世界樹の迷宮2・その6(3F)

 レンジャー♀ ミレッタの記憶


 目の前に厳然と聳える石造りの大扉。天空に枝葉を茂らせる世界樹を模した意匠が施されるこの石門は、樹海と同化したこの遺跡が、確かな人の手による産物だとアタシ達に教えてくれる証左の一つだ。
 それはまるで彼我の空間を断絶するように、一分の隙間なく憚り立つ。血肉を求めて樹海を闊歩する獰猛な『狩り尽くす者』でさえ、この堅牢な城壁に行く手を阻まれれば、目的を放棄して踵を返さざるを得ないのだ。その絶対的な拒絶の意志は、この遺跡が樹海に飲み込まれた今にあっても、全く損なわれることはない。


 しかし、完全なる番兵たるこの巨門も、長年の風雨に晒され、磨耗したのか、目には見えない罅割れや欠けがそこかしこに点在しているようだった。それはまるで、天井の僅かな綻びを伝って床板に落着する雨水のように、この石扉に穿たれた蟻穴よりもなお微細な疵に染み入り、そして隔絶されたこちらの空間へ溢れ出してきたのだ。


 「待って。この匂い、血……!?」


 その鉄錆に似た独特の臭気は、アタシの心肺を激しく拍動させる。嗅ぎ慣れた、と言ってしまうには余りにも鮮烈すぎるその匂いは、樹海で傷つき倒れた獣の発する冷え切ったそれとは幾分か様子が異なる。アタシの記憶が確かならば、それは、人間の流す血の匂いだ。
 扉の奥から漂うその気配は、暖かく、深く、かつ重い。ならば扉を開け放てば、充満した臭気が雪崩を打って溢れ出てくるのではないか。そんな想像に囚われると、頭に靄がかかったようにくらくらする。


 そして、目の前の聖騎士が浮かべる苦い表情が、アタシの推測が正しいことを裏付けてもくれた。それだけで、この扉の奥に広がってる惨劇の光景をアタシは予感することができたのだ。


 「ホント、なんですか……?」


 震える声で、ベオが赤毛の聖騎士に問い掛ける。否定を期待して発せられたその問い掛けはしかし、聖騎士の惜念の篭った否定によって退けられた。


 「ああ。奥の間には、調査を命じられた衛士の一団が踏み入っている……」
 「だったら、なんでこんなところで突っ立っているんですか! 早く扉を押し開けて、衛士隊を助けなくちゃいけないでしょう!?」
 「ただでさえ血の気立っている魔物達を、今、無闇に刺激するのは危険だ。拙速で過ちを犯すワケにはいかない。」
 「見過ごすっていうんですか、このまま! 今まさに助けを求めている人がいるってのに!」
 「私とて、このまま無為に時間を浪費するつもりなど、ない……!」


 異議を唱えようとしたベオの言葉を遮るように、聖騎士の男は否定を唱える。『百の名の勇士』の威名が霞んで見えるほどに、焦りやつれた声音だった。


 「落ち着きたまえ、ベオ君。」
 「ノワイト、さん……!?」
 「聖騎士殿は、衛士の安否を蔑ろにするような人物ではない。それとも君は、彼をそのような色眼鏡で見ているのかね。それでは余りに視野狭窄に過ぎる。」


 激昂するベオを厳かな口調で諌めたのは、意外にも呪い師の男だった。その声音は平常とやや趣きが異なり、幾分か苛立ちの混じった刺々しさが垣間見える。ベオの無理解に立腹しているのか? まさか、この冷血漢が?
 そもそもこの呪い師は、今回の聖騎士の失策に対して、嘲笑を投げかけるどころか、立場を弁護する姿勢さえ窺わせている。それは、アタシの思い描く呪い師の人物像と全く重なり合わない。その態度にアタシは胸が焼けるような違和感を覚えるのだ。
 この感情の齟齬を埋める事情があるとすれば、それは先日、呪い師が聖騎士に投げかけたあの問い掛けが原因なのかもしれない。


 「そのクロガネという獣、樹海で生まれた魔物なのではないのかね。」


 聖騎士はその問い掛けを苦笑と共に退けながら、一方でノワイトに差し向かいの面談を申し込んだのだ。聖騎士と呪い師という異色の取り合わせが、別個に設けられたその席でどのような密談を取り交わしたのかはアタシの知るところではない。
 しかしながら、先程の呪い師の態度から推測すると、彼らはある種の共犯者的な関係を構築したのではないかとアタシには思える。でなければ、あの男が『百の名の勇士』の擁護に走るなど不自然に過ぎる。
 すると、聖騎士の男はそのすかした表情の裏に、なにか世に憚る大きな秘密でも抱え込んでいるのだろうか。
 まぁ、それも幾分か妄執めいた推論だってことは否定できないんだけれど、でも、そうでもなければ納得できないのも事実なのだ。


 直截的なノワイトの叱責に、さすがに直情に過ぎるベオも幾分か頭を冷やしたようだった。唇を噛み締めて、湧き上がるやるせなさをじっと堪えている。その様子を見て、聖騎士の男も苦い口調で謝罪の言葉を口にした。


 「……済まない。君に当り散らしたところで事態が好転するワケでもないのにな。」
 「いえ、オレこそ差し出がましい口を利いてしまって。すいません。」


 2人は互いに視線を落とし、沈黙する。しばし、重い時間が流れた。
 やがて聖騎士は、それを自らの義務と感じたのか、奥の間で生じた事件について訥々と語り始める。それは要約すれば以下のような内容だった。
 第1層の最奥に巣を構えた『百獣の王』。その実態の調査と生態の把握を目的とした調査団が、公宮の主導によって結成されたのは今から3日ほど前のことだ。その引率と指揮を託された『百の名の勇士』は、昨日、この奥の間に野営のための陣地を設営したのだという。
 しかし、夜半過ぎ、けたたましい蹄音を立てて、魔物の一群が突如上階より襲来した。寝込みを襲われた衛士の一団は、指揮系統を確立することができず、魔物の群れに鎧袖一触に蹴散らされた。
 かろうじて襲撃を凌いだ聖騎士の男は、全滅を避けるべく衛士に散開を指示して、この部屋を抜け出したという。


 「全て私の落ち度だ。私が迂闊な指示を出したせいで、勇敢なる衛士隊の尊い命を無為に散らせる羽目になった……!」


 聖騎士はそう自省するが、どうも公宮の日頃の態度から推測すると、冒険者の指揮下に入ることを嫌った一部の衛士が、行軍への遅滞工作を図ったために起きた事故ではないかとも思える。衛士の1個中隊を動かす程度の作戦で、この階での野営が必要になるだろうか? 前線陣地は上階にあるとも聞く。
 衛士の多くは、その多くが公国を出身とする民兵なのだけれど、その中には富裕階級出身の職業軍人としての衛士も多少は存在する。本来的にはこうした公宮主導の作戦に関しては、それら上級衛士が指揮を取るのがスジではあるが、今回は樹海の魔物を相手取るということで、その生態に詳しい冒険者が責任者として据えられたのだろう。それが彼らの矜持を甚く傷つけた結果、隊内の結束に綻びが生じ、指揮系統を混乱させたのではないかともアタシには思える。
 そうした不和を束ねてこそ将器とも呼べるのだろう。しかし、彼は優秀な冒険者ではあっても、優秀な将兵ではない。冒険者と兵士は、そもそも似ても似つかない存在なのだ。
 仮に責任を誰かに押し付けるとなれば、それはまず、この人事を策定した公宮に求められるのではないか。現場の過失以上に、作戦案にまずは綻びが多すぎた。それだけ公宮は今回の事態に対し、平静さを失っているということでもあるのだろう。


 「私は、ここで夜半まで待つつもりだ。魔物達が寝入ったところで、救出作戦を開始する。もうすぐ救護班も駆けつける。負傷者の処置も平行して進めるつもりだ。」
 「そうか、ただ魔物を押し返すだけじゃダメなんだ……」
 「携行した医薬品では数が足りない。可能な限り負傷者を救いたいのだ。」
 「万全の体勢を整えるのはいいとして、生死の境を彷徨っている衛士は捨て置くのかね?」
 「今は、彼らの生命力に賭けるより……ない。」


 その声には、自由を尊ぶ冒険者らしからぬ悲壮なまでの決意が宿っていた。主人の心情を慮ってか、傍に控えていた漆黒の狼が体を寄せて、男の足に頬擦りする。
 彼はこの進退窮まる状況にあって、既に次の行動を計画立てている。最善ではないにしても、次善の方策を。
 しかし、なぜそこまで彼は懸命になるのだろうか。このような危険な任務に敢えて飛び込み、自らの身を魔物達の歯牙の前に晒け出す。その報酬として、彼は一体、誰から何を得ようというのだろうか。
 もはやその不屈の姿勢は、一般的な冒険者のそれとは一線を画している気さえする。或いはそれこそが『百の名の勇士』の二つ名が意味する彼の身上なのだろうか。


 「君達は、街に帰りたまえ。暫くすればここは戦場になる。」
 「だけど、オレ達にも何か……!」
 「足手纏いになると言っているんだ。」


 声調は極めて穏静ながら、その指摘は手厳しい。確かに新進の冒険者に過ぎないアタシ達が、血で血を洗う魔物達との闘争において、何かの役に立てるとは到底思えない。
 しかし、聖騎士のその諫言にも怯まずに、ベオはさらに言を繋ぐ。


 「魔物と正面から渡り合えるとは思いません。でも、負傷者を運び出すには人手が必要でしょう。」
 「ふむ……」


 ベオの提言に対し、聖騎士は顎に手を当てて思案顔になる。
 無関係な冒険者を巻き込みたくないとは言え、現実的な問題として、頭数が必要なのも確かなのだろう。今、満足に作戦を遂行できる衛士の数は極めて限られている。後方支援のために数を裂く余裕はないハズだ。


 「……わかった。君達に協力を頼めるだろうか。」
 「ミレッタ、いいよな?」
 「なんでアタシにそれを聞くのよ。」
 「学習したからだよ。」


 イマイチ腑に落ちない返答だけど、さっさとベオを連れて逃げ出したい気持ちは確かにある。こんな危険な盤面に踏み込むような真似は極力避けて、アタシは傍観者に徹していたいのだ。
 だけど、アタシが否を唱えたとしても、ベオは意志を曲げないだろう。ベオは極めて頑迷な性根の持ち主だ。冒険を始めてからというものの、アタシはそれを幾度となく思い知らされた。
 だから今では、ベオの言葉を半ば受け入れてしまう自分がいる。危険なことだとわかっていても、惰性に流されてしまう自分がいる。
 それは多分、いつもベオの選択がアタシの反論よりも正しかったからだ。アタシが思っている以上に、ベオは現実を正しく見据え、判断を下す感性を備えている。
 それにも関わらず、アタシはいつまでも昔のベオを追いかけている。アタシの記憶の中のベオの姿は、未だお使い先の酒屋の軒先で、白と赤のどちらを買うべきか戸惑っている優柔不断な男の子のままなのだ。


 「勝手にしなよ。自分のことは自分で決められるんでしょ。」
 「ミレッタ……?」


 ベオの意志を尊重すること。それはベオを見放すことと同義じゃない。そうは思っていても、つい声を荒げてしまう自分がいる。全く、成長していないのは、どっちなんだろうね。


 「何を拗ねてるんだよ、ミレッタ。」
 「拗ねてなんかいません。」


 ベオが遠くに行ってしまうのが、アタシは怖いのかもしれない。ずっと隣を歩いていたハズの男の子は、いつの間にかアタシの背を追い越し、歩幅を広げ、そしてアタシを置いていってしまう。
 アタシは必死に追い縋ろうとするけれど、ベオはアタシを顧みない。前だけを見つけるベオの瞳には、アタシの姿は映っていない。
 だからアタシはベオの裾を掴んで、ベオの歩みを阻もうとするのだろうか。だけど果たして、そんな権利がアタシにはあるのだろうか。


 「じゃあ、オレ達も協力させて貰います。」
 「期待しているよ、『バラック』の諸君。……とは言え、今の君達では満足に動けまい。一度街に戻りたまえ。」


 聖騎士の指摘は確かに的を射ている。蟷螂の『敵対者』との遭遇に始まる今回の行旅は、アタシ達の気力と体力を大幅に削ぎ取っていた。幾ら魔物との戦闘に挑むのではないとは言え、最低限の備えは必要だ。


 「でも、また蟷螂の小道を抜ける余裕はないですよ。夜は間近です。幾ら『磁軸の柱』を使っても……」
 「その獅子のような勇敢さは賞賛に値するが、君は禽獣の強かさをこそ見倣うべきだな。」


 反駁するベオに対して、赤毛の聖騎士は低く苦笑する。彼は視線を中空に外して腕を水平に掲げると、まっすぐ南に続く通路の奥を指差した。


 「この先に『磁軸の柱』に繋がる抜け道がある。それを使えば作戦開始には間に合うさ。」


 地図を見れば、通路の突き当りと『磁軸の柱』の部屋は、壁一枚を隔てて接している。もしここに、この男のいうような抜け道があれば、確かに連絡には有効な手段になるだろう。


 「樹海には、このような抜け道がいくつもある。それらを探し当てれば君達の探索の一助になるだろう。」
 「それもできすぎた話ね。まるで抜け道が予め用意されてるみたいじゃない。」


 まぁ、それも全ては樹海に棲息する獣達が自らの通用のために切り開いた枝道なのだろう。道なき道は分け入られることで新たな道として拓かれる。当たり前の話だ。


 「或いは、そうかもしれない。」


 しかし、男の返答は些か色合いが異なっていた。アタシは予想と外れた彼の返答に思わず目を剥く。


 「私は思うんだ。ひょっとして、これはそう、予め用意された間道なのかもしれない、とね。」
 「一体、誰がそんなことを?」
 「樹海、かな。この樹海を生み出した、誰かがだ。」


 先程までは現実主義に徹していたこの男が、突如として幻想的な御伽噺を口走り始めたので、アタシはこの男が疲労困憊の極地に達したのではないかと疑い始めていた。時として極度の疲労は、人間に酩酊めいた浮遊感を覚えさせることがある。


 「そう、樹海は人間の踏破を望んでいるんじゃないか? 樹海は人間を拒むどころか、招きよせようとしている。その懐に抱き寄せようとしているんだ。」
 「そうか、だから世界樹は御神木なんだ。冒険者は樹海を照らす巡礼者になる。その役割は世界樹から与えられたものだったんだ。」
 「馬鹿馬鹿しいわ!」


 話が明後日の方向へ飛びかけたところで、アタシは熱病患者のうわ言めいたそのやり取りを遮る。
 なんでこう男どもは、こんな偏執的な妄想に熱を込めるのだろう。病的に一つの物事に追求する子供っぽさをいつまでも彼らは捨てようとはしない。
 何よりも恐ろしいことに、当の本人達はそれが理知的な振る舞いだと思っているのだ。まったく、救い難いにも程がある。


 「樹海がアタシ達を歓迎しているっていうのなら、じゃあなんで『百獣の王』は第1層に降りてきたのよ! あれは明らかにアタシ達を追い払おうってハラじゃない! 話が食い違うわ!」


 そもそも樹海を一つの意志ある生命体として捉えること自体、アタシにはナンセンスの極みだとしか思えないのだけれど、敢えて彼らの土俵に乗るならば、こういう言い方もできる。アタシからしてみれば、『百獣の王』は、人間を樹海から追い払おうとする意志の発露のようにしか見えないのだ。
 しかし、そんなアタシの問い掛けに対して、聖騎士の男は敢えて持論を展開するようなことはしなかった。目を細め、眉を顰めて、そして寂しげに呟くだけだった。


 「『百獣の王』は、違うんだ。」






 考えてみれば、樹海の扉ってどういう作りになっているんでしょうかね。すんごい重たい作りの割にはスルーッて開くので、自動ドア的なアレなのかなーと思ったりもするんですが、でもそれだったらFOEだって通るのに不便はないハズじゃなかろうか、みたいな。まぁ、そこはゲーム的な事情なので突っ込むのもヤボな話ではあるんですけども。
 実際、扉のおかげでFOEの追撃を免れられるシーンって凄く多いんですよね。第2層とか第5層とか。なので扉は世界樹のパズルゲーム的な側面を構成するための重要なパーツの一つではあります。
 で、この特性を逆手にとって、例えば扉を開けるFOEが出てくるとか。それとか扉が錆びてて開かなかったりとか(STRでロールとかもいいなぁ)。そういうギミックを加えてみると、これまた一味違った面白さが出てきそうな気もします。地味だけどね!


 さて、実際のゲームに比べていろいろ親切というか、やる気のあるフロースガルさんですが、ショートカットのくだりは、「教えてくれてもいいじゃん」的な気持ちの発露がちょっとあったりして。まぁ、それも自分がショートカットを見つけられなかったからなんですけど。
 話によるとショートカットの存在を知らずに25Fまでクリア人とかもいるらしいので、存在を仄めかすぐらいはあってもよかったのかなとも思います。別にクリアのための必須条件でもなければ、ユーザ間で情報を補完しあえる部分もあるんですけども。