世界樹の迷宮2・その3(1F)

 ドクトルマグス♀ ユーディットの記憶


 鼻腔を仄かに刺激する、どこか懐かしい匂いの正体に気づき、私は上体に掛けられた厚手の毛布を押し退けて緩やかに身を起こす。
 ……消毒薬? 屋敷になぜそんなものが……?


 私は、視線を巡らすが、周囲の空間はのっぺりとした重い暗闇に満たされていて、自らの掌の輪郭さえ判別しかねる有様だ。手を中空に翳して巡らせると、指先に触れたカーテンがわずかに揺らめき、刹那的に開けた闇の狭間から柔らかな星明りが差し込んだ。


 「兄上……?」


 星明りが一瞬だけ室内を藍色に染め、私は傍らに蹲る人影を見出して誰何する。椅子に座り、舟を漕いでいたその人物は、ゆらりと頭をもたげ、大きな欠伸をかいた。


 「……あ、ユーディットさん、お目覚めですか。」


 表情こそ窺えないが、その声には聞き覚えがある。父の遺志を継ぎ、冒険者を志した剣士の少年。名前を確かベオと言ったか。


 「なぜ、君が私の部屋にいるのです? ……兄上は?」
 「いや、ここは病室です! ほら、ユーディットさんは、魔物に襲われて……」


 少年は慌てた様子で言を紡ぐが、続く言葉は私の耳には一切入ってこない。
 病室……? そうか、ここは屋敷ではなく、薬泉院の一室なのか。なるほど、ならば病を咎と捉える人間の陰気な匂いが立ち込めているのも道理というワケだ。
 ようやく現状を把握した私は、次いで樹海での探索行の記憶を取り戻す。そうだ、私は、兄上を狙った魔物の一撃を阻もうとして……


 「兄上は、無事なのですか!?」


 思わず声を荒げると、少年は怯んだように上体を逸らして、危うく椅子から転げ落ちそうになる。


 「ノ、ノワイトさんなら大丈夫です。全員無事ですよ。」
 「よかった……」


 私は垂れ落ちた前髪を掬い上げ、後ろに梳く。兄上の御身に変わりがないのは、何よりの吉報だった。
 危険と脅威に満ち満ちた世界樹の迷宮は、元々身体が頑健ではない兄上にとっては過酷に過ぎる世界だ。それこそ奇妙な花粉でも吸い込んで、肺を壊したりしたら目も当てられない。
 だが、樹海に立ち入ることを決断したのは、私ではなく、兄上自身なのだ。身命を賭してでも樹海に向かわざるを得ない理由が、兄上には、ある。
 だからこそ、私は兄上を制止することなどできない。兄上の傍にあって、兄上の探索に助力を果たすことが、私にできる唯一の務めなのだ。


 「ユーディットさん、具合はどうですか? 頭が痛むとか、胸が苦しいだとか……」
 「いや、さしあたっては。」
 「そっすか。よかった……」


 安堵する少年の声音を聞いて、私の胸中でぼやけていた疑問の像が焦点を結ぶ。
 なぜ、この少年は私の身を案じているのだろう? そして、なぜ、この少年は私に介添えしているのだろうか?


 「君がここにいるのは、兄上の計らいなのですか?」
 「あ、いや、オレ自身の希望です。ノワイトさんにお願いして……」
 「なぜです? 君が、そんな義務を負う理由がどこにあるのです?」
 「オレ、謝りたかったんです。ユーディットさんに。」


 謝るだと? 一体何をだ。この少年は何を言わんとしているのだ?


 「オレの軽率な判断で魔物を呼び込んで…… それで、ユーディットさんに怪我を負わせてのうのうとして……」


 ああ、なんだ、そんなことか。
 確かに彼は、血気に逸って要らぬ戦いに臨もうとした。しかし、私の負った怪我は私自身の過失に根差したものだ。ゆえに、少年の悔恨は全く以って空回りしていると言わざるを得ない。


 「……気に病む必要はありません。全ては、私の不注意です。」
 「だけど、オレが背伸びしたからこうなったって…… 何か謝る方法はないかって……!」
 「いえ、ですから、謝る必要など、どこにもありませんよ。」


 ……いや、それは違う。私は、自らの言葉を強く否定する。
 私は、彼の謝罪を心の底から欲しているのだ。しかし、それはこんな些細な事由ではない。待ち合わせに遅れたことを謝るような愚にもつかない理由であってはならない。
 今、頭を垂れるよりも、もっと先に謝意を尽くすべき過去が君にはあるハズだ。なぜ、それに思い至らないのだ、デレクの息子よ。私達の父上を奪った大罪に、いつまで君は無自覚でいるつもりなのだ!


 「……やめてください。」
 「え……?」
 「謝るのはやめてくださいって、言ったんです!」


 その場凌ぎの形式だけの弁明など耳に入れたくもない。そんな軽薄な言い逃れで、全ての罪悪を帳消しになどできるものか。
 面体手足を罪業に蝕まれ、涙を浮かべて救世を請うがいい。破壊的な苦悶と自責に囚われた姿を呈しなければ、徒に傷ついた私達兄妹と同じ階梯にまで駆け上がってきたとは見なせない。デレクの息子、今の君には私達に謝る権利さえない。私達の受けた傷を癒す言葉など、今の君には紡げないのだ。


 闇夜にようやく目が慣れたとは言え、彼の表情までもを精細に見分けることは難しい。少年は、しばし呆然とした様子で、ただ座していたようだった。
 やがて、少年は声もなく椅子から立ち上がり、扉を開け放ち、病室を後にする。扉を閉めるとき、少年は、ただ一言だけ何かを呟いたようにも思えた。それはただの錯覚だったのかもしれないが。
 暗闇の中に一人残された私は、上体をベッドに投げ出して天井を仰いだ。糊の効いた固いシーツが私を受け止め、火照った心と体を冷ましてくれるように思えた。




 翌日、薬泉院を後にした私は、その足で市街を縦断してギルドに向かった。ミッションを達成し、正式に樹海探索の許可が下りたギルド『バラック』では、兄上が書類の山を前に処務に忙殺されていた。


 「ユッタ、身体は異常ないか。」
 「はい、如何様にでもご用命ください。……それと、願わくばこのような場で、子供染みた名で呼ぶのは差し控えて頂きたく。」
 「善処しよう、ユーディット。」


 快気祝いの代わりに、私は兄上より一つ依頼を言付かった。早速兄上が私を頼りにしてくれたことが嬉しかった。




 尾を逆立てた奇怪な風貌の鳥の看板は、長年の風雨に晒されて、その繊細な造形を些か磨耗させていた。けれど、その鳥が本来的に備えた優美さは決して損なわれてはおらず、むしろ今日までを生き抜いてきた偉大な生命力さえもを窺わせる。シトト交易店を見つけるのに大した苦労は要しなかった。
 私は古びた薄い扉を押し開け、床を軋ませながら店内に踏み入る。すると、カウンターの奥から花飾りをつけた少女が勢い良く顔を覗かせた。木の洞から飛び出してきた、野生の栗鼠のような機敏さだった。


 「い、いらっしゃいませ! 巡礼者の方ですね!」


 ……巡礼者? まぁ、言われてみれば今の私の為りは、世界樹を詣でる敬虔な信心者のそれとも言えなくもない。冒険者と呼ぶにはやや鈍重な格好に映るだろう。
 さらに言えば、この店は本義的にそう言った客層を相手にする店のようだった。店内を見回してみても、魔物を一刀両断するための鋭利で重厚な武器などは見当たらず、最低限の自衛のために用いられる小型の武器ばかりが目に付く。


 「……えーっと、初めまして、ですよね?」
 「はい、ギルド『バラック』のユーディットと申します。」


 少女は会釈して自らの名前を名乗ると、カウンターから飛び出てきて、勢い良く握手を求める。私は請われるままに右手を差し出し、そして掴まれた右手を無節操に上下に振り回された。


 「それで、今日はどのようなご用件でしょうか! 武器も防具も薬でも! なんでもご用意できますよ!」


 大仰な身振り手振りに、私は些か辟易しつつ、懐中から一枚の書面を取り出すと、それを少女に差し出してみせる。少女は爪先立ちになって書面を受け取ると何事かを呟きながら手早に字句に目を通し始める。
 上から下へと文面を読み進めるに従って、その表情には驚愕の色が濃さを増し、最後の署名を読み終えた瞬間には、既に瞳が拳ほどにまで見開いていた。


 「こ、これ、大公様の証書じゃないですか!」
 「そのようですね。」


 全く騒がしい娘だ。とは言え、私たちのような下級貴族であっても大公じきじきの書面など目を通す機会も限られようし、ましてやそれが市井の一臣民であれば驚くのも無理はないか。
 私が彼女に渡した書面は、先日のミッションの達成を大公の名において認める公的な文書だ。この書面の受領を以って初めて私たちは、冒険者ギルドとして世界樹の迷宮に立ち入ることを認められる。


 「しかし、このような商店を構えているのであれば、冒険者など珍しくもないでしょう。私たちも特別熟練の探索者というワケでもありませんし。」
 「ええ、その、それが……」


 苦笑しながら、彼女はシトト交易店の現状について語り始めた。
 世界樹の体内に隠された迷宮の発見と、そこから汲み上げられる数多の恩恵を受けて、ハイ・ラガード公国を基点とする物流は爆発的に増大した。公国側もこの機を受け、道路や橋梁の整備を推し進め、かつては北方の小国でしかなかった公国は、今や大陸でも有数の大都市へと姿を変貌させつつある。
 公国には、世界樹に眠る財宝を目当てとした冒険者が大量に押し寄せてきたのだが、その後を追うようにして公国に流入してきたのが、冒険者を商売の種とする商工業者だった。
 元来、都市の商工業者は一致団結してギルドを結成し、自らの利益の確保と、外部からの経済的侵略に対して自衛を続けてきたのだが、先代の公王は(主に宮中の政治的な事情から)ギルドの持っている各種特権を時限的に失効させ、外部の商勢力を公国内に呼び込み、結果として公国は国史稀に見る繁栄の日々を謳歌することとなる。
 相対的に力を失った在郷の商工業者の多くは、果敢に新参者との抵抗戦を繰り広げた。しかし、経済的持久力に欠けるこのシトト交易店のような民間の店は、早々に襲来者に白旗を上げることとなり、彼らの傘下に組み込まれる形となったのだ。


 「なるほど、道理で品揃えが薄いと思いました。」
 「ェヘヘ…… 恥ずかしながら。」


 今では彼女のような路傍の店は、市街中央に居を構える石造りの神殿のような大店舗の下請けをこなして日々を過ごしているらしい。当然ながら冒険者が足を向けるのは、迷路のような下町の街路に点在する民家と見分けのつかない雑貨屋などではなく、市街の目抜き通りに巨躯を誇示する交易店なのだ。
 そうなると、冒険者が樹海から持ち帰る素材の数々もそちらに吸い寄せられてしまい、ますます利便性の一極集中化が進むこととなる。彼女達にとっては苦しい世情というより他にないだろう。


 「で、でもですね、うちのお父さんは本当に凄い職人なんですよ! 樹海から持ち出された見たことのない素材でも、お父さんはあっという間に立派な武具に仕上げちゃうんです! 市街に軒を構える大店からも、一杯一杯お仕事を頂いてるんですから!」
 「つまり、素材さえ揃えば、一流の商店にも引けは取らないと?」
 「はい! ですから、その…… もし、よければ、うちのお店をご贔屓して、欲しい、なぁ…… なーんて、わ、私、差し出がましいこと言っちゃいましたっ! ウソ! ウソですウソ! 世界樹様に認められた巡礼者さんに、そんな大それたお願いなんかできませんよね! ごめんなさいっ! 申し訳ありませんっ!」


 彼女は、その小さな体を折り曲げるようにしてぺこぺこと辞儀を繰り返す。私としては気に障ったどころか、むしろ呆気に取られている有様で、なぜ彼女がこうも平身低頭しているのか、その理由がイマイチ掴めない。


 「別に、謝る必要などありませんよ。私は、ただの一介の冒険者に過ぎませんし。」


 私の誇りであるベッカーの家名からは、もはや世に打ち響く名声など失われ、今の私は場末の酒場になど屯する下愚な冒険者も同然の身だ。それにも関わらず、彼女はなぜこうも冒険者を英雄視――いや、神聖視と言っても過言ではない――し、尊敬を通し越した崇拝の念さえ窺える、過剰な思い入れを投影できるのだろうか。


 「で、でも、ユーディットさんは世界樹様にお入りになって、そこから無事帰ってこられたんですよね?」
 「ええ、まぁ。それが公宮から下された試練でしたから。」
 「だったら、世界樹様はユーディットさんの立入りをお許しになられたんですよ! 『御神木の巡礼者』としての使命を託されたんです!」


 また、巡礼者、か。市井ではこのような冗談が流行っているのだろうか。なんとも頭が痛くなる。
 しかも、今度は『御神木の巡礼者』と来たものだ。一体、樹海から財貨を掻っ攫ってくるだけの冒険者のどこに、そんな信仰者としての崇高な役割が備わっているというのだろうか。
 ただまぁ、彼女自身は、私をその『御神木の巡礼者』とやらだと、極めて本気で信じているようで、こちらをからかうような素振りは微塵も見えない。ならばこれは、彼女の父親か、あるいは近隣の長老辺りが、熱心に彼女を教導した結果なのかもしれない。
 まぁ、この娘が何を信仰し、何を崇拝するかは個人の勝手だ。彼女の言う『御神木の巡礼者』とやらも思想犯が抱く危険な思想ではなく、どちらかといえば民間の世界樹信仰の延長上に位置するものなのだろう。


 かつて、世界樹はその幹に触れることさえ禁忌とされたという。世界樹の迷宮が発見される以前の時代においては、時の公主でさえ妄りに世界樹に近づくことを許されなかったのだ。
 その時代から考えれば、世界樹の腹を切り裂いて、臓腑を掻き乱そうとする冒険者という名の背教者は、原始的な教義に反発して偶像破壊を敢行する不逞なアイコノクラストに他ならない。だからこそ、世界樹に纏わる神事の長たる公王は、冒険者に仮初の神性を与えることで、世界樹神罰から逃れようとするのだろう。それが公国の総意なのだ。


 「とりあえず、私は冒険者です。巡礼者、と呼ばれるのは、その、ね。」
 「えええええ! でも、巡礼者さんは、巡礼者さんですし……」


 結局のところ、冒険者も、巡礼者も、意図するものは、さして変わりない。単純に呼び方が異なるだけの話なのだ。或いは兄上ならば、ここで『名前』という呪について適切な見解を一席打って、この娘を一言の元に納得させてしまうのかもしれないが、残念ながら私は呪術医で、その分野は私の埒外だ。
 まぁ、説得を試みるには些か疲れる相手だ。得られるものもない。ここは早々に白旗を揚げてしまったほうが早いのだろう。


 「……わかりました。巡礼者で結構です。要は、こちらの捉え方の問題ですから。」
 「は、はい! よろしくお願いしますね、巡礼者さん!」


 ……不思議な話ではあるが、冒険者を無作為に掻き集めているこのハイ・ラガード公国は、出自も、習慣も、通念も、まるで異なる様々な人種が入り混じった「キメラ国家」であるにも関わらず、奇跡的に高い水準で社会のモラルが保たれている。
 もちろん、その一番の理由は、樹海の恵みが社会に活力を与えているためだ。衣食足りて礼節を知る、と言う言葉があるように、人間が破滅的な暴力性を行使するその最たる理由は、貧困に始まる閉塞感に起因する。


 しかし、それとはまた別の方向で、或いは冒険者を『御神木の巡礼者』と敬い、彼らの倫理観を大いに刺激することで、元々粗野な冒険者の武威を削ぎ落としたことも理由の一つとしてはあるのかもしれない。
 勿論、中には巡礼者の呼び名に不相応な、乱暴狼藉を働く者もあろう。だが、或いはそうした凡愚な連中は、樹海においても持ち前の迂遠さを遺憾なく発揮し、早々に樹海の生存競争から姿を消してしまうのだ。
 まぁ、要するにこの国では、冒険者の立ち位置が若干他所とは異なると言うことだ。言わば、公国民にとって、冒険者とは西国の果てに経典を求めた修行僧のように、自らに立ち代り、大いなる天恵を持ち帰る殉教者なのである。せいぜいその労苦を褒め称えてやろうと彼らが画策しても不思議ではない。この少女自身は、まぁ、純粋な気持ちから冒険者を慕っているようではあるのだが。


 ともあれ、恥じる必要もなければ、驕る必要もないのだ。いや、素直に受け取れないからこそ、困惑してもいるのだが。
 私は深く溜息をつく。と、同時に自らに課された任務を私はようやく思い出した。
 そうだ、私は、彼女からあるものを受け取らなければならない。そのために私はここまで足を運んだのだ。


 「あなたにその証書を預けます。意味はご理解頂けますね。」
 「え……? え!?」


 彼女は、両手で押し抱いた証書と私の顔とを再三に渡って見比べ、そして上気した顔で力強く頷いた。
 公宮からの証書を預けるということは、私たち『バラック』が、このシトト交易店を常用の商店として用ずることを意味する。販売に公宮の許可を必要とする幾つかの品々は、ギルドから店側への証書の提示が必須となるのだ。


 「では、すぐにでもお譲りいただけますでしょうか。」
 「は、はい! ちょっとだけ待ってください! 今すぐ用意します!」


 彼女は、慌ててカウンター奥へと引き返し、戸棚の奥からなにやら古めかしい木箱を幾つも引っ張り出しては、中身を検分して回っている。やがて、散乱した木箱に床があらかた埋め尽くされたところで、彼女は大きな喜声と共に立ち上がり、手に取ったリンゴほどの大きさの糸玉を両手に掲げてこちらに歩み寄る。


 「すみません、お待たせしました! 『アリアドネの糸』です!」
 「随分と埃を被っていたようだけど、無事に用を果たせるのかしら?」
 「えーっと、多分、なんとか…… うん、きっと大丈夫です! お肉やお野菜とは違いますし!」


 彼女の保証は、やや根拠を欠いて頼りなさが拭えないが、錬金術的なエッセンスを織り込んだその糸が時間的に劣化するということは確かにないのだろう。肉や野菜とは違う。まぁ、その通りだ。
 私は幾ばくかの銀貨をカウンターに並べ、そして手芸用のそれとも見間違えかねない銀色の糸玉を手の内に収める。この糸玉に頼らなければ到達することさえできない樹海の深層へ、今から私たちは赴くのだ。
 これから私たちを待ち受けるであろう、数多の危難に私は思いを馳せる。そして、それらの試練に打ち勝ち、必ずこの手に『諸王の聖杯』を抱くことを私は改めて胸に誓う。兄上の御身を救えるのは、私だけなのだ。
 しばし、そうして物思いに耽っていると、不意に少女が私に声をかけてきた。


 「……あ、あの、でも、よかったんですか? うちのような小さなお店でも。……巡礼者さんなら。巡礼者さんなら、もっと大きなお店も選べたはずですよね?」


 少女は困惑と不安のないまぜになった力ない瞳で、私を見やる。
 確かに冒険を遂行するにあたって、この店はやや小規模に過ぎるかもしれない。鍛冶師の腕前も不明瞭で、今後十分な装備の供給が受けられるかは、やや疑問が残るところだ。
 しかしながら、私自身はこの店を重用することを、自らの内で半ば結論付けていた。それは何も、兄上がこの店を直々に指名したからではない。


 私は、口を開く。


 「あなたは、お父上を信頼しておられるのでしょう?」
 「……え?」
 「お父さんの腕前を信じている。そうでしょう?」
 「は、はい……!」
 「だから、ですよ。」


 疑念に凍り付いていた彼女の表情が緩やかに溶け始め、やがて顔一杯に真夏の向日葵を思わせる健やかな笑みが広がった。泣いたカラスがもう笑う、とはこのことだろうか。
 人の良すぎる話だと笑われるかもしれない。明日をも知れない冒険者風情が、他人に斟酌する余裕などあるものか、とも。
 しかしながら、私たちは冒険者であるとともに、巡礼者としての使命を彼らに求められてしまったのだ。ならば、その期待に応えなければという義務感を覚えもする。情に引きずられてしまうのは、彼らが情を以って接するからだ。
 多分、それが公国の在り様なのだと思う。世界樹の腕に抱かれた人々の姿なのだと思う。野辺の冒険者にはわからないかもしれないが、ここにはそんな古めかしい交情が今なお残っている。
 何よりも、私がとうに失ったしまった大切な気持ちを、彼女は今も大事に抱えている。それが羨ましくもあり、眩しくもある。願わくば、その気持ちが賛美に値するものであることを、私は彼女には知って貰いたいのだ。


 「私たちも、出来得る限り樹海の素材を持ち帰ります。ですから、お父様によろしくお伝えくださいね。」
 「は、はい! 私、精一杯頑張ります! バラックの皆さんのために、一生懸命……!」


 一生懸命、何をすると言うのだろう。
 彼女も、私も、そこから繋がる言葉を捜そうとして、結局苦笑を浮かべることになる。
 だけど、それで十分だった。その気持ちだけで十分だった。
 なぜ兄上は、私をこの店に遣わせたのか。その理由も少しだけわかったような気がした。
 私は、私が亡くしてしまった日々の幾分かを取り戻せた。
 そんな気持ちに、なったのだ。






 世界樹サイト界隈の人たちと話していてて、よく話題に上る世界樹2の不満点の一つに「街NPCが親切すぎる」というものがあります。これ、気にする人と、気にしない人と両極端な話題だとは思うんですけどね。
 例えばドラクエなんかを思い出してみると、昔の作品は、どこの町やら村やらでも住人からは諸手を挙げて来訪を歓迎されていたんですよね。とは言え、それは主人公の出自が王族の子弟だったり魔王討伐を義務付けられた勇者だったりと、特別な背景事情が備わっていたせいであって、「無頼の冒険者」を基本的な立ち位置とする世界樹とは少々事情が異なります。
 でまぁ、歓迎される背景事情が存在しないのに(寧ろ冒険者なんてヤクザ者と変わりがないのに)、扱いとしては勇者様だと。不本意なまでに持ち上げられると、おべっかを使われているような錯覚に陥るんですね。
 これは昔ながらの土臭いファンタジーに浸かってるかどうかで、まず反応の分かれるところなのだと思います。別にまぁ、冒険者って言っても根っからの悪党を任じているワケではないですし、カジュアルなユーザは気にならないと思うんですね。
 でもまぁ、自分としては、冒険者冒険者以上の賓客として扱われるのなら、やっぱりそれなりの根拠が欲しいと思ってしまうので、それで決局こんな形になりました。


 作中で、街の人々が世界樹を「世界樹様」と呼んでいる場面に出くわすことが度々あるのですが、そこから類推すると、どうやら今回の世界樹は公国の人々の自然崇拝の対象であることが伺えます。
 ならば、世界樹を探索する冒険者というのは、これは一種の聖職者なのだろうと。当人に自覚があるかどうかはさておいて、特別な技術の担い手として社会的な地位を得ているのだとすれば、これは納得してもいいんじゃないかなと。そんな風に考えました。
 そうすると公宮から下された最初のミッションとは、異分子である冒険者を街の同属とみなすためのイニシエーションだったのかもしれません。……ん、でも街の人は最初から愛想がよかったぞ? 王冠のせい?


 シトト交易店について。
 冒険者の常用の店であるにも関わらず、この交易店はゲーム開始当初はあんまり繁盛していないようにも見えます。
 作中のテキストをおっかけてくと、ゲーム内の冒険者は、大体が第1層を徘徊し、腕の立つ連中が第2層に踏み入って、一握りのエースクラスが第3層に到達し、第4層以降はほぼ皆無といった風情のようです。とは言え、これはプレイヤーギルドの深層到達に伴って少しずつ事情が進展していくようですが。
 で、そうした状況を鑑みるに、シトト交易店の品揃えは余りにも悪すぎると。まぁ、それはゲーム的な事情に由来するものなので、それを設定的に云々するのは全く以って野暮な話なんですが、まぁ、そういうことなら頼られるのもアリなのかなと。
 外部勢力の流入は、ポッドキャストでの小森さんの発言(各種インフラの整備を進めた云々)を参考にしました。というか、こういう周辺事情を考えているのが一番楽しいかもです。樹海はどうでもいいや(こら)
 妄想の余地が減ってしまったと巷では言われる世界樹2ですが、個人的には色々と手がかりはあるように思います。捏造と紙一重ではありますが、目に見えるものとはちょっと違う切り口を探し出して、それで世界樹の世界観を多角的に描ければなぁとは常々思っています。