世界樹の迷宮・その47後編(アルルーナについて)

 パラディン♀ アリスベルガの日記


 「……神様なの?」


 社に誂えられた幅広の大扉を押し開けると、そこには真っ白な絹の長衣に身を包んだ一人の少女の姿があった。彼女は光の宿らない虚ろな瞳をこちらに振り向け、五感を駆使してこちらの正体を探ろうと努力しているようだった。
 しかし、それにしても、神様か、とは存外に過ぎる問い掛けだ。傷だらけ、泥だらけで神々しさをまるで欠いた自らの為りを顧みるに、自然と肺腑から苦笑の吐息が漏れ出てしまう。言ってみれば私達は、神とはまるで正反対の場所に位置する存在だ。


 「私は君の兄、テッドに頼まれてここに来たものだ。」
 「テッド? お兄ちゃんから? 私、何か忘れ物でもしたのかしら?」


 テッドが、愛する妹を救うよう私達に依頼したなど、この子には想像もつかないようだ。
 恐らくこの子は、自らに与えられた役割に対して一片の疑いも抱いていないのだろう。ただ、父母の、そして周囲の言葉通りに神の侍従たる運命を受け入れ、この場で神…… いや、神ならざる捕食者の訪れを静かに待ち受けているのだ。


 「お嬢ちゃん。オレ達は、お嬢ちゃんをおうちに連れて帰るためにここに来たんだ。」
 「え……?」
 「テッドに頼まれたんだ。お嬢ちゃんもテッドに会いたいだろう?」


 ジャドが腰を屈めて少女に話し掛ける。それが平時とはまるで異なる気色の悪い猫撫で声だったので、私の全身を悪寒が走り抜けた。


 「……ウソよ!」


 少女は声を張り上げて一歩後ろにあとずさる。ジャドの声に不埒な下心でも察知したのだろうか、どうやら少女の胸の内にはこちらに対する強い警戒心が芽生えてしまったようだ。ジャドのヤツめ、全く余計な事をしてくれる!
 私はジャドを退け、屈み込んで彼女に顔を近づける。


 「ウソではない! 私達は、偽りの神の名を御印にした因業に満ちた古代の因習を廃絶し、君を暖かな慈愛の精神で遇する係累の元へ連れ戻すためにここに来たのだ!」


 私は力を込めて少女を説得しようと試みる。しかし、少女はまるで言葉の通じない異国の人間に相対したかのようにこちらの言葉に耳を貸そうともせず、ただ身を竦めて脅えるばかりだ。


 「もう、ダメよアリス。そんな言い方でこの子に気持ちが伝わるワケがないじゃない。」
 「バ、バカな! 私は、最大限の誠意を篭めたつもりだぞ!」


 一体私の何が不満だというのだ。子供という生き物はワケがわからん。
 ルーノは深く溜息をついてから、私を押しのけてそっと少女の手を両手で包む。一瞬少女は身を翻して駆け出そうとしたが、その抵抗は手を振り解くまでには至らなかった。
 警戒心の強い少女ではあるが、彼女は未だ年端も行かない幼い子供なのだ。母の優しさにも似た柔らかな温もりが余りにも恋しかったのかもしれない。


 「あなた、エルシーよね。」
 「……私の名前、知ってるの?」
 「そう、あなたのお兄さんから教えてもらったの。いい名前ね。私はルーノ。仲良くしてね。」
 「うん……」


 意外に過ぎるほどスムーズに、ルーノは少女との対話を開始した。一体私と彼女で何が違うというのだろうか。


 「神様はもういらしたの?」
 「ううん、まだ。」
 「お腹は空いてない? ここに来て暫く経つでしょう?」
 「うん、大丈夫。」
 「そう、我慢強い子ね。お父さんとお母さんは、きっとあなたを誇りに思うわ。」


 収穫祭が終わってから暫く経つ。或いは飢餓状態に瀕していたかもしれない彼女が、未だ血色良く健常を保っていられたのは望外の幸運ではあった。この子が自ら食料を調達することは難きに過ぎるであろうし、すると食料は前以って十分に用意されていたのかもしない。空腹で苦しませるよりは魔物に……ということか。
 しばらくすると、ルーノと少女はすっかり打ち解けたようだった。今ではルーノは故郷の両親の話など彼女に聞かせている。


 「ねえ、私をおうちに帰してくれるって本当?」
 「あなたはどうしたいの、エルシー? おうちに帰りたい?」


 少女は俯いて、何事かを考えている様子だった。


 「私、おうちに帰りたいよ。でも、おうちに帰るとみんなきっと怒るよね。神様のお手伝いをするのが私の仕事なんだもの。」
 「ううん、そんなことないわ。お父さんも、お母さんも、お兄さんも、神様もみんな優しい人よ。みんなきっとエルシーの笑顔が見たいと思うの。エルシーが悲しい思いをしているのを見たくないと思うの。だからきっと許してくれるわ。私も一緒に謝ってあげる。」
 「ホント?」


 ルーノは一瞬、返答を躊躇った。確かに彼女が生きて帰れば彼女の家族は事情はどうあれ一時は喜ぶことだろう。しかし、例え彼女を地上に連れ戻したところで、彼女が両親と再会することはもう叶わない。この後、彼女はテッドと共にエトリアを離れる定めなのだから……


 「……本当、よ。」


 雛菊の蕾が花開いたように少女の顔に笑みが浮かんだ。対照的にルーノの表情からは血の気が失われ、彼女は唇を噛み締めて、少女をじっと見つめている。


 「お姉ちゃん、ありがとう!」
 「……どう、いたしまして。」


 この場面に限っては、少女が盲目だったことはむしろ幸いだった。今のルーノの表情を目にすればどんな幼子と言えども彼女の言葉を訝しむに違いない。
 そして、そんなこちらの心配などまるで意に介する様子もなく、少女は社の奥に向き直ると力一杯に声を張り上げたのだ。


 「アルル、出ておいで! この人達、怖い人じゃないよ!」


 一緒に連れ込まれた飼い犬でもいたのかと思いきや、茂みの中から上半身を覗かせたのはエルシーとほぼ同年代の色白の少女だった。森の神に遣わされた侍従はエルシーの他にもう一人いたのだろうか。彼女は幾分か緊張した面持ちでこちらを観察している。


 ……観察している?


 「アルルはね、私のお友達だよ。」


 無邪気に友達を紹介するエルシーの声は、私の鼓膜を叩いても、脳までは届かなかった。私の五感はいまや目の前に佇む幼い少女に傾けられていた。


 「ねぇ、お姉ちゃん。アルルもおうちに帰りたいと思うの。だからアルルも一緒にお願いしていい?」


 彼女もまた、エルシーと同じく自らの意に反して家族の元から引き離された不幸な娘なのだろうか。
 いや、それは違う。この子とエルシーには明らかな相違点がある。そして、私の目が確かならば、私の記憶が確かならば、この子は森の神の侍従に選ばれるワケがないのだ。


 そう、この子は『盲目じゃない』。彼女は紅玉のような目を見開いて、こちらをただ見つめている。


 彼女は森の神の侍従ではない。
 ならば、一体この子は何者だ? なぜ、この子はこんな場所にいるんだ!?


 アルルと呼ばれた少女はおずおずとエルシーに尋ねる。


 「エルシー、私達、本当におうちに帰れるの?」
 「そうよ、アルル。私達帰れるんだよ。お父さんやお母さんに会えるんだよ。」


 エルシーの言葉に、今までくすんでいたアルルの表情がぱっと華やいだ。


 「おうちに帰ったらアルルに私のお部屋を見せてあげるね。壁一面全部が窓なんだよ。夕暮れになるとお日様が差し込んできて、部屋が真っ赤に染まってね……」


 興奮して話し掛けるエルシーに対して、アルルはにこやかに頷いていたが、ふと小首を傾げる。


 「エルシー。お日様、って何……?」
 「え、お日様はお日様だよ? お空に浮かんでて、まぶしくて、あったかくて……」
 「空……?」


 綻んでいたアルルの表情が、途端に雲間に沈んだ太陽のように輝きを失う。


 「……エルシー、私、行けないよ。」
 「どうして、アルル? アルルも帰りたいんでしょ? 一緒に帰ろうよ!」
 「ダメなの。私は『キョウテイ』があるからダメなの。」
 「『キョウテイ』? 『キョウテイ』って何!?」
 「昔からの約束。私達は森から出ちゃいけないの。それが『キョウテイ』なの。」


 『キョウテイ』…… まさかそれは『協定』のことを言っているのか?
 モリビトがかつて人間と互いの領分を定めたと言う古の盟約。しかし、それはモリビト側の一方的な主張であって、その詳細を知る者は地上には一人としていない。その存在を知る者も限られた立場の人間だけだ。
 彼女がその存在を知り、それに縛られているということは…… 最早彼女の正体を疑う余地はない。


 アルルは、彼女は、モリビトなのだ……!


 「エルシー、帰らないで! 私達、友達でしょ! ここで私と一緒に暮らそうよ!」
 「アルル、どうしたの……? 私、アルルが何を言ってるかわからないよ!」


 アルルはエルシーの問いに答えることなく、こちらに向き直って私を見据えた。……突き刺すような敵意を孕んだ瞳で。


 「おまえ達がいけないんだ。エルシーはここで私と一緒に暮らすハズだった。ずっとずっと一緒にいるハズだったんだ。なのに、おまえ達が…… おまえ達が来たからエルシーは……っ!」


 その声には聞く者の心胆を縮み上がらせる冷厳な呪詛の響きが篭っていた。
 アルルはゆっくりと上体を前に傾けると、身を隠していた茂みの中からのろのろと這い出る。
 眼前の光景に私は目を見開いた。彼女の下半身、2本の足があるべき場所には、その代わりに力強く咲き誇る南国の花々にも似た器官があったのだ。


 「リーダー、エルシーを外へ!」
 「わかりました!」


 リーダーは反射的にエルシーを抱え上げると、身を捩るエルシーに構わず扉を押し開けて外に走り出た。私は急いで扉を閉めると、人と花の融合した異形の怪物の前に立ち塞がる。


 「エルシーを…… 返して……!」
 「貴様、一体何者なんだ!」
 「エルシーは…… 私と一緒にいるのぉ……っ!」


 植物で言えば、ガクに位置する辺りからゆらゆらと蔓にも似た触手を伸ばしながら、アルル…… いや、『茨の海』に玉座を構える『華王』はじりじりとにじり寄って来る。


 「コイツは本当にモリビトなのか!? こんなモリビトが……!」


 戸惑いに満ちたウィバの呻きが耳に届き、私は改めて怪物の全身を注視する。『華王』が身に纏う――いや、体に引っ掛けただけといった方が正しいか――衣服は樹海の植物を織り編んだ一般的なモリビトの衣装だったし、その肌の色は太陽の光を浴びずに育った彼ら特有の幽鬼のような真白さを備えている。
 恐らく『華王』は『森王』と同種の、変異的なモリビトなのだ。


 「エルシーを、返してぇぇぇっ!」


 『華王』の叫びが狭い室内全体に反響し、そして私達は剣を抜いた。




 「お姉ちゃん、アルルはどうしたの? そこにいるの?」
 「えっとね…… アルルはエルシーと一緒に帰れないのよ。」


 『茨の海』に足を埋めたルーノは顔を顰めながら、それでも声音を努めて平常に保ってエルシーに答えた。ルーノに背負われたエルシーは、どうして、と呟いてルーノの背中に頬を預ける。
 私達は、あの社に巣食っていた『華王』と戦い、そして勝利を収めた。しかし、それで私達が手に入れたのは目の眩むような財宝でもなければ魔物殺しの名声でもない。脳裏を渦巻く疑問ばかりだ。

 『華王』は一体何者だったのか。『華王』はなぜあんな場所にいたのか。『華王』はエルシーをどうしようとしたのか。『華王』は……


 「アルルはね、お腹がすいたら、ご飯を分けてくれたんだ。いつも優しくしてくれた。でも、もうアルルに会えないのかな。私、アルルにお礼を言ってないのに。」


 エルシーの話では、あの部屋において彼女と『華王』は奇妙な同居生活を営んでいたらしい。果たしてそれを『同居』を呼びうるのかは少々疑問の余地が残るのだが。
 不可思議な食料事情についてもそれである程度は合点が行った。恐らく『華王』はエルシーの目を盗んで…… いや、彼女の視線から隠れる必要はまるでないのだが…… 周囲を徘徊する動物を捕らえ、縊り殺して……
 ……これ以上はやめとこう。あまり気持ちのいい話ではない。


 『華王』はエルシーを私達の手から取り返そうとした。『華王』にはエルシーに執着する何かがあったのだ。それは一体なんなのだろうか。2人の言葉を100%呑み込むならば、それは彼女達が友達同士だったから、ということになる。
 ……いや、それもバカバカしい話だ。きっとヤツはエルシーを食料か何かとして見ていたに違いない。


 「彼女達は同じ境遇にあったのかも知れません。」


 不意にリーダーが呟き、私は思案げに俯く彼の顔を見据えた。


 「人間が我が子を捨てたように、『華王』はモリビトに捨てられたんじゃないでしょうか。」
 「だから、彼女達は寄り添ったのだと?」
 「頼るべき者がいなければ自然とそうなるでしょう。」
 「『華王』が捨てられたのはなぜだ。異形だからか?」
 「エルシーもある意味では異形です。」


 身体機能的に見るならば、侍従は確かに健常ではない。しかし、それは人間としての優劣を決定することと同義ではない。


 「人々は異形を恐れ、そして敬った。だからこそ『森送りの儀』は生まれたのです。」


 古き時代にあって、盲目の者達は部族にとって忌避すべき対象であり、同時に畏敬の対象でもあった。私達が亜人であるモリビトに対して優等感と劣等感を同時に抱くように、未知の存在に対して人は複合的な感情を胸に抱く。
 彼らは、盲いでいるがゆえに神に選定された者だとも解釈されたのだ。従って『森送りの儀』は悪意のみが充満した黒ミサなどではない。その成り立ちには聖儀の側面も含まれていたのだ。


 「モリビトにもそんな概念があるのだろうか。」
 「さぁ、どうでしょうね……」


 人間とモリビトは互いに敵対しあい、憎悪しあい、今もなお激しく相争っている。両者の合間には容易には埋めがたい深い溝がある。
 だからこそエルシーと『華王』の関係は、私の目には偽りとしか映らなかった。『華王』の態度は欺瞞としか思えなかったのだ。


 しかし、或いは彼女達の過ごしていたあの社だけは、この世界で唯一の人間とモリビトが共存していた空間だったのかもしれない。
 それはつまり人間とモリビトが全くの別種でないこと。『異形』でないことのある種の証明であり、その先に続く両者の未来を或いは私は夢想してしまうのだが、いや、それさえも全ては幻視に過ぎない。モリビトと手を携える可能性だけを見出すために、私達は自らの目を潰せるのか。いや、潰せはしない。
 それが、私達の限界なのだ。私達は未だ身内の『異形』さえ認めることができないのだから。


 「ねぇ、どうしてアルルは一緒に帰れないの?」


 何度目かになるエルシーの問い掛けに、そうね、と呟いてルーノは答えた。


 「アルルはね、森の神様だったのよ。」




 主人はテーブルに置かれた一束の毛髪を震える両手で押し頂くように取り上げると、眼前に翳して嗚咽した。


 「……息子は、娘は、息災なのか?」
 「今朝方、西門より送り出しました。……そして、依頼を果たせずに申し訳ありません。」
 「いや、君達は良くやってくれたと思う。」


 主人の言葉が世辞に過ぎないことは明白ではあったが、私には返す言葉が浮かばなかった。最愛の子供と再び合間見えることが叶わなくなった親の悲しみなど、今の私には理解できようもないし、それを癒す方法など到底及びもつかなかった。


 「あれは、私を恨んでいたことだろう。家名を守るために、私は娘を生贄に差し出した。本来であれば、私が娘の盾になってやらねばならなかった。それなのにだ。」


 デスモンド家は土地の郷士であるがゆえに、『森送りの儀』を完遂せざるを得なかった一面もある。彼は率先して土地のしきたりを遵守し、実行する立場にあったのだから。
 もし、彼らが平凡な一庶民であれば、或いはこんな悲劇は起きなかったのかもしれない。周囲の追及の手は随分と緩やかであっただろうし、理解と同情の目もあったハズだ。
 だから、彼らはある意味では周囲の妬み、嫉みに首を締められたのだとも言える。
 自分より恵まれた人間が痛い目に遭うのを見て気を晴らす、という人間の情動は、下劣ではあるが存在を否定できるものではない。それが彼らを強く追い詰め、今日の事態を招いたのだと考えると、やはりこのエトリアの旧悪的な因習は未だに人々に不和の種を振り撒いているのだと認識せざるを得ない。


 彼は、大きな悲しみを背負った。だが、不必要な悲しみまで背負う必要はない。私に彼を癒す手段はない。だが、彼の最愛の家族の言葉はなんらかの慰めにはなるだろう。


 「テッドから伝えて欲しいと頼まれました。『不出来の息子で申し訳なかった』『そして今までありがとうございました』と。」
 「テッドが、そんなことを……?」
 「……彼は、あなたのことを憎んでなどいませんでした。あなたの苦しみを知りながら、何もできない自分の無力さを憎んでいたのです。」
 「……私は大馬鹿者だ。何も気づいてやれなかった。何も…… なんてバカな……」




 差し出された礼金を私達は固辞した。依頼を失敗したのに報酬を受けとる冒険者など聞いたことがない。
 だが、主人は強情に私達に中身の詰まった皮袋を手渡そうとした。


 「口止め料だと思って受け取って欲しい。」


 勿論、本心から言っているワケではない。これも彼なりの気遣いなのだろう。私とリーダーは顔を見合わせて、そして皮袋を受け取った。


 部屋を辞去しようと扉を潜ったところで、主人がリーダーに声をかけた。


 「エバンス君。君は私を見下げた奴だと思っているだろう。他人の家族に犠牲を強いて、自分の家族だけを見逃した不実な男だとな。」
 「……仰る意味がよく分かりませんが。」
 「12年前のあの時、私は勇気を持ってこの土地の因習を断ち切るべきだったのだと思う。そうすれば君の弟も……」
 「……デスモンドさん。」
 「……構わない。君には私を弾劾する資格がある。」
 「私はテッドを見捨てようとしたのです。だから私にはそんな資格はありません。」
 「エバンス君、君は……」
 「失礼します。」


 重い扉に阻まれて主人の声は最後まで届かずに遮られた。彼が何を言いたかったのか、私にはわかるような気もしたし、見当違いな想像をしているような気もした。
 私達はそれから一言も交わさず、デスモンド邸を後にした。リーダーがようやく口を開いたのはベルダ広場の噴水に差し掛かった頃だった。


 「彼女を救えて良かったですよ。」
 「……え?」
 「エルシーです。『茨の海』の御社。昔はその場所さえもわかりませんでしたからね。」


 先程の主人とリーダーの会話から察すると、彼の弟はエルシーと同じように『森送りの儀』によって『茨の海』に連れて行かれたのだろう。だが、一つ違っていたのは、彼には協力してくれる人々がいなかったということだ。
 リーダーはテッドに自分の姿を重ねていたのではないだろうか。かつての自分。かつての無力だった自分を。
 そしてリーダーが頑なに守旧を固持しようと努めたのは、つまりは過去の自分をそうすることでしか正当化できなかったためなのだろう。彼もまたこの街に残る因習の犠牲者の一人だったのだ。


 「冒険者を始めたのも、元々は『茨の海』を探すためだったんです。……でも、『茨の海』を探し当てても御社に立ち入ることはできませんでした。」


 扉を開いたそこに黄ばんだ子供の骸骨が転がっていたとしたら。そしてそれが肉親の慣れの果てだと思い至ってしまったとき、果たして誰が正気を保っていられるだろうか。


 「エルシーを救えた。だから私は弟を救えたんです。」
 「……そうだな。うん、そうだ。」


 12年前、果たせなかった責務を彼は今やっと果たすことができた。
 リーダーにはエルシーを見捨てる選択肢もあったのだ。『茨の海』の存在を知るのは彼一人だった。彼が口を閉ざせばそれだけで顛末は異なる姿を迎えていたのだ。そして、彼にはその選択肢を選ぶ権利があった。
 しかし、彼は自らの心に巣食う闇を退け、我が身に降りかかった悲劇を繰り返すことなく、一人の少女を家族の元に送り届けることに成功した。家族を失った悲しみを消化し、彼は苦痛を与えた人々を許したのだ。それも全ては彼の心の強さあってのものだ。


 「私は悔やまずに済んだのです。あなたのおかげで。ありがとう、アリスベルガ。」


 満ち足りた笑みを浮かべる彼の瞳には、もはや暗く深い因業を帯びた影はなかった。そこには春風の風薫る早朝の庭園を照らす木漏れ日のような暖かな光が宿っていたのだ。






 アルルーナはなぜあんなところにいたんだろう、というのが今回の話の発端です。
 モリビトの居住地である第4層から遠く離れたところにポツーンと一人っきり。一体なぜまた。
 で、これはきっと姿形が普通のモリビトと違うから隔離されたんだな、とか。或いはヴィズルさんが実験体○○号みたいな感じで作ったのを放棄したのかも、とか。まぁ、通底した方向性として『捨て子』みたいな。どうしてもそっち関係にしか頭が働かなかったり。病んでますね!
 ただまぁ、姿形が普通のモリビトと違う、みたいなことを言っても、フォレストオウガやらフォレストデモンやらも随分と変態してますしね。どこまでが変じゃなくて、どこからが変なのか、ってのは、まぁ、ご都合主義的な分類法なんですけど。


 そんなワケで地方民話的な子供を山に捨てるような話を参考に、人間側の事情とモリビト側の事情とを織り交ぜて焦点が見えてくればいいな、と思ったんですが、思ったよりも人間側に視点が寄りまくってしまいました。リーダーのせいです。
 もうちょっとモリビトに寄りたいかなと思うところもあったのですが、時間軸的には第4層攻略時の話なので、この段階で結論を導いてしまうと先々の流れが無意味になってしまうために、こんな感じになりました。


 あとは今回思ったのは、エトリアは栄えている街だけど、その芯の部分は物凄く田舎っぽいというか、東北地方の農村的なドロドロした感じが未だに残ってるんじゃないかなぁという点です。地理的に田舎ってのはゲームでも記述があったように記憶しているんですが、世界樹の迷宮が見つかってから栄え出した街ってことで文化的にも未成熟な部分があるんじゃないかなと。
 まぁ、別に現代でもこの文明化社会の中で、えらく古めかしい風習がひょっこり出てきたりすることは珍しい話じゃないですし、それを当然と思う精神性も根付いてるワケで、昔と今ってのを簡単に切り離せるかと言えばそんな簡単な話じゃないとは思うんですよね。




 ともあれ世界樹1についてはこれでめでたくネタ切れと相成りました。でも、これで終わりです、と宣言しちゃうと、何か思いついたときに困るので、予定はありません程度の話で行きたいかなと思います。
 とは言え、自分の気持ち的にはここから世界樹2に切り替えていくつもりです。世界樹2の発売まで約1ヶ月。世界樹2で予定しているキャラクター達の馴れ初めと言うか、出会いを書いていけばちょうど終わる頃にはソフトが発売されるんじゃないかなと読んでいます。
 そんなワケで長らくお付き合い頂きました皆々様、今まで大変ありがとうございました。世界樹2でも変わらぬご贔屓を賜れるようでしたら、また適当な時にでも覗いて頂ければと思います。




 思いつき。




 「おばちゃん、ありがとう!」
 「……どう、いたしまして。」


 この場面に限っては、少女が盲目だったことはむしろ幸いだった。今のルーノの表情を見ればどんな幼子と言えども彼女の言葉を訝しむに違いない。