世界樹の迷宮・その9の4(5F)

 ソードマン♂ ベオの記憶


 「『百獣の王』を、討ち果たしたか。」


 覚束ない足取りで現れた呪い師は、妹の肩を頼りに崩折れそうな上体をどうにか支えていた。魔獣の放った炎に捲かれ、手酷い火傷を負った彼ではあるが、運良く大事には至らなかったようだ。ユーディットさんの処置が、迅速にして的確を極めたのも幸いしたのだろう。
 しかし、彼の纏う墨染めの長衣は、魔獣の炎に煽られて大部分が焦げ落ち、もはや衣服としての用を呈していない。襤褸切れと呼んでも差し支えないほどだ。
 元々貧相に過ぎる容貌の彼が、そうして浮浪者のような風体をしていると、まるで地獄から這い上がってきた幽鬼のようにも見える。よくも無事だったものだと感嘆するよりない。


 「『百獣の王』は、手傷を負っていた。だから勝てたんだ。」
 「聖騎士殿が、君に力を貸してくれたのだな。」


 本来であれば、『百獣の王』を一撃で仕留めるなど、それこそ手馴れの達人でもなければ不可能だ。駆け出しの冒険者に過ぎないオレが、魔獣を一刀で仕留められたのは、恐らく『ベオウルフ』との戦いにより、かの魔獣が僅かならぬ手傷を負っていたためなのだろう。
 ひょっとしたら、『百の名の勇士』は、『百獣の王』に止めを刺せたのかもしれない。それほどまでに『百獣の王』の抱えた怪我は深く、重かった。
 しかし、或いは魔獣を瀕死の淵に追いやったその瞬間に、あの赤毛の聖騎士は我に返ったのかもしれない。実子を誅しようとする狂気に気づき、自ら呪言の鎖を引き千切ってしまったのかもしれない。
 だから彼は敗北を喫し、そして最期を迎えたのではないだろうか。……いや、これもオレの勝手な空想に過ぎないのだが。


 「いずれにせよ、これで公国は危難を脱した。『百獣の王』の威迫から我らは解き放たれ、そして巡礼者はここに神木との邂逅を果たしたのだ。」


 世界樹と公国とを離間し、公国民の素朴な信仰心に疑念の楔を打ち込んだ暴虐の魔王。元はと言えば、公国民の恐怖した『百獣の王』の姿とは、樹海の侵犯を諌めるための世界樹の御使いであり、断罪の担い手でもあった。
 事実はと言えば、『百獣の王』は、その半生に特殊な背景を抱えているにせよ、樹海の生態系に属する魔物の1頭に過ぎない。公国民が魔獣に抱いた畏怖の正体はと言えば、未知なる樹海への畏敬が齎した錯視の虚像に過ぎなかったのだ。
 だからオレは、『百獣の王』の討伐が英雄の事業ではないことを知っている。ノワイトさんが高らかに宣言した、公国の危難も、脅威からの開放も、神木との邂逅も、全てはお為ごかしに過ぎないのだとわかっている。
 それでも、なぜ彼があのような芝居がかった勝利宣言を謳い上げたのかと言えば、つまりは『百の名の勇士』と『百獣の王』に関する事実を伏せるための掣肘なのだろう。『百獣の王』は、公国の敵だった。そういうことにしておけ、と彼は暗に言っているのだ。
 先程、ノワイトさんは事実を語るに際して、実妹であるユーディットさんを遠ざけたのだ。なぜ、彼がそのような小細工を弄したのかはわからないが、その口振りからすると、彼は未だに彼女に事実を伝えてはいない。そして、こちらにも余計な口出しはするな、と言外に訴えている。


 溜息をついて、オレは隣に立つミレッタに視線を移す。ミレッタもまた『百獣の王』の来歴を知らない一人だ。
 とは言えミレッタは、目前の危機が過ぎ去ったことを、今は素直に喜んでいるようだった。


 「ん、どしたの?」
 「……いや、なんでもない。」


 今はまだ、全てを伝えるべき時じゃない。オレはそう判断した。全てを伝えるのは、それこそ彼女の怪我が癒えてからでも遅くはない。
 その全ての四肢を真白の包帯で覆い隠し、髪や眉までもを酷く焼き焦がしたミレッタに対して、面倒極まりない因縁の羅列をぶつけるのは、どうにも酷な話に思えたのだ。


 「確かにオレ達は…… 公国の敵、を排した。だけど、失われたものは、余りにも大きすぎる。」

 「『百の名の勇士』の身命が失われたとは、まだ決まってはいない。捜索は続行する。」


 先程、『百獣の王』が親殺しを果たしたと語ったその口で、今度は聖騎士の生存を気安く仄めかしてみせるのだ。まったく、この呪い師の芝居はどこまでも卒がない。


 「聖騎士殿の捜索には改めて人手を募るべきだろう。ここは磁軸にも近い。」
 「『鋼の棘魚亭』で呼びかければ、多くの冒険者が協力してくれるでゴザルよ。」


 『百の名の勇士』に関して事実を付け加えるとすれば、オレ達は彼の遺体はおろか、遺品となるような品物の一切を見つけることができなかった。最後は手詰まりの挙句、魔獣の胃の腑を分けることさえ試したが、それでも彼の生死を裏付ける痕跡を発見することは叶わなかったのだ。
 結局、彼の生存と死去を裏付ける物証のどちらもが、戦地からは失われていた。まるで彼自身が蒸発してしまったかのように。
 そのせいでオレ達は、他人のブーツを履いているような、妙に落ち着かない気分に浸っている。『百の名の勇士』は本当に死んだのか? それともまだ生きているのか?
 悲嘆の大海の只中に疑念の氷塊が突端を覗かせている。女々しい話だが、もしかしたら、という思いを未だに捨てきれないのだ。


 「しかし、例え『百の名の勇士』の偉命が失われたとして、同時に公国は新たな勇士を得たのではないか? それは公国にとって、巡礼を志す者にとって、樹海を照らす灯火と成り得る。」
 「新たな、勇士だって……?」


 疑問を投げかけたオレを見やると、ノワイトさんは薄く笑みを浮かべて言葉を続ける。


 「君のことだよ、ベオ君。『百獣の王』を討伐し、公国を危急の淵から掬い上げた。顕彰に値する功績だと誰もが認め、そして称えよう。」
 「何を、バカげた……!」


 引き攣った笑みを浮かべていることが自分でもわかる。『百の名の勇士』の生死も定かではないうちに、自らの功名を顕そうだなんて、余りにも不謹慎に過ぎる話じゃないか。ましてやオレは彼のような熟練の冒険者とは違い、未だ黄吻の駆け出しに過ぎないのだ。


 「だが、君が望まなくても、周囲が望む。『百の名の勇士』を失った公国は、その巡礼精神を萎縮させぬためにも、新たな探求の旗手を必要とすることだろう。」
 「だからって、そんなの、オレじゃなくたって……っ!」
 「君でなければならないのだ、ベオ君。それを君も望んだはずだろう?」


 オレが、望んだ? 『百の名の勇士』の代わりに英雄たることを望んだと?
 そんな、バカな! オレは一度だって、そんな名声なんか望んじゃいない!
 オレはただ、彼らを開放したかっただけだ。呪われた宿命。非望の末路。残酷な共食い。その全てから!


 「オレは、ただ、彼らを助けたかっただけだ……!」
 「だからだよ、ベオ君。いや……」


 呪い師は、冷たく、暗く、憐憫の情を浮かべた瞳をオレに向けて、低く呟く。


 「……『魔獣殺し』のベオ。」


 目が見開く。喉が詰まる。胸が高鳴る。
 そして、オレはようやく呪い師の言わんとしていることを理解した。


 「『魔獣殺し』……!」
 「……そう、それが君が得た呪の名前だ。」


 それは、樹海から『百獣の王』を排除した功績を称えて贈られる偉名なのだろう。公国が初めて直面した樹海への疑念を払拭したことも含めて。
 だけど、その二つ名を耳にする度に、オレは自らの無為無力を思い出すことになるハズだ。それは、彼ら『ベオウルフ』が背負った非業の宿命を、理によって救い上げるのではなく、剣によって断ち切ることしかできなかった男に向けられた恥辱の醜名でもあるのだから。


 そうだ、彼は言ったのだ。行き先を失った呪は、次に新たな依代を必要とすると。
 彼ら『ベオウルフ』が濃密に紡いだ強大な呪の織り絹は、『魔獣殺し』という名を得て今ここに顕在化した。それは未来永劫に渡り、オレの心身を蝕み続けるのだろう。呪はまさに成就されたのだ。




 「わかってますって。でも、異名の一つぐらいは欲しいかな。」
 「まーた、ベオはすぐ影響されるんだから。」


 いつか呟いたそんな言葉が脳裏を過ぎり、そしてオレは強く歯噛みする。
 そんなもの、欲しくなんかなかったんだ……!
 本当に大切なものは、いつだって指の合間をすり抜けて、遥かな闇の底に消えてしまう。
 オレが、オレが本当に欲しかったのは……っ!






 世界樹の迷宮2では、イベントで魔物のヒナが登場する場面があります。この魔物のヒナは、作中では比較的PCに近しいキャラクターとして描かれていて、普段ならば敵対する魔物であっても、ヒナに対してだけはPCは情をかけるような行動を取ったりもします。いやまぁ、それは任意の行動なので、助けない、という選択を採っても全然構わないワケですが。
 ただ、ゲーム的にはベターな選択肢は魔物を助ける方にあって、自分としては、この感覚がどうにも心地悪いなーと思っていました。樹海の魔物ってのは、人間の恣意とは乖離した自立した生き物なので、仮に魔物を助けたとしても、因果応報と言うか、後で恩を仇で返されるような流れの方が、より樹海らしいんじゃないかな、と思っていたんです。まぁ、Mの発想ですけど。
 なので、「魔物に近づきすぎてしまった冒険者が悲惨な目に遭う」というのは、これは面白い構図になるんじゃないかなと思っていました。とは言え、それをパーティに請け負わせるだけでは工夫が足りないかなと、そんなことを思いまして、それで今回の話の骨組みが出来上がったワケです。
 と言うことで、この話のギルド『ベオウルフ』の顛末は、プレイヤーパーティが辿るかもしれなかった可能性の一つでもあります。……と言うか、それぐらいの背景を付け足してあげないと、余りに死に様があっさり過ぎて見せ場がなくなってしまうという事情もあるんですが。


 あとはまぁ、ゲームを進めていて感じる疑問。例えば「フロースガルさんは言うほど強いの?」とか、「5人で負けたのに2人で戦おうとするのは無理すぎない?」とか、「なんでキマイラは上からわざわざ降りてきたの?」とか、「『ベオウルフ』がキマイラ退治を引き受けたのはなぜ?」とか、その辺をなんとか理屈付けられないかなと、色々設定をこねくり回してみました。が、これで、納得できる組み立てができたかどうかは、まぁ、自分では判断が難しいところです。「ひょっとしたら、それもあるかも?」と思って頂けたのなら成功なのかなと。
 自分的には、フロースガルさんは、(影の薄さとか薄幸なところとか)大変好みのキャラクターだったので、どうにか彼の名望を高めるべく、今回は試行錯誤しました。自分像のフロースガルさんなので、当然ながら作中のフロースガルさんとは全然違います。ゲームのフロースガルさんは、なんというか、もっとドライですよね。
 とは言え、これで少しでも「フロースガルさんカッコイイ!」と思ってくれる方がいれば、自分としてはこれに勝る喜びはありません。ようやく書きたいものが一つ書けたかなぁ、とまずはホッとしております。


 あと、チャットで教えて貰ったんですが、キマイラって頭が3つあるんですよね。ゲームの画像だとよくわからないんですが、獅子の頭の脇からニョキッと生えてる角は山羊の頭にくっついてるもので、見た感じでは獅子頭*1と山羊頭*2という構成になっているみたいです。
 実は、これを書いてる最中に判明した事実だったりしたので、該当部分を色々書き換えたりで、地味に苦労しました。うーん、同じ轍を踏まないためにも設定資料を買うべきなのかなぁ。絵を描くわけでもないのにね。