世界樹の迷宮2・その0の1

 ソードマン♂ ベオの記憶


 方形に固められた盛り土の上に無造作に置き捨てられた岩。ここにはそんなモニュメントが無数と並んでいる。
 その中からオレは恣意的に一つの岩を選び出すと、その前に直立する。風と雨の手によってのみ磨かれたその岩は、そこらに転がっているただの石くれと大差ない。
 もし、この岩に特別な価値があるとするならば、それはおぼろげに風化していく記憶を繋ぎ止め、媒介する役割を果たしていることなんだろう。だけど、それさえも全ては当為者がいて初めて生まれる価値観だ。岩は何も語りかけない。オレは岩に語りかける。……オヤジ。


 「雪が降ってきたよ。」


 上空に視線を転じれば、そこには重苦しい鈍色の空の狭間から、掠れるような陽光を背に負った黒い雪が舞い降りてくる。肌を突き刺す微風の流れに乗って眼前を通り過ぎた黒い塵は、徐々にその姿を白く変貌させ、凍てついた大地に漂着すると透き通るように消えていく。


 「雪は、世界樹で命を落とした冒険者の望郷の念なんだ。」
 「誰が言ってたの、そんなこと?」
 「オヤジだよ。」
 「あっそ、冒険者って夢想家なのね。だから冒険者なんてやってるのかもしれないけど。」


 霜を踏み潰しながら近づく足音の主は、オレの横に並び立つと膝を折り曲げて持参した花束をそっと墓前に備えた。オレは目を瞑り、黙祷する。


 「随分と長かったんじゃない?」


 それは詰問ではなく、むしろ好奇の響きを伴った問いかけだった。黙祷を終えたオレの顔を覗き込むようにミレッタは顔を近づけてきた。
 樹林に紛れるためだろうか、普段の彼女は南国の密林を飛び交う尾長鳥を思わせる色彩豊かで軽素な服装を好む。小柄な体格も相俟ってその姿はまるで腕白な少年を想起させるのだが、今日は墓参ということもあり、黒を基調にした一揃いに防寒用の皮の上着を羽織り、普段とはやや異なった大人しい印象を醸している。


 「今のうちに色々と報告しとこうと思ってさ。」
 「何よそれ。」
 「オレ、冒険者になるよ。」


 数秒の静寂を経て、ようやく言意を飲み込んだ彼女は顔色を変えて詰め寄ってくる。


 「ちょっとそれ、どういうこと!? ベオは鍛冶師になるってんじゃ……!」
 「辞めてきた。親方から拳骨を貰ったよ。」


 徒弟としてギルドに放り込まれてから何年経つだろうか。日頃から口喧しい親方が、なぜか昨日だけは無口だった。


 「当たり前でしょ、バカ! どうしてそんな……!」
 「オヤジの汚名を雪ぎたいんだ。あの世界樹の迷宮を踏破したい。」


 オレのオヤジは冒険者だった。それなりに腕も立ち、名前も知られた自慢のオヤジだった。
 オヤジは迷宮の最奥に『諸王の聖杯』と呼ばれる財宝が眠っていると信じていた。そしてそれを見つけるのは自分なのだと吹聴して回ってもいた。
 だけどオヤジは特別な冒険者じゃなかった。オヤジもまた多くの冒険者が辿ったように、世界樹の迷宮の誰も知らない場所でその生涯に幕を下ろしたんだ。


 彼女は矢庭にオレの肩を掴むとヒステリックに声を荒げる。


 「バカ! 冒険者なんてロクなもんじゃないわよ! 酒場に屯してる連中なんて、みんな粗暴で無法なヤツばかりじゃない! あんな連中と肩寄せ合ったところで、結局は薄暗くて黴臭い迷宮の片隅で白骨を晒すだけ! 少しばかり頭が働くなら冒険者なんて食い詰め者の仕事だってすぐわかるわ! 考え直しなさいよ、ベオ!」
 「オヤジは違うよ。オヤジはそんな冒険者じゃなかった。」
 「生きて帰ってこれなかったら一緒じゃない!」


 彼女の言葉もある意味では的を射ている。優れた冒険者とは生き延びた冒険者にのみ贈られる称号なのだ。
 冒険は得てして金がかかる。その問題を克服するためにオヤジは多くの出資者を募っていた。
 しかし、結果的にオヤジの最後の冒険となった『諸王の聖杯』の探索行は失敗に終わり、オヤジに出資したパトロンはその全てが深刻な痛手を被った。そしてオヤジに捧げられていた数々の賞賛は翻って悪罵となり、オヤジの冒険者としての名声は一転地に塗れた。
 彼女が冒険者を嫌うのも、そんな巷間の急激な変化を目の当たりにしてしまったせいなんだと思う。冒険者が負う危険性と報われなさを、多分、彼女は誰よりも理解している。


 「大体ベオだって毎日毎日世界樹を見上げてさ! ずっとおじさんの帰りを待ってたんじゃない! 雪に面影なんか見出そうとしてまで! そういう思いを人にさせるのがどれだけ不義理なことなのかって、ベオ、アンタはそれがわかってんの!?」


 これは少し効いた。冒険者は自身が危険を背負うだけじゃない。家族にまで負担をかける仕事なのだ。「冒険者となんて結婚するもんじゃない」とは妻に逃げられたやもめの冒険者が自嘲を籠めて呟く台詞の定番だ。
 自分の記憶を掘り起こしてみても、オヤジの帰りを待ち侘びていた日々があったのは事実だ。幼い頃はオヤジに冒険者を辞めてくれと訴えたことも少なくない。
 尤もその都度、オヤジは古物屋辺りから調達した珍奇な品物を懐から取り出して、泣き子の癇癪をひょいと逸らしてしまうのが常だったのだが。


 「……オレはもう一人だから。大丈夫だって。」
 「アンタは何もわかってないっ!」


 彼女の腕が震えていたことにようやくオレは気づく。オレは彼女の腕に手を添えて、そっと体を引き離した。
 家族と呼べる人間は皆、オレより先に彼岸に旅立ってしまった。それは各々の年齢を考えれば極めて自然な成り行きではあるのだが、当のオレは心の冬支度を未だ終えていなかったのだ。気づいてみればオレはいつの間にか雪原に一人佇んでいた。そんな気分でいる。
 突然の極風に晒され、オレは寒さに喘いでいる。しかし、それが一方では気楽でもあった。ついて回ったしがらみの悉くは霧のように消えてしまった。周囲を取り巻く大気はいささか肌寒いが、もう誰もオレを縛る者はいない。望むと望まざるとに関わらず、オレは孤独と同時に自由を手に入れてしまったのだ。


 「前からずっと考えてたんだ。オヤジみたいになりたいって。」
 「知ってるよ。おじさんはいい顔しなかったけどね。」


 小さい頃、何度となく冒険者になりたいことをオヤジに告げたとき、オヤジは嬉しいような、困ったような、複雑な表情を浮かべていたものだ。昔はその意味がわからなかった。


 「それは多分、ミレッタが思っているのと同じ理由だろうな。」
 「わかってんじゃない。感傷に浸って自棄になってるのかと思った。」
 「否定はしない。でも覚悟はついた。もう迷わないよ。」


 オヤジはオレの道標だった。いや、多分今でもそうだ。オヤジの死が伝えられたあの日から、胸にポッカリと穴が空いてしまった気がする。
 だけど、その感傷にいつまでも流されて、無気力に日々を送るなんて、そんなのはやっぱり違うと思う。オヤジが生きていたらきっとドヤされると思う。
 だからオレは、冒険者を志すことに決めたんだ。オヤジがオレに何を求めていたのか、それを知るためにはオヤジの足跡を辿るしかない。そうオレは結論付けたんだ。


 「……好きにすればいいわ。ベオはバカだから、もう何を言っても聞かないってのはわかってる。」
 「すまないな。」
 「謝んな、バカ。その代わり1つだけ条件があるわ。」


 あっさりとミレッタは引き下がった。彼女の普段の性格からは考えられない返答だ。もう少し説得には労を要すると読んでいたのだが、こうなると付随する条件というのが少々気にかかる。
 彼女は人差し指をオレの鼻先に突き出し、そして声高に言い放つ。


 「仲間を見つけなさい! 背中を任せられるような仲間達を、ね!」


 どれだけ理不尽な要求が飛んでくるかと思いきや、発された言葉は極めて常識的な文句だった。それこそ、そう、「川向いの粉屋は強欲だから気をつけろ」ぐらいの。


 冒険者はみな、思い思いの仲間とギルドを結成して迷宮に挑戦する。腕を認めあった仲間と。気の合う仲間と。同じ目的を持つ仲間と。
 一人で迷宮に立ち入る豪胆な冒険者も中にはいるが、それは無謀か鬼謀かのどちらかだ。そんな胆力も能力も持ち合わせていないオレには全く以って無縁な境地だ。だからオレは仲間を探さなければならない。共に迷宮で命綱を握り合う仲間達を。


 「生きて帰らなきゃ意味がないわ。アンタは腕力しか取り得のないバカなんだから、せめて仲間を探すぐらいの努力はしなさいよね。」
 「努力はするよ。」
 「努力するだけじゃダメ! 最善を尽くしてよ!」


 努力しろと言われて頷いただけなのになぜ怒らなければならないのだろう。
 彼女は溜息をついて頭を振ると、何かを諦めた様子で口を開いた。


 「もういいわ。きちんとギルドを結成するまでは見届ける。ベオの人物眼はあてにならないし。」
 「心外だな。オレは人を見る目には自信があるぞ。」
 「協力してあげるってんだからツベコベ言わないの!」


 言い方こそ極めて乱暴だが、彼女は彼女なりにオレの心配をしてくれているのだ。
 彼女から見ればオレは冒険者として素人もいいところだし、残念ながらそれを否定する材料もない。オヤジから教えて貰ったのはせいぜいが冒険者の気構えと剣の構え方ぐらいで、樹海での生存術なんてのは日常的に樹海に出入りする彼女の方が詳しいぐらいなのだ。


 「仲間もそうだけど、装備も整えなきゃね。ベオ、お金は?」
 「これから用立てる。」
 「なんでそんなに無計画なのよ!」


 全く前途は多難だ。樹海を共に歩く仲間を探す段からこの有様では、全く先々の探索行が困難を極めることは容易に想像がつく。そうでなくても樹海は人類にとって極めて狭量な女神様で、そして同時に未知と未来に溢れた空間なのだ。
 それでもオレが樹海に心惹かれるのは、オレにもオヤジと同じ冒険者の血が流れているせいなのだろうか。迷宮の深奥に眠る『諸王の聖杯』がオレの嗅覚を刺激してやまないせいなのだろうか。その答えは全て、世界樹の迷宮が知っている。
 オレは街の中心に根を下ろす世界樹を見上げる。天空に枝葉を茂らす世界樹は、小降りになった雪の中で雲間から差し込む陽光を浴びて瑞々しく輝いていた。





 前作では割とTRPGっぽい雰囲気で、なんとなくで冒険を始めた人たちの軽いノリ(約1名設定はしたけど)から始まった世界樹冒険紀行ですが、今回は割とカッチリと「なぜ世界樹に挑むのか?」という理由づけをしています。
 というのは、冒険の途中で前作のモリビト殲滅ミッションみたいな話が出てきたとき、この辺の目的意識がハッキリしてないと動きようがなくなってしまうからです。まぁ、あの辺は世界樹の欠点として割と槍玉に挙げられた箇所(個人的にはそうは思いませんが)ですし、今回は前回の反省を踏まえた発展作と言う位置づけから、そうしたイベントがあったとしても、ひょっとしてマルチシナリオ、マルチエンドなんて流れもありうるのかもしれませんが、それでも事前に腹を括っておくのはロールプレイの一助となるかなと思っています。
 一方でプレイを介在しない設定の多くは他人から見れば面白くも何ともないシロモノで、ゲームが始まる前からこの辺に力を入れても空回りするだけかなとも思うので、あんまり風呂敷を広げずにちまちまとやって行きたいと思っています。
 文量もこのぐらいで十分だわ。前回も最初はこんなもんだったんだけどなぁ。まぁ、ゲーム発売までの宿題みたいな位置づけでちょろちょろとやってきたいと思います。


 とりあえず色々書きたいとは思ってはいても、街の雰囲気がわからないとなんともで。あんまりに原作と乖離してる設定はあとで修正を入れるつもりなので(聖杯の位置づけとかも)、まぁ、ビクビクものではあります。