▼スタジオ斬とかニューマリオとか

 http://www.studio-zan.com/jpp/jyanbato.htm


 スタジオ斬の「ジャンケンパーティぱらだいす」からジャンケンバトカード。8枚構成のデッキからカードを選んでジャンケン勝負。相手のHPを削りきったら勝ち、というルール。
 最初に見たときは「これってムシキングじゃね?」と思ったんですが、相手の手を見て自分の手を決められる&カードを消費するにつれて手が絞られていく辺り、カイジの限定ジャンケンに近いゲーム性なのかもしれないですね。
 ルールは単純ではあるんですが結構面白そう。てか、対人でやると読み合いが凄く楽しい気がします。
 デッキ編成可能ってのも面白いところで、TCGのメタゲームの面白さを極限にまで簡略化した楽しさもありそうですね。「最近はチョキの『雷帝の乙女戦士』が人気だから、こっちはグー主体のデッキで行こう!」的な。チョキ単デッキとか作ってもそこそこ戦えると思うんですよね、このルールだと。カードを消費していくと詰将棋的な流れにもなりそう。
 あとはWii Speakが使えればいいのにね……と思うのは素人考えなんでしょうが。


 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091210/211427/


 日経ビジネスオンラインニューマリオの記事。2ページ目にはおてほんプレイは攻略本ビジネスの構造を変えてしまう可能性がある、的な内容が書かれています。てか、会員じゃないのでもう記事は読めないんですが、そんな事が書かれていました。確か。
 昔に比べて攻略本は、有志によるWikiの拡充でその存在感を減衰させていることは事実ではありますけど、未だに紙媒体ならではの利点は大きく、ドラクエやらポケモンやらの攻略本は毎度ベストセラーに名を連ねています。ゲーム雑誌の多くは雑誌そのものを広告として、攻略本で利益を確保するビジネスモデルを確立しています。
 で、ニューマリオを契機にしてゲーム内に攻略情報まで内包するゲームが増えるかどうかと言えば、さすがにそれは早すぎるなと思うんですね。というのは、簡単な話で食いっぱぐれる人が増えるからです。
 攻略本を売るためにゲーム雑誌がソフトを取り上げる都合上、攻略本の不要なゲームはそもそも雑誌で取り扱う必要が薄くなります。そして、ゲーム雑誌を読むようなコアなゲーマーを対象としたゲームの場合、雑誌への露出は重要な販促活動の一つで、ゲーム雑誌とゲームメーカーは二人三脚でソフトを売り出しているワケですね。
 初代スーパーマリオブラザーズの盛り上がりがゲーム雑誌の創刊に繋がったのは、メーカーと雑誌編集部と両方が利益を得る構造が生まれたからです。それとはまるで真逆の、片輪を故意にパンクさせてクラッシュしてしまうような流れはなかなか根付かないんじゃないかなと自分は思うんですね。
 任天堂はゲーム雑誌による露出をさほど必要としません。自前で広告を打つ体力があります。だからこそ、任天堂はこうした大胆な手が打てるワケですが、翻って他社はどうかと言えばそれはちょっと難しい話で、もし仮に攻略要素を内包するゲームが一般化するとしたら、それは今まで以上に情報の共有化が進んでゲーム雑誌の影響力が廃れてからの話になるでしょうね。まぁ、その労力をメーカーが背負い込めるかと言えば、それも難しいんじゃないかなと思うんですが。


 この記事では「おてほんプレイのないゲームは欠陥品だ」的な、割と刺激的な書き方をしているんですが、意図としては、今のゲームはユーザーが自分の思うように楽しむ自由度に欠けているってことを言いたいんだと思います。
 小説をパラパラっとめくって好きなページから読む自由、場合によっては後書きから読んでしまってもいいというような、ユーザの裁量に任せた楽しみ方を提供できていないのが今のゲームだということですかね。早送りと巻き戻しがないビデオデッキとでも言いますか。
 自分でお金を出して買ったものだから、自分は隅々まで楽しみたいと思って遊びますけども、それはかなり能動的なユーザの考え方ではあって、ドラクエでさえもエンディングまでプレイしない人は結構多いワケです。で、そういう人が次にゲームの購入を検討したとき「きっと途中で投げちゃうから止めとこう」と考えることは容易に想像できるワケで、それって凄く勿体無いことではあるんですよね。
 全部の要素を遊び切る必要はないにしても、次のゲームを買ってもらうだけの達成感を得る仕掛けは大事で、ボリュームの増大が招いた裏の問題としてこれはあるかなと思います。
 話はちょっと逸れますが、ロックマンはその辺り、1つのステージに詰まっても他のステージを試すことができる自由度が確保されていた点が当時のゲームとして画期的だったように思います。おてほんプレイは攻略に詰まるとデッドロックになってしまうリニア状のゲームだからこそ必要な工夫であって、おてほんプレイ自体が必要かどうかはゲームデザイン次第なところが大きいでしょうね。ロックマンも初期の8ステージを攻略した後はリニア状のステージ構成に移行するワケで、折衷案も幾らでも考えられると思います。