世界樹の迷宮2・その5の2(3F)

 ブシドー♂ ナガヤの記憶


 『磁軸の柱』を起動させた後、柱の周辺を調査してからギルド『バラック』は街への帰還を果たした。そして、新たな階に到達したことをギルド長に知らせるために、拙者達は冒険者ギルドに足を運んだのだ。


 「すると、君達は騎士『半陰陽』とも出会ったのか。」


 樹海で遭遇した漆黒の獣について話が及ぶと、ギルド長は得心したようにこちらに問いかける。彼がその腕組みを解くと、金属の擦れる音が幾つも重なりながら室内に響いた。
 ギルド長は、屋内でも常に全身鎧を着込んでいる奇特な御仁だ。ならば自ら樹海に赴く実地派なのかと思いきや、実はさにあらず、日々の雑務を粛々とこなしているという。それにしては鎧も儀式用の肉抜きした代物ではなく、実戦向きの拵えなのだから、ただの趣味なのかどうなのか。
 心無い者の間で交わされる噂話では、ギルド長が流れの者どもの前歴に頓着しない一番の理由は、彼自身が脛に傷持つ者だからだ、といった低俗なものもある。しかし、古参の冒険者に言わせれば、それも失笑ものの俗説に過ぎないのだそうだ。


 「ええ、『前飾り』って呼ばれてる男でしょ。」
 「『花と美しい土地』ではなかったでゴザルか?」
 「なんでみんな、わざわざそんな回りくどい言い方をするんだよ。」


 口を尖らせて抗議するのはベオ殿だった。彼自身は、かの『未開拓地』殿に対して多大な敬意を抱いているようで、拙者達の茶化すような言い方がどうにも気に障るらしい。


 「名前を直接呼ぶのって恐れ多いものよ。相手は高名な騎士様ですもんねー。」
 「ふむ、それは一理あるでゴザルな。」
 「だったらいい呼び名を教えてやろう。『百の名の勇士』と呼べばいい。これなら当人も気を害することはあるまいよ。」
 「あ、それイタダキ。」
 「まぁ、あのお人よしが眉根を顰める姿など、そもそも想像できんがな。」


 ギルド長の潜めた笑声が鉄兜に反響して奇妙な響きを立てる。その表情を垣間見ることはできないが、どうやら彼自身はこの会話を楽しんでいるらしい。


 「ギルド長は、『百の名の勇士』を知っているんですか?」
 「私に向かってその言い草か。宮中なら君は長生きできんぞ。」
 「だから冒険者なんかやってるんでしょ。」
 「違いない。まぁ、私はギルドを統括する身だ。よく知っているよ。彼が優秀な冒険者だということもだ。」


 幾ら彼がギルドの監督を任じられた身とは言え、このハイ・ラガード公国では、膨大な数のギルドが日に生まれては消えていくのだ。その一つ一つまでもを精緻に記憶しているとは到底思いがたい。
 だからこそ、彼の記憶に刻まれたギルドとそのメンバーは、冒険者として抜きん出た力量と功績を備えた集団なのだろう。冒険者の考課には、しばし辛辣な彼が、好意的に騎士『弾み車』を評価しているというだけでもそれがわかる。


 「でも、そんな力のある人が、なんで第1層なんかをうろついてるんだ?」
 「そうよねー。ナガヤなんかコテンパンだったしね。次元が違うわ。」
 「め、面目ないでゴザル……」


 まったく、あの狼にしてやられた記憶は、脳内から振り払いたい過去の中でも別格の一幕だ。願わくばバラックの歴々には、あの醜態は綺麗さっぱり忘れて貰いたいものなのだが、ミレッタ殿なぞは、この手の騒ぎの記憶には特に長じているような気さえする。あああああ、気が重い。
 拙者達のやり取りを聞いて、ギルド長は、顎に手を宛がう。何やら思案顔を浮かべている様子だった。と言っても、兜の奥の表情まで窺えたワケではないのだが。


 「ふむ。どうやら君達は、第1層の最奥に巣を構えた魔物のことを知らないようだな。」
 「なんですか、それ?」
 「公宮の発表を待つべきかもしれんが…… まぁ、いいだろう。」


 意味ありげなギルド長の呟きに、まず瞳を輝かせたのはミレッタ殿だった。彼女はどうも日頃から「ここだけの話」と言うヤツに、ダボハゼの如く食いつく習性がある。


 「『百獣の王』とそれは呼ばれている。第2層に居を構えていた魔物なのだが、なぜか最近になって第1層に降りてきたのだ。何しろ類に例を見ない事態だ。次は市街にまで歩みを進めるのではないかと、公宮は対応におおわらわさ。」


 そう言えば、樹海を哨戒する衛士の幾らかは、場に似つかわしくない妙な緊張感を纏っていた。或いは彼らは、『百獣の王』に対する備えとして、その動向を探るために派遣された者達だったのだろうか。


 「ウソッ! そんなヤバい魔物なんて聞いてないわよ!」
 「だから教えたのだ。君達がこれ以上の探索を続けるつもりならば、遭遇は必然だからな。」
 「オレ達が倒さなきゃならない相手……ってことですか?」


 『百獣の王』。未だその全体像は杳と知れず、ただ奇怪な名ばかりが一人歩きしているような相手ではある。そう、ある意味ではそれは、あの『百の名の勇士』と同じだ。
 しかし、その名がギルド長の口から畏怖を帯びた固い声音と共に紡がれると、推し伝えようとする虚像だけが一人歩きして、強大な化物の影を形作る。果たして『百獣の王』とは、拙者達公国の人間にとっていかほどの脅威なのだろうか。


 「フン、お前達のような殻付きに『百獣の王』の討伐など期待はしてないさ。なんのために『ベオウルフ』が第1層に舞い戻ってきたと思っているのだ。」
 「あ、そういうこと! じゃあ大丈夫よね。あの人達なら。」


 元々第2層に棲息していた魔物であれば、確かに『ベオウルフ』は最適な応手なのだろう。魔物との戦闘に長じ、勇名を響かせてきた彼らならば、きっと前例のない今回の騒動にも動じることなく対処できるハズだ。
 しかし、一つ気になるのは、彼らが1人と1匹……2人だけで行動していたということだ。或いはそれは彼らの余裕の現れなのかもしれないが、『百獣の王』がギルド長の言うような公国の脅威であれば、彼らが足元を掬われる危険性は決してゼロではない。


 「……オレにも、何か協力できることってないんですかね。」
 「ほう?」


 神妙な面持ちで問いかけるベオ殿に対して、ギルド長の口から好奇の篭った呟きが漏れ出た。しかし、ギルド長が返答を告げる前に割り込んできたミレッタ殿が、ベオ殿の発言に正面から異を唱える。


 「ちょっと、ベオ! そんな危険な仕事にわざわざ首を突っ込む必要なんてないわよ! さっきの話、聞いてたの!? 『百獣の王』だってさ! 並の相手じゃないのよ!」
 「でもさ、オレ、少しでもあの人の力になりたいんだよ。」
 「なにそれ。恩返しでもしようっての?」
 「そんな大層な話じゃないけどさ。あの人は、オレ達の代わりに危地に挑もうとしてるんだ。なら、少しぐらい介添えしたっていいじゃないか。そうだろ?」


 ベオ殿の説得に対して、彼女は唇を噛んで睨み返す。明らかに納得した様子ではない。
 ミレッタ殿は、どうしてもベオ殿を『百獣の王』に関わらせたくはないようだった。まぁ、彼女にしてみれば、ベオ殿が冒険者を務める現状にさえ否定的なのだから、それも当然の論理と言えばそうだ。
 かと言って万一のことがあれば、『百獣の王』の矛先が公国それ自体に向かう危惧もある。そうなれば安全な場所などどこにもない。ベオ殿の身を守る最善の手がどれなのかを容易に判別しがたいのも確かなのだ。


 「アンタもベオを止めなさいよ! このバカ!」
 「せ、拙者がでゴザルか!?」


 反駁に詰まった挙句暴発したミレッタ殿は、なぜか拙者の尻を蹴り上げる。なんともはや、酷い災難だ。


 「まぁ、支援に動けば連中も助かるだろう。斥候に始まり、情報の伝達、陣地の設営、糧秣の確保、運搬、警備。仕事は幾らでもある。」
 「そうやってベオを焚き付けるの、やめてくれない?」
 「やるかやらないかは、君達の決めることだ。仕事が入用なら酒場に行けばいい。主人が飛び切りの笑顔で依頼書の束を押し付けてくれることだろうよ。」
 「わかりました。ありがとうございます。」


 礼を述べるベオ殿に対して、未だミレッタ殿は非難を篭めた視線を送り続けている。どうもしばらくは、この癇癪は収まりそうもない。拙者は小さく嘆息する。
 ベオ殿を実の弟のように見守るミレッタ殿の姿は微笑ましいものがあるのだが、その鬱憤を暴力という形でこちらに振り向けてくるのだけは勘弁して欲しい。さりとて男子の本道を歩もうとするベオ殿を咎め立てするワケにもいかないし、甚だ難しいところだ。
 まぁ、今は両者の成長を見守り続けるしかないのだろう。願わくば、ベオ殿に斯様な時間が与えられればよいのだが……
 杞憂かもしれないが、ノワイト殿も、ユーディット殿も、性急にことを運ぼうとする気配が窺い見える。彼らには彼らの目算があり、それは早急な達成をこそ命題とするものなのだろう。しかし……
 果たして拙者は、誰の為に刀を振るえばいいのだろうか。ベオ殿か? ミレッタ殿か? ノワイト殿か? ユーディット殿か? ……それすら判じかねる自らの未練が疎ましい。


 「しかし、無茶だけはするなよ。巡礼者が殉教者となっては目も当てられん。」
 「わかってますって。でも、異名の一つぐらいは欲しいかな。」
 「まーた、ベオはすぐ影響されるんだから。」
 「なに、冒険者が名誉を欲して挑戦するのは健全なことさ。少なくとも……」


 そこまで言いかけて、ギルド長は声調を重くする。


 「……自らの罪業を振り払うために樹海を巡るよりは、な。」


 それはただの独語だったのかもしれない。自らへの戒め? あの『百の名の勇士』への憂慮?
 それはわからない。しかし、その言葉は拙者の胸懐にも重く響いた。なぜなら拙者もまた、己の過去を贖うためだけに階を昇ろうとする、悔恨という名の枷を嵌められた虜囚なのだから。






 考えてみたら、フロースガルさんがパーティに対して協力してくれたことって、『磁軸の柱』を教えてくれたことだけなんですよね。この直後のミッションは「私は用事があるから」とか言ってさっさと早退しちゃうし、前作のレンが教えてくれたような隠し通路もなければ、ツスクル汁のような回復もないという。
 なんてことだ! 意外と関係が淡白だぞ、フロースガルさん! 登場も実は3Fが最後だったりするしねー。
 そんなワケで、実に扱いにくいフロースガルさん。登場回数から見ると、公女様どころか盗賊よりもレアなキャラという恐るべき事実さえあります。
 でも、その割には愛されてるキャラクターではあったりします。やはりこの辺は、発売前の露出が強かったせいもあるのかなーと思っています。そしてかけられた期待を物凄い勢いで裏切ってくれる辺りもまた。
 あと、今回は、「フロースガルさん版ツスクル汁があったとしたら?」をテーマに進めてみようと思ったんですが、なぜか出来上がったのはクロガネ汁でした。これは酷い。


 フロースガルさんの名前ネタ。自分は割とスッキリと記憶してしまったのであんまり困ることってなかったんですよね。でもテキスト見るまでは長音抜きの「フロスガル」だと思ってました。多分、子供のころ読んだベオウルフの影響です。
 でもまぁ、覚えにくいという話もわからなくもないので、その辺の空気も織り込んでみようかなと。一応並べた異名は横文字に直せばそれっぽいものになるものを選んでいます。ワシの異名ストックは108まであるぞ。


 ギルド長は、ビックリするほどテキストが書きやすかったです。この手のキャラは、前作でさんざ書いたからかもしれないけど。
 世界樹が例えばほかのハードでも発売されたらどうなるんだろう、的な想像は割と多くのユーザが抱くと思うんですが、ギルド長みたいなキャラが生かせるのって現行のハードではDSが筆頭だと思うんですよね。……とか、どうにも回りくどい言い方をしてますが、まぁ、お察しください。
 でもまぁ、話の筋からすると、あんまり秘密主義ってワケでもないみたいないんですよね。古株はみんな知ってるだろうなっていう。まぁ、有名人ぽいですし。
 酒場のオヤジが知ってるのはどういう了見だ、と一時憤慨したこともあったのですが、まぁ、そう考えてみれば納得という。新人冒険者をからかうのに格好のネタなのかもしれないなぁとか想像したりしてね。