▼セブンスドラゴン・承前

 メイジ♂ エトワスの記憶


 ノブを回して僅かに扉を押し開けると、隙間から酸味の伴った仄かな香気が漏れ出てくる。果実酒の香りだと脳が認識を果たすと、しかし同時に一つの疑問が浮かび上がる。
 日頃、美酒美食にまるで興味を示さない父が、こんな真っ昼間からコルクを抜くとは、一体どんな変心の訪れがあったのだろうか。終わり行く世界に悲観して痛飲に耽っているとでも? ……いや、あの男に限ってそれはないか。
 疑問に一端硬直した腕に再度力を込め直し、僕は扉を押し開ける。グラスを煽る父の姿を視界に捉え、僕はかつて応接間として使われていたその部屋に一歩足を踏み入れた。


 「あれが残してくれた最後の一瓶だ。お前も飲め。」


 上座に座る男、父がグラスを揺らして言う。その声は酒気に揺れてもいなければ爛れてもいない。父は素面のようだ。
 清潔なクロスのかけられたテーブルに視線を落とすと、そこにはシナモンも蜂蜜も生姜もない。生のままを賞味する父の姿に僕は驚きを禁じえなかった。


 「よくそんなものが残っていたね。全部ダメになったと思っていたよ。」
 「長旅には不要な代物だ。片付けねばなるまい。」


 数年前に突如エデンに現れた「竜」と呼ばれる怪物は、僕達から様々なものを奪い去っていった。地下室の葡萄酒なんてのはまだささやかなもので、僕と父は共に掛け替えのない家族を失ったのだ。
 そして悲しむべきことに、僕達の身の上話は、今の時代ではごく有り触れた悲話の一つに過ぎない。大規模な竜の襲来とそれに付随するフロワロの旺盛な繁殖によって、今やエデンの大地の8割は竜の支配する領域へと姿を変貌させていた。
 そんな状況も相俟って、酒類は今では高価な嗜好品ではあった。葡萄を育てる土地と労力とが軒並み奪われてしまったこともあるし、流通の悉くが滞ってしまったことも大きい。ミロス連邦は長年に渡り、葡萄酒生産の領袖としての地位を築いていたが、現状のままでは飲酒の文化も含めてまるごと竜に消滅させられそうな気配すらある。
 街道の多くは山賊や狼以上に見境のない竜どもの庭となり、フロワロが山野に点在する村々を呑み込むと、人々は城壁を持つ都市部に逃げ込まざるを得なくなった。商人は自衛のために荒くれ者を雇い入れ、最低限の流通経路を確保してはいたが、竜とフロワロ――全てを結晶化させる紫紺の花々――の侵食が強まる昨今、いつ完全に通運が停止してもおかしくない状況ではある。


 卓上に置かれたグラスは中ほどまでを赤い液体に満たされ、鼻腔を強烈に刺激する鮮やかな香気を放っている。
 僕は父の正面に座すると、グラスを摘んで一口含む。突如猛烈な酸味が口内を蹂躙し、思わず僕は眉を顰めた。
 葡萄酒は酷く酸化していた。これは酒じゃない。ただの酢だ。
 まぁ、確かに崩れかけた地下室で何年も放置された一本に、摘み立ての若さまで期待しちゃあいなかった。しかし、これは、どう評価しても、賞味に足るものじゃない。
 僕は口元を指で拭いながら、上目で父の顔を盗み見る。父は顰め面で酢を啜っていたが、平時との見分けは困難を極めた。
 父は僕を驚かせるためにわざわざこんな手の込んだ芝居を打ったのだろうか。いや、そんな子供じみた真似をする男ではないと思うのだが。


 「北の地は冷える。準備は周到に行う必要がある。」
 「……僕は、行かない。」


 緊張にざわつく心臓を必死に抑えつけながら、僕は父を真っ直ぐに見据える。冷厳なその表情は大理石の彫像のように微動だにしない。
 弁解するなら今のうちだぞ、と父は目で訴えかけてくる。僕は腹の底に萎びたありったけの度胸を動員して父を睨み返した。


 「カザンへ行く。僕は冒険者になる。」
 「儀宝も学位も戦争のための道具ではない。考え直せ。」


 この大陸に点在する太古の遺跡の発掘と調査。父はそれを自ら生業と任じ、長きに渡って古代の文明の解明と利用に力を注いできた。そして父の一粒種である僕が、この無骨な父の影響を受けないワケもなく、気づいてみれば僕は父の足跡を辿り、父と同じ考古学の道を歩んでいた。
 石窟を物理的に破砕するための儀宝の理を学び、学士の街プレロマで哲学の学位を得た。父と共に数多の遺跡の調査に当たり、少なからぬ成果を持ち帰ったと僕自身は自負している。


 「何を呆けたことを。子供じみた我侭が許される年齢はとうに過ぎていように。」
 「……パトロン連中は反攻作戦を打ち切って『聖域』に逃げ込むって聞いた。それは本当なのか?」


 腑に落ちた、といった表情だった。なぜ僕が時期外れの反抗期を迎えたのか、父はその理由に思い至ったようだった。
 北方の果て、フロワロの繁茂する石窟の最奥で、僕達は鋼鉄の扉と椀状の外壁からなる巨大な遺跡を発見した。巨人の住処と見間違えんばかりのその長大な岩屋は、人間の努力と懇願の悉くを固く跳ね除けて、未だその門扉を閉ざしたままでいる。
 僕達は遺跡の内部に潜り込むべく様々な手段を講じたが、結局入り口を開くことさえままならなかった。儀宝を用いて外壁の爆破すら試みたが、考古学者の良心を疑われるが如き野蛮を敢行したにも関わらず、白磁のように滑らかなその肌には、罅割れ一つ浮かぶことがなかったのだ。
 僕達は一度キャンプを畳み、出資者であるミロスの商人ギルドの元に報告に向かう。報告を受けた彼らの次の要望は僕にとって予想外のものだった。いや、それは路傍の石ころにも商機を見出す彼ららしい発想ではあったのかもしれないが。
 つまり、あの頑丈な遺跡を竜から身を守るための城砦として使えないか、というのがその要旨である。


 かつて、このエデンの地に文明を築いた人々は、僕達の想像を越える高度な技術理論を持ち合わせていたらしい。遺跡から読み取れる彼らの日常は、僕達が平常利用している技術とは全く次元の異なる技術体系から成り立っている。
 しかし、民間の伝承から彼らの存在を仄めかす逸話こそ掬えても、彼らの直系たる子族後継はこのエデンのどこにもいない。彼らの歴史を記す客観的な論拠は、ただ無言を貫く冷えた遺跡だけだ。
 では、彼らは一体どこへ消えてしまったのか。彼らの知識が後世まで承継されず、技術的な断絶が起きてしまったのはなぜか。その疑問に明確な回答を示せる者はどこにもいなかった。
 この論題について、かつては大陸中の学者が喧喧諤諤の議論を交わしたものだが、今では進んで論議を深めようとする者はいない。数年前から突如始まった竜の蛮行が、過去のエデンに起きた災禍の有様を最悪の形で僕達に教示してくれたのだ。
 『聖域』と名付けられたその遺跡は、かつてのエデンの災厄を経て、今なお健在を保っている。ならば、『聖域』は竜に抗しうる防盾となるのではないか、との推測も全くの的外れとは言えない。
 竜の蹂躙を許し続けてはや数年。大地の大半をフロワロに埋め尽くされ、人類は未だ活路を見出せずにいる。
 だからこそ、彼らの目には『聖域』が暴虐の覇王から逃れるための希望の光に見えた。人類の未来を繋ぐ箱舟に見えたのだろう。


 「何事にも保険は必要だ。」
 「それでエデンが救えるのかよ!?」


 竜からエデンの大地を取り戻すべく、今でも各地では人類の反攻作戦が繰り広げられている。自己の存亡を賭けて、血反吐を吐きながら、人類は泡沫と消えた生存権を掴み取ろうとしている。
 しかし、『聖域』の発見は、人類に逃げ道を与えてしまった。人類は、竜と戦わずとも生存を可能にする一つの仮説を探り当ててしまったのだ。


 「聞け、エトワス。我々人類は今、未曾有の危機に瀕している。」
 「知っているさ。あの野蛮なトカゲどもに大地を奪われて、僕達は今や死滅寸前だ。だからこそ……」
 「だからこそ、人類は命脈を繋ぐことを第一に考えねばならん。『聖域』に篭り、竜の脅威から逃れるのだ。」


 これが彼らが新たに導き出した一つの方策だ。嵐が過ぎ去るのを待つように、『聖域』に篭って竜がエデンを飛び去るその時を待つ。
 とは言え、その実情は保身を計る政財界の有力者が、竜との決戦を恐れて捻り出した苦肉の策なのだ。『聖域』を『聖域』足らしめる全ての条件は、現在のところ全くの希望的観測でしか満たされておらず、仮定の土台に仮定の骨組みを重ねて組み上げられた『聖域』と言う名の建造物は、傍から見れば歪な造りの砂上の楼閣でしかない。


 もし、『聖域』を開く手段が見つからなかったら?
 もし、『聖域』に竜を退けるだけの堅牢さがなかったら?
 もし、『聖域』の奥にも竜がいたとしたら?


 少しばかり思考を巡らせるだけでもこれだけの疑義が浮かび上がる。彼らはそうした問題を全て解決したつもりで『聖域』に過度の期待を寄せているが、実際のところ、『聖域』にどれほどの実用性が備わっているかは現状では全くの未知数だ。
 逆に言えば、そんな根拠薄弱な楽園思想に縋り付くほど、彼らの精神は疲弊しているとも言える。健常な思考さえ働けば、自分達がどれだけ無謀な賭けに挑戦しているのかに気づいて愕然とすることだろう。


 「竜の遠吠えが消えるまで、震えながら穴倉に引き篭もるのか。ウサギのように。ムジナのように。滑稽な話だ。」
 「長くはかからん。残り2割の土地を竜が蹂躙する時間なぞ、たかが知れたものだ。」
 「あなたの言う未来は人類の死滅が前提か!」


 人類の奮戦を全く度外視したその物言いは、実の父の言葉であってもさすがに腹に据え兼ねる。身を呈して侵略者と戦う冒険者を体のいい弾除けとでも思っているのだろうか。


 「冬になれば渡り鳥は南へ飛び立つ。竜とて同じだ。奴ら、倣岸不遜なトカゲどもが何処より現れたのかは知らんが、腹を空かした奴らが滅びの大地に好んで根を下ろすとも考えられん。」
 「例え、竜が飛び去ったとしても、残された大地は一面結晶に覆われた不毛の荒野だ。そんな大地を取り返してなんの意味がある!? そんな場所で誰が生きていける!?」


 だからこそ人類は決戦を採択したのではないのか。絶望と言う名のフロワロの種子を撒く竜との共棲など人類には到底考えられない。人類が生き延びるためには、大地を闊歩する竜を駆逐し、地表に蔓延るフロワロを根絶するより他に道はない。


 「竜が消えればフロワロは枯れる。あとはそれを自律的に進めるか、他律的に進めるか、それだけの違いに過ぎん。何より決戦を挑むのならば挑むべき時勢があった。今は既に時を逸している。」


 僕は二の句を継ごうとして窮する。確かに父の言葉には否定できない一面もあるのだ。
 竜との決戦を主張する主戦論者の筆頭は、何と言っても、カザンの大統領、ドリス・アゴートその人だ。アゴート大統領は冒険者からカザンの大統領まで上り詰めた傑物ではあるのだが、その彼にしても、結局は小国の首長に過ぎない。
 彼の呼び掛けに意気を高くする若者達が大陸中からカザンに集まりつつある。誰もが皆、自らの内にドリス・アゴートの資質を夢見ているのだ。
 しかし、一方で大国の多くはカザンの大統領の呼びかけを半ば無視し、独自の姿勢を貫いている。無為に動かぬことが大国の矜持とでも彼らは考えているのだろうか。


 「国家の枠組みを越えて志を纏めなければ、人類は遠くない未来に滅ぶ。その事態を避けるために『聖域』はあるのだ。」
 「だからって……! だからって初めから逃げてどうするんだよ!」
 「目的を履き違えるな、エトワスよ。トカゲどもを屠ることが我々の目的ではない。生き延びることこそ肝要なのだ。トカゲどもに無償でくれてやるほど人類とエデンは軽くはないぞ。」
 「だったら人類全てを救ってくれよ! 貴卑の別なく! 貧富の別なく! 種族の別なく! みんな全てだ!」
 「それはアゴートの得意な法螺だ。縋るならヤツに縋れ。ヒロイズムの鉾を頼りにトカゲどもと刺し違える最期など私は御免被るな。」


 ドリス・アゴートの決戦主義は、多分に熱狂を孕んだ精神病のような趣がある。逼窮した人類が繰り出せる最後の一手を、精々華々しく打ち上げてやろうという、そんな自暴の一面も見える。しかし……


 「結局は、そこだ。『聖域』の存在が、人々の結束に穴を穿つ。だから僕は『聖域』を認めない。絶対に認められない。」
 「フン、『聖域』の有無に関わらず、元々人類の紐帯など綻び破れている。お前は連中を勇者と評するが、奴らはアゴートの煽動に体よく乗せられた狂信者の集まりに過ぎん。」
 「だけど人々は、自分の命を賭けてなお大地の奪還を望んだんだ! だったら、彼らの懸命さを愚行だと一笑に付して、それで心の平安を得るような、そんな恥知らずな真似を僕はしたくはない!」


 言い終えてから僕はふと我に返る。知らず知らずのうちに頭と心が熱くなりすぎていた。僕は大きく息を吐いて、前のめりの姿勢をぎこちなく正すと、気を落ち着かせるためにグラスを取って一口に呷る。激しい酸味が強かに喉を突き刺し、僕は思わず噎せ返った。
 父は手酌で葡萄酒だったものを杯に注ぎ、次いで僕の杯に最後の一滴までを注いだ。母の残した最後の一本はこれで終わりだ。


 「自殺志願者を殉教者と持て囃すのは尻の青い連中の特権といえばそうだ。我々はせせら笑う。お前は称揚する。そこが違うのだろうな。」
 「何が言いたい!」
 「脳味噌ばかりを鍛えてみても、尻の殻は容易には剥がれんということだ。」
 「なんだと!?」
 「……カザンへ行け。無能な弁者は集団の害悪だ。こちらの結束まで乱されては堪らん。」


 激情に任せて立ち上がったまではいいが、どんな言葉を返せばいいのか僕にはわからなかった。握り締めた拳を宙に浮かせたまま、僕は疲労の鉛に押し潰されるように再び腰を下ろした。
 根負けした、というのとは違うのだろう。見放した、と言ったほうがより正しい。父の目には怒気もなければ冷酷さもなく、出土した磁器の破片を調べる時に垣間見せる怜悧な観察の灯火を宿していた。
 現実を知って、そして諦めろ、と父は言うのだ。瀕死の極みに陥った老人の、生に執着する醜態を見分して来いと、そう言うのだろう。


 「……行くさ。行って、竜を倒す。『聖域』なんて必要ない。それを証明してみせる。」


 ああ、だったら僕も異存はないさ。『聖域』には頼らない。人が自らの力だけでエデンに平和を取り戻す。その方策を必ず見つけてみせる。
 僕は杯を高らかに掲げ、そして一息に飲み干した。食道を通じて胃までを粘性の痛みが奔る。けれど、胸奥から溢れる決意の灯火の熱さに比べればこんなものはなんてことはない。
 先程の雄弁振りとは打って変わって父は黙したまま杯を舐めるように啜っている。僕は椅子から立ち上がり、姿勢を正すと、長い長い一礼を施した。


 踵を返し、部屋を辞去する。呼び止める声は、なかった。





 誤解されると怖いので初めに断っておきますと、セブンスドラゴンは人間と竜の物語です。上記に頻出する『聖域』は、ゲームとは無関係な全くの想像の産物です。動画やらちびキャラトークやら書き進める上で下敷きとした要素はありますが、基本的には世界観を想像する中で、もし竜から身を守るための防壁があったとしたら人々はどんな行動を取るのだろうか、という仮定を放り込んで、7竜で登録予定のキャラクターの旅立ちについて妄想してみた次第です。ええ、全くの妄想です。


 ということで、それを承知の上で勢いで書いてしまいました。色々と恥ずかしい点は自覚してはいますが、それでも書きたくなってしまったのでしょうがないんです。
 まぁ、いくら竜との決戦が避けられないからと言って、進め一億火の玉だ、とは中々上手く行かないと思うんですよ。中にはなんとか逃げようとする人もいるでしょうし、悲観して斜に構える人もいるでしょう。まぁ、楽観的な人もいるでしょうね。
 決戦を主導しているのが新興国家のカザンってのも、色々と妄想が広がるところです。他の大国は「あんな若造の口車に乗るのは癪だ」みたいな気分でしょうし、共通の目的はあっても、なかなか上手く歯車は噛み合わないと思うんです。7竜は、そこをなんとかするゲームだと思っています。
 とまぁ、そんな微妙な情勢の中で、決戦こそが人類の取りうる唯一の手段だ、と声を張り上げるには、若さが必要だなぁと自分は思うんです。まぁ、すんごい軽い理由でも別に動機としては十分だとは思いますけど。
 なので、その辺の動機を固めてみるとこういう流れになるのかなー、という感じで、色々と書いてみました。で、こうやってゲーム発売前に色々固めると後で設定の齟齬が見えてきて暗澹とした気分になるんですよね。うわあ。


 まぁ、今後継続的に書き物をしていくかどうかはわからないんですけども、今回は勢いで書いてしまったので、上げてみます。こんな妄想をするほど期待していますよ、っていうね。それは強く言いたかったんですよね。