世界樹の迷宮・その46後編(エトリアの税制について)

 ダークハンター♂ ジャドの日記


 テーブルに堆く積みあがった金貨の山を見て、居並ぶ全員の口から感嘆の吐息が漏れた。酒場のあちこちから好奇と羨望と嫉妬の混じった何とも形容しがたい視線が集まるのをオレは背中で感じる。
 観客の心中はなんとなく察することができる。あんな薄汚い連中が分不相応な金を囲んでいる。きっとあいつらは口憚るような後ろめたい稼業に身を窶したに違いない。とまぁ、そんなところか。
 まぁ、嫉視を浴びるだけで済むのが『金鹿の酒場』のお上品なところだ。これが『溝鼠亭』なら、無事に帰途に着くことすら困難を極める。テーブルの上に金を積み上げて見せるなんて挑発以外の何物でもない。


 「取り分は約定通り。オレが半分。残りをお前らで均等分けだ。」
 「へっへっへ。ジャド兄に着いてきて正解だったぜ。」
 「姉ちゃん、酒だ! この店で一番高い酒を頼むぜ!」


 やれやれ、金の価値を知らない人間は概して使い方も知らないのだ。『溝鼠亭』と違って『金鹿の酒場』は見栄を張る余裕がある店だ。飾り同然ではあるが目の飛び出るような高い酒も置いてある。

 「やめとけよ。一瓶で全部持ってかれるぜ。」
 「そ、そうなのかい? へへへ、姉ちゃん。やっぱ今のはナシだ。エールを頼まぁ。」


 連中は報酬を前にして浮き足立ってはいたが、オレ自身はと言えばあまり気分が冴えなかった。
 連中にとっては確かに眼前の金貨の小山は見たこともない大金なのだろう。暫くは十分に遊んで暮らせるだけの額面がある。しかし、オレからしてみればこの結果はまだまだ不十分と言えた。
 この程度の金銭なら執政院のミッションで何度か目したことがある。武具を一新し、冒険に必要な装備を揃えるだけでその大半が消えてしまう程度のものだ。オレの望むバラ色の日々を得るためにはまだまだ成果が足りない。


 「お前ら、酒は大概にしとけよ。明日からはまた樹海に向かうぞ。」
 「えーっ、これだけ手に入ったんだぜ。少しは羽目を外したっていいじゃんかさ。」
 「時間が限られてるんだ。稼げるうちに稼いで、遊ぶのはそれからにしよう。」
 「……ちぇっ、わかったよ。」


 渋々と了解する『猫背』を横目で見やっていた『鮫肌』が、エールを片手にオレに問いかける。


 「実際、執政院の兵士が動いているところを見ると猶予はなさそうだぞ。」
 「まぁな。だがあの兵士の地図にはちょいと細工をしておいた。」
 「細工だと?」
 「『ゴミ捨て場』に続く道を消してやったんだ。」
 「地図を書き写した時か! らしくないなと思ったが、抜け目のねぇ野郎だぜ。」


 それは執政院への意趣返しのつもりだった。オレは兵士の地図に帰り道を付け足す一方で、邪魔な『ゴミ捨て場』への道を消してやったんだ。
 従って現時点ではあの『ゴミ捨て場』を知っているのは、オレ達と、そもそも採掘に興味のないティークラブの連中だけになる。そしてそれはこの3日間の間、一人の冒険者も『ゴミ捨て場』を訪れなかったことからも証明されている。
 あの兵士は伝染病を媒介する鼠のように、間違った地図を出会った冒険者の悉くに配布して回っているハズだ。感染が続く限り、『ゴミ捨て場』は誰にも発見されない。オレ達はいつまでも利益を独占する事ができのだ。
 まぁ、多少悪辣な手段かもしれないが、そもそも他人から貰った地図を頭から信じるヤツは自分の間抜けさ加減をまず呪うべきだ。少なくとも第3層に乗り込む冒険者ってのはそれくらいの心得があってしかるべきなんだ。




 「チックショウ、また岩サンゴだ!」


 怒号と共に『猿腕』の手から投じられた岩サンゴは滑らかな石壁に勢い良く命中し、乾いた音を立てて辺りに四散した。
 人を呪わば穴二つ、とはこのことだろうか。オレ達は再び『ゴミ捨て場』に舞い戻り、コランダム原石の発掘に勤しんでいたのだが、見つかるのは外道ばかりで、肝心のお宝はまるで神隠しにでもあったかのようにすっかりナリを潜めてしまっていた。
 まぁ、運不運ってのはあるもんだ。一事が万事こんな調子じゃない。オレはそう言い聞かせて連中を採掘に追い立てたのだが、キャンプを張って5日、成果という成果が見えないと、元々根気の足りない連中の顔からはあからさまに余裕の色が掻き消えていく。
 次第に手が休みがちになり、愚痴が周囲に木霊し、罵り合いが始まり、一時は掴み合いにまで発展した。まったく数日前の和気藹々とした雰囲気がウソのような殺伐とした状況だった。
 今や現場に響くのは躍動感を欠いたツルハシの音と、不思議なほどに神経を逆撫でする呪詛の響きだけだ。場を支配する鬱屈した焦燥感が、1秒、また1秒、時を経ると共に大気を重く暗く膨張させていくのに従って、オレは連中の持つシャベルやツルハシが暴発する狂気の尖兵となって血みどろの惨劇を引き起こす可能性についてまで考えを及ぼす必要性に駆られたのだ。


 「ダンナ、もう潮時なんじゃねぇすか? お目当ての宝石は見つからなんだが、アレだけでも結構な額になりやすぜ。」


 『猿腕』が顎で示したのは、掘り出した土砂の傍らに積み上げられた岩サンゴや大カニの曲肢だ。一週間余りの発掘作業で掘り出したそれらの産物は最早持ち帰るのが困難なまでの量に達していた。


 「そもそもここは魔物の巣なんだ。いつ魔物が襲ってくるかも分からないのに、チンタラと採掘なんてやってらんないよ!」


 警告めいた『猫背』の絶叫は、どちらかと言えば魔物の脅威に比重が置かれている様子ではあったが、彼らの力量からしても蒼樹海に生息する魔物の存在が一番の心理的障害であることは否定のしようがなかった。
 魔物避けの鈴の音がある限り、魔物はオレ達に近づけない。それは理屈ではわかる。
 しかし感情としては疑問符が残るのだ。鈴の音が効力を失ったその瞬間に、木々の合間に身を隠していた魔物達が一斉に牙を剥いたとしたら? そんな想像が脳裏を過ぎる。
 目の前の仕事に集中できない今の環境ではそれは尚更だ。古い屋根に染み込む雨水のように、それはじわじわと、しかし確実に精神を蚕食していく。


 「それに時折、奇妙な揺れを感じますしナ。地震の前兆かもしれませんし、早く避難すべきかと。」


 『鷲鼻』はこの『ゴミ捨て場』で時々訪れる謎の余震について指摘する。揺れ自体は極めて微小なもので、臆病な『猫背』が安眠を妨げられる程度の実害しかなかったのだが、最近は振動の周期が短くなると共に揺れ自体も激しさを増しつつあり、なんらかの異変が訪れる先触れのようにも思える。

 なんだかんだでこの迷宮は堅牢だ。まさか地面が陥没したり、天井が崩落したりするようなことはないだろうが、それでも連中の不安を掻き立てるには十分な効果があった。やれやれ、全く迷惑な話だ。


 「なぁ、ジャドよ。オレ達はもう十分に稼いだじゃねぇかよ。引き時を嗅ぎ分けるのが利口な冒険者ってもんだ。早く街に帰ってあったけぇキャベツとベーコンのスープでも頼もうや。」


 『鮫肌』は体を震わせながら焚火に薪を投じる。
 懐に余裕のある彼らは今や黒焦げのパンだけではなく、肉と卵をつけた贅沢な料理を楽しむことができる。それを唯一妨げているのは酒場と彼らとを引き剥がしている『ゴミ捨て場』の存在。そして発掘のために迷宮に彼らを縛り付けたオレの存在なのだ。


 ……誤算だった。


 あのタイミングで分け前を与えたのは間違いだったのだ。オレにはようやくそれがわかった。
 連中を鼓舞するために見せ金が必要だったのは確かだ。しかし空きっ腹を満たせば次に眠気が襲ってくるのと同様に、手に入った金を見てまず考えるのはその使い道なのだ。
 今の連中にとって最も大切なものは身の安全だ。採掘によって得られる報酬は彼らの価値観において激しい下落局面にある。メインディッシュを食い尽くした彼らが欲しているのはもう一枚のステーキ皿などではない。消化を助けるための食後の一杯なのだ。
 ましてや懐に金貨袋を忍ばせたまま命を落とすような羽目にあってはそれこそ目も当てられない。何のために危険を冒して迷宮に潜ったというのか。そんなバカバカしい話は到底承服できるもんじゃないし、そんな環境に身を置き続けるなどそれこそ既知外沙汰としか言えない。


 (一旗上げるチャンスだってぇのにここで尻込みしてりゃあ、そりゃ冒険者の名が泣くってもんだぜ。)


 ベイブの言葉がふと脳裏を過ぎる。ああ、まったくその通りなんだ。危険を冒すからこそオレ達は冒険者と呼ばれるんだ。
 なのに…… くそっ、こいつらは冒険者なんかじゃない。心の底で冒険者を嘲笑って、小銭をせしめて満足する。明日の事は明日任せ、その日暮らしの染みったれだ。志なんて一片もありゃしない。心底腐った連中なんだ。


 だけど翻ってみればオレも同じだ。こいつらと同じ目先の欲得に突き動かされて、計算と打算を取り違えた俗物だ。他人から見ればまるで品性の窺えない、獣のような浅ましい人間だ。
 それの何が悪いってんだ。それが自然な姿じゃないか。そう囁く声もある。だけど、オレは自分がこいつらと一緒だなんて思いたくなかった。誇り高い冒険者なんだと思いたかった。自分の最も醜悪な姿を肯定するのはティークラブの仲間への裏切りに思えたんだ。




 「……わかった。もう引き上げよう。」


 胸郭に澱む毒性の呼気を気づかれないように吐き出しながら、オレは決断の一言を紡ぐ。一転して連中のツラは雲間から覗く太陽のように明るく晴れ渡り、放っとけばその場でダンスでも踊り出しかねないような陽気さを取り戻していた。


 「ただし! 最後に一仕事だ!」


 労苦からやっと解放される喜びを奪われて、揃ったように野伏連中の表情が渋くなる。


 「で、なんなんですか、ダンナ?」


 『猿腕』はあからさまな悪意の成分の篭った声を投げかける。オレは『ゴミ捨て場』のある一点を指差して言った。


 「あのどデカイ原石を掘り起こす。それがオレ達の最後の仕事だ。」


 オレの指差した先には、この『ゴミ捨て場』に辿り着いた初日に『鷲鼻』が掘り出した巨大な穴があった。穴は大樽の蓋ほどの大きさにまで広がっていたが、そこから顔を覗かせる正体不明の鉱石は未だに青みがかった表面を覗かせるばかりで、その全容はようと知れない。
 途端に連中の口から不満の声が暴発した。オレは連中の声に耳を貸さずツルハシを手にとって黙々と作業を開始する。暫くは罵声を飛ばすだけで動こうとしなかった連中だが、街に帰るための唯一の手段である『アリアドネの糸』をオレが抑えていることを誰かが指摘すると、やがて舌打ちと共にのろのろとした動作で各々の得物を手に取った。


 短い蜜月の日々は過ぎ去った。例え新たな同輩を募ったとしても、こいつらが『ゴミ捨て場』を誰かに吹聴したらそれで終わりだ。仮に連中が固く口を閉ざしたとしても、目に見えて羽振りがよくなれば当然周囲の注目を浴びる。暴力を以って口を割らせようとするヤツも現れるだろう。
 噂を聞きつけた冒険者が押しかけ、そしてすぐさまコランダム原石は執政院の目録に掲載される。改正法令が制定され、公布され、施行され、そして蒼樹海は執政院の管理下に置かれる。法の網目は再び修繕され、冒険者がすり抜けることを決して許さない恒久の城壁となるのだ。
 だったら最後にデカい仕事をしたい。例えコランダム原石じゃなかったとしてもこれだけの大物だ。きっと狂いに狂ったオレの予定を修正してなお余りあるだけの莫大な財貨を齎してくれるハズだ。それを信じてオレはツルハシを振るい続ける。


 「こんな、デカイもん! どうやって持ち帰るんだよ!」
 「知ったことか! チクショー!」


 半ば自棄気味に男達は地面を掘り続ける。街に帰りたいその一心で。
 この岩石はコランダムなのか。それともただの石くれなのか。それは最早瑣末な問題でしかなかった。一刻も早くこの巨大な石ころを掘り起こして、それで街に帰って酒と飯にありつく。それが連中の本懐だった。
 そしてオレも正直なところを言えばさっさと街に帰りたかった。街に帰るなりこいつらと縁を切って、自分の胸郭の奥深くに潜む悪魔から目を逸らしたかった。
 ツルハシを振るう腕はただ意地に突き動かされている。オレはこいつらとは違う。違うんだ!




 突如、強烈な振動が足元を襲った。オレ達は隆起する地面に抗う暇もなく真っ逆さまに宙に投げ出され、直後無様に地面を転がった。オレは反射的に体を丸めて頭を両手で覆い、来るかもしれない落盤に備える。
 地表を大地から引き剥がそうとするかのような激震は今もなお続き、木々の倒れる音が四方に木霊する。幾分か揺れが収まったところで、崩落の危険性はなさそうだと判断したオレは、目を見開いて上体を引き起こす。揺れる大地は足場としては極めて不安定で、オレは四つん這いになったまま四方八方に視線を巡らせる。


 「『猿腕』! 『猫背』! 『鮫肌』! 『鷲鼻』! 無事かーっ!」


 返事を待たずにオレは目の前に聳える巨大な影に気づいた。黒曜石のような爪。千年樹にも匹敵する太い足。黒く艶やかに輝く甲羅。そして爛々と燃え盛る双眸。


 大亀の異形。……こいつは『永劫の玄王』だ!
 一体いつの間に接近してやがったんだ! 心の内で呪詛を吐きながらオレは瞬時にその答えに思い至る。そうか、あの巨大な鉱石! あれはコイツの甲羅だったんだ!


 恐らくこの巨大な陸亀の化物は、この『ゴミ捨て場』の地中に身を埋めて長い眠りについていたに違いない。
 その理由が爬虫類の習性に由来する生理的な冬眠だったのか、それとも『敵対者』として体力の回復を意図してのものだったのか、詳細は把握しかねるが、いずれにせよ確かなことは、オレ達はこの『敵対者』の安眠を妨げ、その怒りに触れてしまったってことだ。くそっ、最後の最後になってとんだケチがついたもんだ。
 『永劫の玄王』は半開きになった口からその巨大な体躯とは裏腹な小さな赤い舌を覗かせて四方を睥睨していたが、やがて足元で蹲るオレの姿を視界に捉えると、口を大きく開いて威嚇する。
 ヤバい、と思った瞬間にオレは地面を蹴っていた。その刹那『永劫の玄王』は、口から白いガス状の気体を勢い良く吐き出し、先ほどまでオレが蹲っていた辺りを一面真白く染め上げた。
 地面が輝いていた。草木が凍っていた。大気が固まっていた。あの『敵対者』は極低温の『吐息』を以って、迷宮に息衝く生命活動の全てを凍えつかせようと試みたのだ。


 「ジャ、ジャド兄ぃ! な、なんなの、アイツは!? なんでアイツは鈴が効かないの!?」


 『敵対者』の背後で腰を抜かして尻餅をついた『猫背』の姿が目に入った。その声は恐怖に戦慄き、引き千切れる寸前の干物のように張りを欠いてはいたが、幸いなことに怪我を負った様子はなさそうだ。


 「『敵対者』は鈴の音なんか聞こえちゃいねぇんだ! 逃げろ!」


 『猫背』の無事をまずは喜びたかったが、オレにはその暇も与えられなかった。
 再び首をもたげて『吐息』を吐き出そうとする大亀の顎に向かって、オレは鞭を振り立てる。空気を切り裂いて飛翔する穂先は大亀の頭に到達すると顎を軸に旋回して巻きついた。
 突如として顎部の自由を失った大亀は強靭な顎の力で戒めを破ろうと試みるが、二重三重に巻きついた皮鞭の束縛を振りほどくのは幾ら『敵対者』と言えども容易ではない。大亀は苦悶の表情を浮かべて遮二無二に短い頭を振り回している。


 「今だ! みんな走れ!」


 その隙に野伏連中を呼び寄せたオレはアリアドネの糸を頼りに回廊を走り出す。
 『敵対者』を振り返る暇もなくオレ達は走り続けた。手足が引き千切れるくらいにブン回して、息が切れるまで走り続けた。樹海磁軸に辿り着く頃にはもう魂が抜けかけていたんじゃないかと思う。とにかくそれぐらい走り続けたんだ。




 「……はぁぁぁぁ、骨折り損のくたびれ儲けってヤツだぁ。」


 シリカ商店のカウンターに上体を預けてオレは呟く。今やオレの体は疲労によって極限まで弛緩し、このまま融解してカウンターと一体化してしまうんじゃないかとさえ思えた。


 「まま、いいじゃないの。それなりには儲かったんでしょ。」
 「茶葉漁りと同じじゃ儲かったと言わねぇ。」


 『ゴミ捨て場』に山積みにされた岩サンゴやら大カニの曲肢やらを回収できれば少しは違ったのかもしれないが、敵意を剥き出しにする『敵対者』を前にしてそんな悠長な真似をしている暇はなかった。
 ついでに『敵対者』の居座る『ゴミ捨て場』に戻ろうなんて言い出す根性のあるヤツは一人も居なかったし、連中の治療代やら道具代やらを捻り出してみると、結局手元に残ったのは僅かな端金に過ぎなかった。
 おまけにオレは得物まで失っちまうし、それを買い戻すにはまた金がかかる。結局、オレが今回の冒険で得た財貨はその殆どを目の前のムカつく女に吸い上げられちまったのだ。これを徒労と呼ばずしてどうしようというのか。


 ……っつーか、労働者からの一方的な搾取を果たすこの悪魔は、その罪過を贖うために、そのけしからん乳を揉ませるべきなのだ。そうだ、これは資本家の無慈悲な論理に苦しむ無辜の労働者の正当な報復だ。怒りだ。悲しみだ。我々は今こそ志を一にし、悲しみに濡れる追憶の日々との別離を訴え……


 「おぉ〜い、邪魔するぜぇ。」
 「はいは〜い。」


 熟練のピアニストのような繊細な指捌きを披露しようと思ったその瞬間に、埒外から無作法な横槍が入った。至福の触感を得るべく動き出そうとした正義の闘争が未完に終わったことは至極残念な成り行きではあるのだが、店内にそこ狭しと並べられた刃物や鈍器が先を争って流血の夜を演出する事態に陥らずに済んだことは、我が身にとっては幸運だったのかもしれない。無血革命の困難さは歴史が証明しているとおりだ。


 さておき、鉛の詰まったように重い頭を持ち上げてみると、そこには予想に違わずむさ苦しいベイブのヒゲ面があった。


 「どうしたジャドぉ。今度は頭に大穴でもこさえたかぁ?」
 「あはははは、最初からジャドの頭はスッカラカンだから。」


 好き放題に言ってくれやがる連中に対して言い返す気力もなく、オレは再びカウンターに顔を突っ伏す。
 こりゃ重傷だな、とベイブの呟きが聞こえた。


 「それより嬢ちゃん。こいつを引き取ってくれやぁ。」
 「うっわー、岩サンゴが一杯! これ、どうしたの?」
 「『ゴミ捨て場』の傍に積まれてたんだ。近くに亀の『敵対者』がいやがってなぁ。苦労したんだぜぇ?」


 亀の『敵対者』だと?
 オレは腕を突っ張って上半身を起こすとベイブを見据える。


 「もしかしてそいつ、口に鞭が絡まってなかったか?」
 「よく知ってんなぁ。短い前足を振り回して必死こいて外そうとしてたぜぇ。」


 なんてこった。この岩サンゴはオレ達の物だったのに!
 視界から岩サンゴの詰まった皮袋が消え、入れ代わりにカウンターに姿を現した金貨袋が自重を支えきれずにひしゃげると、まったく救いようのないほどに自分が惨めに思えてくる。


 「つってもこの金もよぉ、装備の新調でさっぱり消えちまうんだ。冒険者ってのも意外と金がかかるもんだぜぇ。」


 それはオレも今回の件でつくづく思い知らされた。冒険者ってのは物入りな仕事なんだ。金を稼ぐために冒険しているのか、冒険するために金を稼いでいるのか。その境界さえ曖昧になる。


 「なぁ、ジャドよぉ?」
 「なんだよ、ジジィ。」
 「より危険な場所に踏み込んで、より凶暴な魔物と戦って、それで手にできるもんがぁほんのちっぽけな小銭だけってぇのは割にあわねぇと思わねぇか。」
 「なんだよ。泣き言かよ。」
 「違ぇよ。単純に生きていくだけなら迷宮の入り口をウロついてりゃあそれで済むってことさ。」


 確かに日々の糧を得るためなら、わざわざ危険な深層に出向く必要などないのだ。迷宮の入り口に屯する小うるさい魔物達の警戒を潜り抜けて、必要な分だけ果実や薬草を掏り取ってくればいい。あの『溝鼠亭』の連中がやってるように。そしてかつてのオレ達のように。
 畑を耕すように、小麦を刈り取るように、林檎をもぎ取るように、日常的に樹海の産物を手に入れる。それだけでも食うに困らないだけの金は手に入る。だけど、それは……


 「だけどそりゃあ冒険者じゃねぇな。そんな生活にゃ夢がねぇ。」
 「夢ねぇ……」
 「ジャドよぉ、これはオレの思い過ごしかもしんねぇけどな。」


 不意にベイブの眼差しが鋭さを帯びた。それは紛れもない冒険者の目だった。


 「多分、第4層が拓かれたとしても、オレ達が得るものは変わらねぇ。新しい儲け話を見つけたところで、そっから生まれる品物ってのは目ん玉飛び出るほどに高ぇんだ。」


 第4層で得られた産物は更に質の高い商品を世に送り出す土台になるだろうが、同時に無秩序な流通を制御するために執政院はさらなる税制改革を推し進めるだろう。
 収入は増えるが支出も増える。利益は増えない。増大するのはリスクだけだ。
 冒険者はチップを懐に戻せない。手に入れたチップを再び賭け直さなければならない。そして運良く当たりが出たとして、そのチップは次の賭けのための資金にしかならない。
 降りることはできない。どれだけ資産を持ってるかもわからない相手が破産するまで賭け続けるしかない。迷宮の深層に挑むってのはそういうことだ。そんな馬鹿げた話なんだ。


 「きっと夢を諦めるヤツが出てくる。深層に挑戦するよりも適度な場所で日々を送った方がラクだ。それに気づいて、その誘惑に負けるヤツが出てくる。」


 多分、それはちょっと頭を働かせればすぐにも思いつくことだ。だからみんなラクな道に走るんだ。あの『カエル狩り』のような、危険を伴わずに稼げる手段はまさにその端緒だ。


 「なぁ、ジャドよぉ。ひょっとしたら執政院は深層に冒険者を踏み込ませたくないのかもしれんなぁ。」


 オレはその言葉が飲み込めなかった。エトリアは樹海の恩恵によって成り立っている街だ。深層の開拓こそがエトリアの発展に繋がる。それをなぜ執政院が留めなくてはならないんだ?


 「はぁ? なんでだよ?」
 「……いやぁ、わからん。なんとなくそう思っただけだぁ。」
 「なんだそりゃ。つーか、単純に冒険者から絞りとろうって腹だろうよ、連中はさ。」
 「ま、そうだわなぁ。」


 頭を掻きながらベイブは豪快に笑う。まったく、このオッサンは突然意味不明なことを口走るから困る。それで真面目に取り合おうとすると、今度は透かされるだけなんだ。


 とは言え、先ほどのベイブの一言だけは妙にオレの胸に引っかかっていた。


 ……夢。


 オレにとって冒険とはなんだろう。どんな夢を果たすためにオレは迷宮に降り立つのだろう。
 平穏な日々? 安定した暮らし? 奢侈な生活?
 そうかもしれない。でもちょっと違うような気もする。
 冒険と日常の合間にある何か。
 過程と結果の合間にある何か。
 その何かを探してオレは多分冒険を続けているんだと思う。


 ……まぁ、考えるのは得手じゃない。いつかきっとその答えもわかるさ。
 だからオレはもう少し、このままダラダラと冒険を続けようと思う。仲間と一緒に冒険を続けようと思う。
 夢を捨てちまった『溝鼠亭』の連中とじゃない。夢を探して歩き続けるティークラブの仲間とだ。

 そうしたら、多分、オレは答えに近づける。アイツらは夢を諦めそうなオレをどやしてくれる、この世で唯一の仲間なんだから。






 Angband系のローグライクゲームで良く使われる『スカム』という言葉があります。正確な意味については自分も余り良く知悉していないのですが、雰囲気としては『ルーチン化された行動の反復によってローリスクでリターンを得る行為』を指すように思っています。
 代表的なスカム行為に、ランダムに品物が並ぶブラックマーケットにキーボードマクロを用いて行き来して、優秀な装備が手に入るまで粘るBMスカムなんてのがあります。
 まぁ、シレンなんかに置き換えると、冒険に出る前にお店で好きな装備が買えるようなものです。当然ゲームの難易度はガクッと落ちます。
 スポーツマンシップに則るユーザからするとゲームの本質を損なうものだと批判されることも多いスカム行為ですが、効率的にゲームを進めるための手法だと割り切るユーザもいます。そこはまぁ、自分の楽しみの範囲内で選択すればいい話ではありますが。


 さておいて、世界樹の迷宮にもこうしたスカム行為があります。代表的なものが経験値稼ぎの手法として知られる『カエル道場』ですね。
 まぁ、世界樹スタンドアローンRPGなので、スカム行為と言っても他プレイヤーへの実害があるワケでもないですし、実はそんなに効率的な手段でもないので、「カエル道場はゲーム性を損ねる行為だ!」と憤慨するユーザの声はとりあえず聞いたことがありません。
 ただ、この仕様を世界樹の世界に落とし込んでみると、これは色々とネタになりそうなアレだなぁと。特にエトリアの街にいる冒険者はギルド長曰く「目の前の小銭ばかりひろってるしみったれ」ばかりですから。彼らはきっと、ラクな方へ、ラクな方へ走るに違いありません。
 ということで、その辺のネタを絡めて話を膨らませる方向を目指してみました。



 個人的な趣味としてはお金に纏わる話を書いてみたかった、というのがあります。どうもお金に苦労してない冒険者は生活感がなくてよくないなと。そういう細々とした事情とはさっぱり無縁な歴々とした話を延々続けてきたので、反動的にみみっちい話に憧れるというか。
 やっぱり冒険者は泥水をすすってナンボというか、苦労するところに面白さがあるとも思うので。あんまり英雄英雄しすぎるとそれもどうかと思うので、この辺がちょうどいいのかなと思っています。
 まぁ、実際に世界樹もお金に苦労するゲームではありましたしね。買い物ナシでも宿代はやっぱり気になるものですし。


 エトリアの税制については「その32」でもちょろっと触れたのですが、先に進むと幾何級数的に物価の跳ね上がる世界樹の仕様について割と合理的な解釈できるので、自分ではお気に入りなネタです。今回はもうちょっと妄想を広げて、エトリアの税制とそれを掻い潜る仕組みを考えてみました。



 世界樹2の物価はどうなるんですかねー。採集スキルの上限が5に下がったので、システムが同じなら採集の効率は悪くなったようにも思えるんですが、素材一つ辺りで得られるお金が増えてたりしたらバランスとしては変わらなかったりしそうですしね。
 世界樹1のお金を稼がなきゃとユーザを不安に駆り立てる物価設定は、どこまでも気が緩められなくて非常に好みだったので、ぜひぜひ受け継いで欲しいなと個人的には思っています。




 『永劫の玄王』を見直してみたら、思ったよりも甲羅が青くなかった…… 玄武って黒なんだからそうだよなぁ。
 リクガメは外気温の変動に応じて、冬眠するかしないかを決めるらしいんですが、『吹雪の息』なんてものを吐く『永劫の玄王』は、そもそも冬眠なんかしないのかもしれません。というか万年寒そうだし、あそこ。