世界樹の迷宮2・その5の1(3F)

 ブシドー♂ ナガヤの記憶


 蹲るようにして小道を塞いでいた暗褐色の塊は、こちらの接近に気づくとしなやかな動作で四肢を伸ばし、茂みを押しのけるように立ち上がると、長く低く唸り声を上げる。
 犬、いや狼か。それもかなり大柄の。樹海の生物はその何れもが、荷重を得るための巨大な体躯を有しているものだが、この獣にしてもそれは例外的ではないようで、樹海を生き抜くに相応しい確たる威厳と様相とを身に纏っていた。
 この獣は『敵対者』なのか? 左手が半ば反射的に鯉口を切り、次いで右手が柄に添えられた。互いに必中の一撃を繰り出すには未だ距離が開きすぎている。今ならば引くことも可能だろう。拙者は後続の仲間に視線を配り、彼らの意思を確認する。


 「野犬風情が私たちの行路を阻もうとは、おこがましいにも程があります。」


 早々に小剣を抜き放ったのは、ユーディット殿だった。この気忙な呪術医の兄であるノワイト殿が、彼女を諌めようとしないところを見ると、彼ら兄妹の意見は既に一致の目を見ているらしい。


 「ナガヤ、往け。」


 微かに空気を振動させるだけの小さな呟きだったが、呪い師のその声には抗い難い魔笛の響きが篭められていた。拙者は右手で確と柄を掴むと、右足を踏み出すと共に抜刀して低く跳駆する。


 「先生、待って!」


 風切り音を突き抜けるベオ殿の言葉が鼓膜に届く前に、既に拙者は必殺の間合いに詰め寄っていた。相対する漆黒の獣は四肢に力を漲らせ、敵意に満ちた双眸でこちらを鋭く睨みつける。
 突如、大地が弾けた。眼前の獣は大地に食い込ませたその4本の指球を反射的に跳ね上げると、そのまま丸太のような前肢を垂直に振り下ろしたのだ。指先に光る鉄爪が宙に銀色の軌跡を残す。
 拙者は地に残った左足の小指で地面を蹴ると、半身になって右前方へと体を投げ出す。剃刀のように鋭い爪の一撃が、脇腹の皮一枚をこそぎ取る確かな痛感があった。
 じくじくと熱くなる脇腹を省みることなく、拙者は両手に構えた刀を袈裟切りに振り下ろす。しかしその一撃は幾らか体の流れたこともあってか、黒き獣の鉄針のような体毛に弾かれて痛撃を与えるまでには至らなかった。


 「こやつ、まるで巨岩の如き硬さにゴザル!」


 驚嘆する暇はなかった。半ば獣に背を向ける形となった拙者が、左足を軸に振り返ろうとしたその瞬間、まるで押し貫くような掌球の一撃を顎に受け、拙者はもんどりうって転倒する。即座に立ち上がろうとするが、下半身がまるで萎えてしまったかのように動かない。先ほどの一撃で強かに脳が揺らされたのか。
 間を置かずに獣は一歩足を踏み出し、地に寝そべっていた刃を踏みつけにする。拙者は慌てて愛刀を引き抜こうとするが、巨木のような獣の脚を引き剥がすことはできず、まるで地面に縫い付けられたかのようにビクとも動かない。


 「く、くそっ! 離せっ! 離すでゴザル!」


 懸命の懇願は、しかし受け入れられることはなかった。
 武器を奪われた矮小な人間を見下すように獣は巨躯を傲然と逸らし、感情を窺わせない真黒の瞳でこちらをねめつける。刹那、脂汗が背筋を伝った。
 威嚇を意図した唸り声と共に、裂けるように大きく開いた口腔に並ぶのは、灰色に濁った鋭利なナイフの連峰だ。林立する犬歯の奥には、だらしなく肥大した舌が唾液を帯びて鈍く光っている。
 刀に拘泥する場合ではない、と遅まきながら思い至った拙者は、硬く握り締められた自らの五指を無念と共に引き剥がし、今まさに馬乗りになろうとする獣から逃れるように地面を這い回る。
 しかし、その努力も空しく、獣が上体を覆い被せる非情な重みが背中全体にのしかかる。拙者は両腕で大地を押し返し、なんとかこの巨体を跳ね除けようと奮戦したが、しかしその熱意が報われることは遂になかったのだ。
 ああ、拙者の冒険はこのような形で終焉を迎えてしまうのか。ベオ殿、誠に相申し訳ないでゴザル……




 「そもそも、野生の獣が首輪なんかつけているハズがないよ。」
 「なるほど、君の言はもっともです。すると飼い主はどこへ?」
 「うえへへへへへ! やめるでゴザル! やめるでゴザルよ!」
 「彼の眼は主命を果たす兵士と同じだ。主人を失ったようには見えぬな。」
 「じゃあ、この近くにいるってワケ? このデカブツの飼い主が?」
 「ひひひひひひひ! 後生でゴザル! 後生でゴザルよ!」
 「ナガヤ! うっさい!」
 「だ、だったら、誰かコヤツをなんとかしてくれでゴザうひひひひ!」


 仲間たちが獣の正体について推測を語り合う中、漆黒の獣に組みしだかれた拙者は、先程の一撃を受けた脇腹はおろか、長旅によって傷ついた五体総身を、その鑢のような舌で嘗め回されていた。


 「ザラザラしてるでゴザル! ザラザラしてるでゴザルよ!」
 「うっさい、黙れ!」


 ミレッタ殿の投げつけた小石が額に小さな傷を拵えると、待ってましたとばかりに熱い息を吹きかけながら獣が顔面を一舐めにする。なんというか、これは臭い。


 「犬が飼い主の顔を舐めるのは、典型的な愛情表現の発露だそうです。しかし、あの獣は別にあの男を好き好んでいるようではなさそうですね。」
 「むしろ自分の匂いを付着させて服従を迫っているのだろう。マーキングと同じ一種の示威行為だ。」
 「プッ、ナガヤってば犬以下?」


 好き放題に言われながら体を嘗め回されることしばし。ようやく獣がその巨躯を脇に除けた頃には、既に拙者は忘我の極みにあった。拙者、これでもうお婿にいけないでゴザル……


 「ナガヤ、お疲れ!」
 「先生、大丈夫っすか!?」
 「生きていることには生きているでゴザルが、何か人として大切なものを失ってしまった気がするでゴザルよ……」


 僅かに残った力を振り絞って拙者は首を曲げ、視界の端に獣の姿を見て取るが、とうの相手は澄ました顔で毛繕いに精を出している。あの獣にとって拙者は体のいい遊び道具だったというワケか。ほとほと情けなくなるでゴザル。
 次いで獣にやられた傷を塞ぐべく、金針を片手に検診を始めたユーディット殿が、程なくして怪訝な表情を窺わせる。


 「……? 創傷が治癒しています。なぜ……?」
 「まさか、あの獣の力なのか?」


 言われてみれば、体中を遍く支配していた苦痛の枷がいつの間にか掻き消えている。体は涎でベタベタで、今すぐにでも湯を浴みたい心境ではあるのだが、四肢を動かす分にはなんら支障がない。脇腹の傷口も既に塞がっているようだ。
 拙者は体を起こすと、屈伸して身体の無事を確かめる。痛みによって行動が阻害されたり、引き攣るようなところは一切なかった。


 「やはり、あの獣はただの畜犬ではありません。何か特異な力を秘めているようです。」
 「なるほど、興味が沸いてきたよ。……なればこそ主人との御目文字を賜わりたい。願えるかね、黒き獣よ。」


 毛繕いに没頭していたその獣は、ノワイト殿の呼びかけに応じて静かに眼をこちらに向けた。そして次に鼻先を突き出すようにして、枝分かれする小道へその視線を向ける。


 「我々は謁見を許されたと言うことか。感謝しよう、黒き獣よ。」


 呪い師の言葉にさしたる感銘を受けた様子もなく、再び獣は毛繕いに没頭する。これ以上のこちらの問いかけに対しては無視を決め込むつもりらしい。


 「さぁ、急ぐぞ。私は彼に聞かねばならぬことがある。」




 「私はフロースガル。ギルド『ベオウルフ』のものだ。」


 前置きを挟まずに名乗りを上げたその男は、特注の全身鎧に身を包んだ長髪の優男だった。その容姿振る舞いは極めて穏やかで、先程の凶暴な野獣の忠誠を一身に集める主君その人とは到底思えない。


 「奇遇ですね! オレ、ベオって言うんです!」
 「ははっ、それはまた面白い偶然もあったものだ。」


 偶然と呼ぶには頼りない符丁であろうに、嫌な顔一つ見せずに児戯めいた話題にも笑顔で応じる辺り、やはりこの人物は気さくな男なのだろう。ベオ殿が率直に心を許しているところからも、その片鱗が窺える。
 ベオ殿は、今時稀有な純粋な心根を持っている若者だ。ある意味では、その裏表のない性格は、野生の獣にも近しいものがある。ならばやはり、この聖騎士はあの獣を従者として手懐けている男なのだろう。一見、柔に見える外面の内に、強烈な芯を隠し持っているのがこの手の御仁なのだ。


 「ん、ベオを取られちゃって悔しい?」
 「そんなことはないでゴザルよ。」


 ベオ殿は、まるで詩人に英雄譚をせがむ子供のように、聖騎士殿に付き纏っては、その話に聞き入っている。生きた先輩冒険者の生きた経験談は、優れた冒険者を志すベオ殿の目には何よりの宝物に映るのだろう。


 「にしても、アレが噂の『霜を置く者』ってワケね。存外にヒョロい男で気が抜けたわ。」
 「ん、拙者が聞き及んでいた二つ名は『お嬢さん』でゴザルが。拙者、一目で得心したでゴザルよ。」


 不可思議な異名を持つ聖騎士殿は、未だベオ殿と歓談を楽しんでいるようなので、拙者たちは互いが聞き及んでいた彼の呼び名について記憶を披見しあう。


 「私の聞いた話では、彼は『海鼬』と呼ばれているそうですが。」
 「『流れる気体』と聞き及んでいる。」
 「『華やかなる者』っていう異名も、そう言えばあったわね。」
 「いやいや、確か『自由労働者』だった気がするでゴザル。」


 『海鼬』の異名を持ち『流れる気体』を自在に操る『華やかなる』『自由労働者』? 全く意味がわからない。なぜ彼は、こんなにも多くの異名を持ち合わせているのだろうか。


 「ならば混乱を招かぬよう、本名で呼べばいいのです。」
 「そ、そうね! ……ところでアイツの名前ってなんだったっけ?」
 「……」
 「……」


 なるほど、かの聖騎士が異名で呼ばれる原理が、なんとなく垣間見えたような気がした。結局誰もが正確な彼の名を知悉してないのだ。そして、各々が各々の見た聖騎士像を膨らませて異名を与えるために、このような整合性の取れない異名が氾濫する。
 さらに言えば、当の『蛍石』殿本人も、自ら先頭に立って己の武名を高らかに宣言するような気質の男ではなさそうだ。ならば、巷衆に好き勝手に呼ばせた結果が、このような奇妙な事態を招いたのであろう。なんとも面妖な話ではある。




 「あの立ち上がる光の柱はなんなんですか?」
 「ああ、あれは『地軸の柱』と言ってね……」


 ベオ殿の問いかけに真摯に答える『凍る羽虫』殿を見て、拙者は先程のミレッタ殿の言葉を反芻していた。
 ベオ殿を取られて悔しいか、か。いや、そんなことはない。先程の返答は全くの本心だ。
 拙者はベオ殿が思い描いているような理想の冒険者などではないのだ。そのことを拙者は身を以って示し続けた…… と言えば格好がつくかもしれないが、要は無様な体を晒し続けただけのことに過ぎない。
 『引っかきモグラ』に予期せぬ一撃を食らい、シンリンリスには糸を盗まれ、今度は黒き獣に完膚なきまでに叩きのめされた。全く以って拙者はギルドの役に立つばかりか、要らぬ足を引っ張り続けている有様だ。
 ベオ殿も拙者には心底落胆したことだろう。しかし、(悲しい事実ではあるにしても)それが当然なのだ。拙者は元より樹海を気ままに横断する冒険者などではない。樹海の懐に阻まれ、樹葉のざわめきに怯え、御神木の影の差さぬ町外れに居を構えて、日々を食いつなぐことだけに汲々としていた。それが拙者の本来の姿なのだ。
 だからもし、ベオ殿が正当な才を持つ冒険者に巡り会い、その技術と精神を学ぶために師事しようと思い至るのであれば、拙者は彼を止めるどころか諸手を上げて賛同したいと思っている。読み・書き・ソロバンの幾許かを彼に指南することはできても、樹海で生きる戦士の心得など、拙者は到底教示できないのだ。
 拙者は、ベオ殿の仮初の師であればいい。ベオ殿は、拙者を踏み台にして羽ばたいてくれればそれでいい。それが、全てを捨てて逃げ出した拙者に与えられた唯一の役割だと思っている。ベオ殿の成長は、拙者にとって何よりの喜びなのだ。
 『浮遊する機雷』と渾名されるこの聖騎士も、二つ名を与えられるに相応しい立派な御仁なのであろう。そう言えば、彼は陣形を組まずに一人で迷宮を歩いている。ならば拙者の代わりにベオ殿を導いてはくれないものだろうか。


 「あー、その、『前衛防御』殿? 一つよろしいでゴザルか。」
 「私のことかな、武士道の方。」
 「左様でゴザル。『流れ図』殿は、お見受けしたところ一人で迷宮を流離っているようでゴザルが。お仲間はいずこへ?」
 「私の仲間ならば、そこにいるよ。」


 視線を転じると、いつの間にかそこには先程の黒い巨体の狼が控えていた。拙者は悲鳴を上げて飛び退きたくなる衝動を必死に堪えて笑顔を浮かべようと努力する。


 「クロガネという。私の友だ。」
 「よろしく、クロガネ!」


 ベオ殿の呼びかけに対し、クロガネ殿は猛々しい咆哮で答えた。その声音から表情を読み取ることは難しいが、少なくとも敵意を示しているようではない。
 主人の傍らに擦り寄る獣の瞳には、溢れんばかりの信服の情が見て取れる。なるほど、確かに彼にとってこの漆黒の狼は頼りになる存在なのだろう。


 「やはり君が、この獣の主人なのかね?」
 「主人、という言葉は適切ではないな。私は彼の友人であり、相棒であり、仲間だよ。」
 「獣畜を使役する冒険者。噂には聞いていましたが……」
 「使役、ね。私たちは共通する目的のために共に歩むものだ。互いに寄り添うことはあっても、服従を命じることなどないよ。」


 つまり彼らの関係は人間と狼という種別の差こそあれ、本質的には人間同士の交情と全く変わりがないのだ。いや、むしろ個々人の打算のみで結びついている拙者たちのようなギルドに比べれば、よほど厚い信頼関係によって結ばれているのかもしれない。
 互いに互いを守りあえる関係。互いに互いを頼りあえる関係。その関係が、拙者にとっては何よりも眩しく見える。
 拙者は、ベオ殿に報いられるのだろうか。ベオ殿の期待に応えられるのだろうか。それを考えると臓腑が重くなる。視界が重く揺らいで歯の根が震えるのだ。


 「何を考えているのです、ナガヤ?」


 不意に声をかけてきたのは、ユーディット殿だった。拙者は慌てて唾を飲み込むと、ユーディット殿に向き直る。果たしてなんと答えたものだろうか。


 「いやその、ははは…… なぁに、他愛もないことでゴザル。全くの些事にゴザルよ。」
 「その割には、随分と思いつめた表情をしていたようですが。」


 拙者は曖昧に返答して逃げを試みたのだが、意外にも呪術医の彼女は追及の手を緩めようとはしなかった。兄君以外の人間に対して彼女がこのような関心を向けるのは、珍しいことではないだろうか。
 しかし、そちらに気を取られていたせいでついつい痴呆のように口元が綻び、慌ててそれを隠そうとして、拙者は思っていたことを口走ってしまう。


 「あ、いや、その、えー、でゴザルな。果たして拙者は、パーティに貢献できているのかと。それが気懸りになったのでゴザルよ。」
 「可笑しなことを言うものです。私も、兄も、ナガヤを当てにしてますよ。」
 「は……?」


 意外な方向から、意外な賛辞が飛んできて、目の前の人物が誰かの変装なのではないかと拙者は疑ってしまう。まさかこれはノワイト殿の狂言か? 呪言で拙者を誑かしているのではあるまいか?


 「兄は、このような徒為に労を注ぎませんよ。」


 見透かされたような彼女の一言に、拙者は思わず顔が熱くなる。


 「し、しかし、拙者と来たらいつでも無様な体ばかり! 先程の痴態も然り。思わず自刃したくなる有様でゴザルよ。」
 「兄はナガヤに命じたのです。その意味を考えなさい。」


 それはつまり、拙者に一番槍を託してくれた、ということなのだろうか。最大限に好意的に解釈するならば、確かにそれは辻褄が合うようにも思えるのだが。


 「拙者を、信じて……?」


 瞬間、肺腑の奥を熱い脈動が駆け巡った気がした。拙者は陣の一翼を担えたのか? 未だこの手は忠孝を果たす力が残っているのか?


 「ええ、そうです。だから、ナガヤ……」


 拙者は震える拳を改めて握り直してユーディット殿を見据える。慈母のような表情を垣間見せる彼女の言葉はなお続く。


 「ナガヤ、兄のための尽くしなさい。デレクの息子などではない、偉大なる兄上のために命を擲ちなさい。それが、それだけが、あなたに残された唯一の報恩の手段なのです。」


 その声は、その表情は、有無をも言わさぬ絶対零度の冷気を纏っていた。身体を勢いよく駆け巡った熱い血液が一瞬にして氷結する。瞳が見開き、唇が戦慄く。自らそれを感じられるほどに。


 「な、なにを仰るのでゴザルか、ユーディット殿? 拙者、イマイチ要領が掴め……」
 「兄とデレクの息子、双方が危難に陥ったとき、あなたは兄を助けるのです。」
 「し、しかし、拙者にとってはどちらも大切なお方! お二方のどちらかだけを選ぶことなど……!」
 「あなたの今の主は兄上です。デレクの息子ではない。それを肝に命じなさい。いいですね。」
 「ユー、ディッ……」


 制止の声を待たずにユーディット殿は踵を返すと、聖騎士と未だ対話を続ける呪い師の元に小走りに駆け寄る。拙者は口を断続的に開閉させるが、巻き上がる舌は音を紡がず、ただ呼気を押し出すだけだった。




 「では、私はそろそろ失礼する。クロガネが待ちくたびれたようなのでね。」
 「色々とありがとうございました。オレ、頑張ります!」


 いい加減、長々とした対話に飽いたのだろう、クロガネは聖騎士の裾に噛みつき、強引にその体を引きずっていこうとしていた。尤もこの巨躯の獣にとって、人間の一人や二人くらい引き倒すのは容易いのだから、手心が加わっているのは十分に窺える。その辺りが即ち健全な信頼関係の発露なのだろう。


 「最後に一ついいかな、『凍てついた者』殿。」
 「私に答えられる問いであれば。」


 漆黒の獣の顎を撫で擦り、勘気を宥めようとする聖騎士に向けて、ノワイト殿が低い声で問いかける。了承する聖騎士に呪い師は礼を述べると続いて本題を切り出した。


 「そのクロガネという獣、樹海で生まれた魔物なのではないかね。」