 「全然。値崩れしてるんだよね、これ。一つ30enね。」


 身を乗り出したオレは彼女の冷淡な言葉に迎撃されて、危うく崩れ落ちそうになる。


 「いや、蒼樹海産だぜ? 『姫リンゴ』より安いとかねーだろがよ。」
 「うーん、そうなんだけどね。なんか『カエル狩り』ってのが流行ってるみたいでさ。ウチも在庫がもうイッパイ。」


 使い出はあるからいいんだけどね、と付け加えて彼女は苦笑する。
 それにしても拓かれたばかりの第3層の素材が、こうもはやく供給過剰に陥るとは驚く限りだ。危険に満ちてはいても未踏の地への冒険者の関心は極めて高い。……いや、危険だからこそ上澄みだけを掻っ攫う『カエル狩り』なんて流行が発生するのかもしれない。


 「まぁまぁ、そんな気を落とさないでよ! 他にも素材はあるんだしさ! あ、『岩サンゴ』発見! これ、いい薬になるんだよね〜!」
 「別に気落ちなんか……」


 オレは反駁を試みようしようとしたが、仕事モードに入った彼女に口を挟むのはやめにした。彼女はバックパックから湧き出す素材にいちいち驚嘆の声を上げては隅から隅まで検分を行う。まったく見てて飽きないヤツだ。


 ふと、彼女の動きが止まった。彼女が取り出したのはどこかジャガイモに似たゴツゴツとした石塊だ。まるで鏡に魅入られた猫のように彼女は青みを帯びたその石ころを凝視している。
 反射的に右手が走った。彼女は視界から突如として消えた石塊の行方を追って視線を彷徨わせ、やがてオレの掌に踊るそいつに行き着く。


 「で、幾らなんだ、コイツは?」
 「……あはははは。ひゃ、130enでどう?」


 彼女は引き攣った笑みを浮かべる。オレも目一杯暖かな笑みを浮かべてから、くるりと踵を返す。


 「さて、マシューんとこにでも持ち込むか。」
 「……もう、わかったよ。降参降参。」
 「わかりゃいいんだ。わかりゃ、な。」



 彼女が言うには、この石塊はサファイアの含まれたコランダム原石らしい。削り出して磨き上げれば、吸い込まれるような深みのある青い輝きを放つのだそうだ。


 「まぁ、別に珍しいものじゃないんだけどね。」
 「その割にはえらくご執心だったようじゃねぇか。」
 「そりゃあボクだって宝石に憧れる年頃だし?」
 「ウソつけ、この守銭奴め。」
 「わかってないなぁ。宝石の煌きは万人を魅了するんだよ。」
 「お前が魅了されてるのは値札の方じゃねぇか。」
 「その言い方、傷つくなぁ。乙女の純粋な瞳の輝きを見てよ。」
 「欲に眩んで泥沼のように濁ってるぞ。」


 まぁ、どうでもいいやり取りは置いといて。
 どれだけ高価なシロモノかと思えば、モノ自体は一般に流通している原石と大して変わりはないらしい。そしてこの手の原石は加工品である宝石と比べると耳を疑うほどに安価なのだ。


 「肝心なのはだね、ジャド君。樹海のコランダム原石は『未登録品』だってことなのよ。」
 「君付けすんな。で、『未登録品』ってなんだ?」
 「執政院が詳細を把握してないってこと。」
 「わっかんねぇな。それがどうしたってんだ。」
 「うーん、それを説明するのはちょっと面倒なんだけどね……」


 執政院は樹海で新たな産物の発見があった場合、目録にそれを記載する。勿論それは学術的な意義に拠る面も大きいのだが、最も重要な事由はエトリアの財産を把握するという側面だ。


 「まぁ、戸籍調査みたいなものだね。」


 樹海は、辺境の山村であったエトリアを街たらしめた特異な存在だ。ゆえに樹海と、樹海から持ち出される産物は全てエトリアの財産として厚く保護されている。執政院は樹海の産物をエトリアから勝手に持ち出されないよう、各々の産物利用に対して細分された課税徴収を行っているのだ。
 エトリアに居を置くエトリア市民が樹海の産物を消費する分にはこれらの税は意識されることはない。しかし、冒険者のような非エトリア市民、明日にはエトリアの街を去ってしまうかもしれない人種に対して、執政院は特に厳しい課税措置を講じている。財産の流出を防ぐためにだ。


 「ボッタクリ、ボッタクリってみんな言うけどね。ウチは良心的なんだから。」


 しかし、未踏の大地に眠る樹海の産物まではさすがに執政院も掌握することができず、当然ながら課税対象に挙げることができない。それが『未登録品』だ。
 然るに執政院は早急に税制に関する改正法令を制定すべく奔走している。彼らが蒼樹海の地図を確保するためにミッションを発動したのは実はそうした側面もあるらしい。


 「つまり税金が掛けられる前に売っちまえば、取り分が増えるってこったろ?」
 「その通り。『未登録品』ってのは執政院の課税対象から漏れた産物なワケ。」
 「でもよ、税のあるなしでそんなに変わるモンなのか?」
 「このコランダム原石なら、うーん、これくらい?」


 彼女はピンと指を1本立ててみせる。


 「100enか。そっくり原価分浮いちまうんだな。」
 「もう一つ桁が増えるね。」
 「1000en!? 鎧が買いなおせるじゃねぇか!」


 彼女はこくこくと頷いてみせる。
 冒険者に対する税率の厳しさは話としては聞いたことはあったが、まさかこれほどまでとは思わなかった。なるほど、彼女が『未登録品』を見て色めきたった理由もわかるというものだ。


 「でさ、原石はこれだけしかないの?」
 「お生憎様。あくまで地図作りのついでだからな。」


 連中は執政院のミッションを抱えている上に、元々は人探しが本分なのだ。採掘はあくまで付加的な行為にすぎないし、専門的に注力する余裕など持ち合わせてはいないだろう。


 「そっか、そりゃ残念。なんなら色をつけてもよかったんだけどなぁ。」
 「……どんくらい?」
 「んー。……市価の2倍までなら。」


 提示された額はオレにとってすこぶる魅力的なシロモノだった。期限つきという制約はあるにせよ、うまく立ち回れば冒険者にとっては一財産と呼べるだけの額を稼げる可能性は十分にある。
 これはチャンスだ。未踏の地が拓けたからこそ与えられたまたとないチャンスだ。ここでデカい金を稼げば今後は危ない冒険稼業に首を突っ込む必要もなくなるし、悠々自適の引退生活を満喫できる。
 樹海で命を散らすなんざオレは真っ平ゴメンだ。手に入れたチップを倍掛けし続けたらいつかは破滅する。引き時を誤るのはバカのやることだ。


 「マジで2倍出すんだろうな。」
 「でも、ティークラブは忙しいんでしょ?」


 問題はそこだ。連中は石ころ探しになんか最初から興味はないだろう。
 なにかと研究に物入りなウィバは食いついてくるかもしれないが、本業は楽師と言い切るリーダーは自活の手段があるせいか金に頓着がない。貴族の娘連中は金銭感覚が庶民のそれとは大河の彼此ほども隔たりがあって、その言動に頭を抱えることも少なくない。
 どう考えても連中を巻き込むのは難しい。とは言え千載一遇の儲け話を見過ごすのは悔やまれる。だとしたら、どうするか……


 「やるぜ。オレがやる。連中は関係ねぇ。」
 「……ま、ボクはそれでもいいけど。」
 「ちゃんと金は用意しとけよ。」


 怪我だけはしないようにねぇ、と半ば諦め気味に手を振る彼女を尻目にオレはシリカ商店を後にする。
 まぁ、待ってろよ。店内を埋め尽くすほどのコランダム原石を拝ませてやるからよ。


 もう既に俺の頭の中では極上のワインを片手に短毛種の愛猫を愛でる蜂蜜色の日々が始まっていた。あとはただ誰よりも早く『ゴミ捨て場』に向かうだけなのだ。
 さらば冒険の日々よ! お前はなかなかいい恋人だったが、結婚するならやっぱり安楽の暮らしに勝るものはない。





 『千年ノ蒼樹海』は樹海と言うよりも巨人の宮殿と言った方が似つかわしい、どこか人工的な匂いのする空間だ。
 下生えのない平坦な石廊。立ち並ぶ木々は皆一様に巨大で大理石の柱と見間違うばかり。石棚にこびり付いた蓄光性のコケが燭台の代わりに明かりを灯し、タンポポと羊歯の間の子のような植物が放つ柔らかな光は、蛍の残す軌跡にも似て、どこか幻想的ではあるが空寒い。


 人間が本能的に嫌忌する色は赤と緑だという。その2つは血液と植物に由来しているのだろうが、この空間にはそのどちらもない。オレがこの空間を人工的だと感じたのは多分そのせいなんだろう。


 「なんだか寒気がするぜ。」


 『鮫肌』が襟に顎を潜り込ませるようにして呟く。こいつの寒がりは今に始まった話じゃないが、今回ばかりはオレも同意せざるを得ない。
 耳を澄ますと水滴が岩を穿つ小さな音があちらこちらから聞こえてくる。この階層はある種の鍾乳洞に近い環境にあるのだろう。


 「ジャド兄。これ、本当に効き目はあるのかい。何も聞こえねぇぜ。」
 「魔物にしか聞こえねぇんだよ。ビビんなって。」


 『猫背』は首からぶら下げた魔物避けの鈴を摘み上げて顔を顰める。
 その鈴は玉を入れ忘れたのではないかと疑ってしまうほどに一片の音さえ零さない。しかし今ごろ魔物達は耳障りな鈴の音色に泡を食って逃げ出しているのだろう。そう思いたい。


 「時間が惜しいですナ。早く進みましょう。」


 『猫背』は納得が行かないのか、未だにきょろきょろと忙しなく周囲を見渡し、魔物の襲来の予兆を感じ取ろうと精力を費やしている。
 オレは『鷲鼻』の示唆に頷くと地図を片手に一歩を踏み出す。足音がやけに響いて不愉快だった。




 昨日、シリカ商店を出た足でオレは裏通りに居を構える『溝鼠亭』に赴いた。そこは『金鹿の酒場』で蒸留水も碌に注文できない連中が、マスター手製の酸っぱい密造酒を目当てに群がる肥溜めのような場所だ。
 オレは仲間達が描いた地図を複写し、『溝鼠亭』でフリーの野伏を雇い入れ、そいつらと共にコランダム原石の眠る『ゴミ捨て場』での発掘作業を進めることにした。
 時間は限られていた。多くのギルドが執政院の命を受けて、蒼樹海の正確な地図を完成させようと息巻いている。『眠りウサギ』もそうだし、我が愛しのティークラブもそうだ。
 オレ達は連中が地図を完成させる前に一つでも多くのコランダム原石をシリカ商店に持ち帰らなければならなかった。花の命は短い。それは商売でも同じことが言えるのだ。




 前方から石畳を叩く規則的な足音が微かに聞こえた気がした。オレは連中と顔を見あわせて、それが錯覚でなかったことを確認する。『猫背』の瞳孔がキュッと縮まり、突っ張るように四肢を硬直させた。カチカチと鳴り続けるヤツの奥歯が耳障りだ。
 『猿腕』が素早くランタンの火を絞り、オレ達は上体を屈めてさらに聴覚に意識を集中させる。
 足音は一旦は止まったものの、程なくして再び先ほどと同じリズムで足音が低く回廊に木霊した。


 「やっぱり来るんじゃなかった……っ!」
 「落ち着けよ。どうも人間みたいだ。」
 「足音は一人だ。仲間を失った冒険者か?」


 涙交じりの『猫背』の弱音を聞き流しつつ、オレ達は足音の主との距離を探る。前方10m先の曲がり角。その向こうにどうやら一人で迷宮を彷徨う豪胆な人物はいるようだった。


 曲がり角の先から最初に頭を出したのは地面を舐めるように伸びる灯火の光。やがて光が強まると真鍮のカンテラが顔を覗かせ、次いで黒光りする鉄靴の尖った爪先が姿を現し、最後に板金鎧を身に纏う兵士の姿が露わになる。
 兵士は所在無さげに左右を見回し、そして俺たちと目があって頓狂な声を上げる。その声に反応して『猫背』が潰された鼠のような悲鳴を上げ、さらにそれに反応して兵士が飛びのくように上体を反らせて尻餅をついた。……ったく、お前らなにやってんだ。




 「……そうですか。ミッションを受領した冒険者ではないのですね。」


 こちらの来歴を明らかにしたところ、気落ちした様子でその兵士は溜息をついた。どうやらこの男は冒険者と同様、地図の完成を目的として執政院から派遣された兵士らしい。
 しかし、普段は第1層で魔物の警戒を命ぜられているような連中が、冒険者も二の足を踏む危険な仕事に駆り出されたところを見ると、やはり執政院にとって『未登録品』の把握は重大事であるようだ。風向きは余りよくないとも言える。


 「地図はどの程度完成しているんだ?」
 「それが恥ずかしながら……」


 男の取り出した羊皮紙の地図は現在位置の周辺を塗り潰しただけの粗末で頼りないシロモノだった。潮流も記さず大海の中に浮かぶ小島の沿岸線だけを書き記したような、見事なまでに役立たずな地図だ。


 「つーか、なんで入り口からここまでの記録がねぇんだよ。」
 「はぁ、実は探索早々に『森林ガエル』に追い回されまして……」
 「……お前、よく生きてられたな。」


 まぁ、こっちも人のことは言えたもんじゃない。野伏連中は戦闘の役には立たないし、オレだって一人で魔物を相手するほど熟練の手練ってワケじゃあない。
 準備が万端か否か。それだけの差ではあるが、それが重要なのだ。


 「実は途方に暮れていたところなんです。どこを見ても同じ景色だし。帰り道もわからないし。」
 「地図を貸せ。帰り道を書き込んでやるよ。」
 「本当ですか!? 助かります! カエルの餌にならずに済みます!」
 「だけど下手に動くんじゃねぇぞ。誰かまともな冒険者が来るまでじっとしてろ。それが一番安全だ。」


 途端にテンションの高くなる兵士を横目で見やりながら、オレは男の地図に帰り道を書き込んでやる。
 さすがに執政院の用意した地図は上質で、インクの乗りなんぞは惚れ惚れするほどだった。こんなところにオレ達から吸い取った金が使われているのかと思うとまったく業腹ではあるのだが、この兵士に怒りをぶつけたところで気が晴れるワケでもない。手早く帰り道を書き終えたオレは兵士に地図を突っ返す。


 「ああ、なんとお礼を言ったらいいものか……!」
 「いらねぇよ。その代わり他の冒険者にその地図を書き写させてやれ。奥を探す手間が省ける。」
 「願ってもないことですよ。正確無比な地図を完成させることこそ私達に与えられた使命なのですから!」


 自信満々に言ってのけるこの男に先ほどの陰鬱さの影は微塵にも見えない。まったくこんな能天気な男を使うとは執政院の人材不足もどうやら深刻な事態らしい。まぁ、だからこそ冒険者にもお鉢が回ってくるのだと言えば、それも否定できないのだが。




 間抜けな兵士と別れてから数時間、魔物の不意の襲撃を受けることもなくオレ達は宝の眠る『ゴミ捨て場』に到達した。『ゴミ捨て場』には真新しい足跡などはまるで見当たらず、ティークラブの活動の痕跡だろう、わずかに土が掘り起こされた形跡が見えるだけだ。


 「とりあえず火を起こそうぜ。じっとしてると寒くてかなわん。」


 『鮫肌』の提案にオレは頷いて、『猫背』に薪を取りに行かせる。『猿腕』と『鷲鼻』は各々の荷物からツルハシやスコップを取り出し、オレは簡易のテントを作り始めた。


 「力仕事はあっしの性に合わんわね。」
 「それがお前の仕事だろう。最初からそう言っておいたハズだ。」


 『猿腕』がキィキィと喚きながらツルハシを振るう。


 「本当に大金が手に入るんでしょうね。ここまで来て嘘はナシですぜ。」
 「いいから口より先に手を動かせ。お宝が見つからなけりゃ分け前どころじゃねぇぞ。」


 程なくして『鷲鼻』のツルハシから土砂とは明らかに異なる硬質の何かに跳ね返される音が響き、野伏の連中の視線が一斉に『鷲鼻』に降り注ぐ。『鷲鼻』は得物をツルハシからスコップに持ち替え、周辺の土を削ぐように掘り出していく。
 土砂の合間から姿を見せたのはごつごつとした青みを帯びた鉱物だ。しかしいくら周りの土砂を削っても一向に端先が見えない。どうもこの石はかなりデカいシロモノのようだ。


 「こんなに巨大なコランダム原石なぞ聞いた話がありませんナ。」


 『鷲鼻』は一旦手を止めて腰を下ろすと、フクロウのような目をぎょろつかせて呟く。


 「紛い物かもしれねぇ。そこは諦めて違う場所を掘った方がよさそうだ。」


 第一、これがコランダムだとして、運搬する手段がない以上は宝の持ち腐れだ。時間の限られている現状ではバックパックに詰められる手頃な石をとにかく大量に発掘して持ち帰るほうが効率がいい。
 巨大なコランダムらしき岩塊に未練は残るものの、オレ達は河岸を変えて再び採掘作業に没頭する。今度は労せずしてこぶし大のコランダムがゴロゴロと地中から転がり出てくる。
 実際に成果を目の当たりにすると俄然やる気が沸いてくるもので、オレ達はその日のうちに両手で抱え切れない程のコランダム原石とそれに付随する『岩サンゴ』や『大カニの曲肢』を手にすることができた。
 それからの3日間、オレ達は交代制で24時間に渡って作業を継続し、いよいよアリアドネの糸まで捨てなければならない段に至るまでバックパックを肥え太らせた。まったく成果は上々と言えた。