▼世界樹の迷宮2・その11(8F)

 ドクトルマグス♀ ユーディットの記憶


 ギルド『バラック』が、その拠点として用いる茅葺の小さな家屋は、世界樹の足元、街の中心に程近いなだらかな丘陵の上にある。しかし、街の中心と言ってもそれは地理上の見方に限った話であって、必ずしも繁華街の中心に居を据えているワケではない。
 よく考えてみて欲しい。四季を問わず地上に大きな影を落とし、放射状に巨大な根を張る世界樹の麓が、果たして居住に適した土地だと言えるだろうか? ただでさえ、厳冬に身を竦ませる公国の民は、残雪から大地を開放する太陽の恵みに餓えているというのにだ。
 中央の神学者の中には、ハイ・ラガード公国の世界樹信仰を太陽礼賛の傍系と見なす者もいる。公国民が欲して止まない黄金の陽光を独占し、枝葉を茂らし巨躯を誇示する古木の存在は、確かに往昔から彼らの羨望の対象であり続けたと言えるだろう。
 ゆえに街の商業的な中心地は、世界樹の南に遠く離れた公宮と世界樹とを繋ぐ目抜き通りの周辺に固まっている。冒険者の根城となる各種ギルドや、そうした連中を相手どる商売の多くは、世界樹の麓から北側周辺に固まっていて、地勢から顔ぶれに至るまで陰気な一角を形成している。つまり、その樹身を天まで伸ばす世界樹の麓は、街の中心部でありながら、同時に街の辺縁部でもあるのだ。


 かつて、世界樹の周辺一帯は、公王の御領だった。それは儀礼的な事情もあれば、開拓に不適な土地であることも少なからず影響した。世界樹信仰の盛んなこの土地で、世界樹の地下茎を傷つけてまで開拓に励もうとする者は限られていたし、地下に広く深く張り巡らされた根網と格闘するならば、外部へ用地を広げる方がよほど簡便で効率的だった。
 御領は、不触の地である。そんな共通認識は、半世紀ほど昔まで続いた。


 世界樹の洞に迷宮を見出し、開拓を奨励したのは先代の公王だ。彼は冒険者を広く公国に招き寄せ、自信と野望に満ち溢れた若者達がその誘いに応じた。
 世界樹の探索へ乗り出す冒険者達が拠点と定めたのは、住人が整備を諦めた世界樹周辺の土地だった。公王は御領を冒険者に開放し、彼らの動向と成果を一元的に管理するためにギルドを設置した。
 動線の短さも相俟って、流れの冒険者世界樹の回りに一先ずの休息を得るための仮小屋を次々と築く。公国民は当初、神木に群がる不逞な輩が神聖な土地を汚すのではないかと懸念を抱いたが、公王は「冒険者は神木への行脚を行う巡礼者である」と公国民を誘導し、聖地に向かう修行僧のように彼らは公国に受け入れられた。
 無法者が都市に騒乱を持ち込むことも少なくなかったが、そうした輩は身一つで樹海に放りだされた。審判は世界樹が下した。
 半世紀の時を経て、公国民と巡礼者の間には互譲の精神が育ちつつあったが、新参者の流入が途切れなく続いたため、同種の諍いがしばし発生した。世界樹の発見に伴う公国の伸張は、長く守旧を尊び続けた純朴な公国民の目には、まったく不可解で暴力的な変動とさえ映った。




 私達が迷宮に持ち込む各種物資の倉庫として用いられているこの家屋は、本物の『バラック』、すなわち、私達が名義を借受ける前に存在した「かつての冒険者」の一団が用意したものである。文字通りの掘っ立て小屋に過ぎなかったこの建物が、私達の前線基地になることが決まると、まず私は職人を呼んで暖炉と煙突の整備、それから割れ窓の交換を始めさせた。ハイ・ラガードの長く厳しい冬を乗り越えるために、外気の遮断と暖気の確保は必要不可欠だった。
 今では暖炉はその役務を終え、次の冬までしばしの休息についている。庭先には野伏の娘が樹海から持ち帰った野草の種子が芽吹き、紫色の小さな花を無数に咲かせていた。


 侵入者を無言で威嚇する赤錆だらけの鉄門をくぐると、さして広くもない中庭を通って、がたつく扉を引き開ける。爪先立ちになり、靴裏に付着した泥を落としていると、中から野伏の少女が現れた。


 「あ、ユーディットさん、お帰り。」
 「只今戻りました。」


 私達はぎこちなく挨拶を交わす。私は半身になって道を譲り、野伏の少女はそれで礼のつもりなのか、首を少しだけ竦めてから私の脇をすり抜ける。


 「あ、まただわ。ったく、この辺には行儀の悪い猫でもいるのかしらね……」


 彼女は舌打ち混じりに呟くと、足早に花壇に傍寄って手入れを始める。私は靴裏に付着していた若葉を摘み、そっと排水溝に置き捨てた。


 私室に戻ると、私は窮屈な黒の上下を脱ぎ捨てて、髪を解いて後ろに流す。部屋着に着替えてから、控えめに香を馴染ませると、姿勢を正して隣室へと赴く。唇を舐め、規則正しく3度ノックする。室内からの返答を待って、私はゆっくり扉を開けた。


 忙しなく走らせていた羽根ペンをペン立てに戻すと、兄上は背凭れに上体を預けるようにしてこちらを仰ぎ見る。私は礼を施してから室内に踏み入り、仔細の報告を始めた。


 兄上はベッカー邸に戻らず、しばしこの仮屋を重用した。兄上に言わせれば、「ベッカー邸は遠すぎて、行き戻りで樹海に赴く体力を根こそぎ奪われてしまう」のだそうだ。それを聞いて、剣士の少年は腹を抱えて笑っていたが、私は心が急速に冷えていくのを感じた。樹海に立ち入るようになってから、兄上の容態は加速度的に悪化の一途を辿っていた。
 ナガヤに命じてベッカー邸から搬入させたマホガニーの机は、かつて父上が愛用してたものだが、今では兄上の私物となっている。兄上は夜遅くに起き出すと、獣脂の蝋燭に火を灯して公宮に提出する資料の清書を始める。
 太陽の光は人体に有害な成分を含んでおり、太陽の光を浴びることで我々人間の寿命は失われていく、とは、中央で有名な新進の医学者の発論であるが、兄上は情緒的か論理的かはいざ知らず、この先進的過ぎる着想に小さくない正当性を見出していた。私の拙い医学の知識からすれば、それは妄言に過ぎないようにも思えたのだが、蜘蛛の糸にさえ縋ろうとする兄上の心情も私には判らなくはなかった。
 樹海にいる限り、私達が日の光を直接に浴びる機会はない。兄上は月の照り返しのような樹海の日差しを好んでいるようだった。兄上は、湿った大地と、生い茂る草葉から立ち上る生気が、自身に欠落した何かを埋めてくれるように感じていたのかもしれない。




 「慰霊祭はどうだ。滞りなく済んだのか。」
 「いえ、それが。公王陛下は多忙のため欠席。按擦大臣が代役として主事を務めました。」


 兄上は肉付きの薄い頬を指で撫で擦っている。それは何事かを思案する際によく見られる兄上の癖だった。


 「公女殿下はどうした?」


 兄上の問い掛けは予想外の方向から繰り出された。なぜここで公女殿下の名前が出てくるのか、私はその理由を判じかねたため、一瞬だけ返答が遅れた。


 「公女殿下は成人の儀を控えておいでです。公儀に参列するには早すぎるかと。」
 「判断に困るな。」


 私はただ事実を述べるだけに留めたが、どうもそれは兄上の求める答えではなかったようだ。私は自らの無知を恥じ入ると共に、自然と頬が熱くなるのを感じる。
 兄上は机上を睨み、しばし推考を巡らせている様子だったが、やがて面を上げると目つきを険しくして、囁くように私に話し掛けた。


 「公王陛下が倒れた。離宮周辺が慌しい。」


 ――公王陛下、重篤。私は息を呑んだ。


 今は窮状に喘いでいるとは言え、一応の貴族でもある我が家には宮廷の各所から真偽の怪しい噂話が寄せられる。兄上はそうした情報を収集し、比較し、分析し、そしてこのような結論を導いたのだろう。
 しかし、なるほど、それで先程の不可解な問い掛けにも納得が行った。兄上は、慰霊祭の主事を誰が務めたかで、陛下の病状を計ろうとしていたのだ。
 もし、仮に公女殿下が陛下の代役を務めたとすれば、それは陛下の容態が極めて思わしくないことを意味する。ゆえに大公家としては公女殿下を前面に押し立て、実質的な権力の禅譲が速やかに果たされたことを喧伝する必要が出てくるだろう。公国民の注目が集まる今回の祭儀は、パフォーマンスの場としては申し分ないのだ。


 「しかし、実際には按擦大臣が役務を全うした。……ふん、老人らしい退屈な手筋だ。」
 「病状は深刻ではない、と見ることはできます。しかし、一方で詮索を嫌って行動を手控えた、とも読めますね。」


 そもそも公女殿下自体、公国の継嗣としては些か微妙な立場にある方なのだ。
 公女殿下は未だ成人の儀を終えておらず、公位継承に際して幾分かの制約が纏わりつく。その最たるものが後見人としての摂政の選任であり、これは公位継承順において次位の者がその役務を担う。そして困ったことに第2継承者である陛下の弟君、公弟殿下の政策方針は、世界樹の開拓事業を収縮し、鎖国を望む方向にあるのだ。
 というのは、公弟殿下は、その支持基盤を在郷の商人で塗り固めている。先代の公王が樹海を拓いたことによって、公国には外来の商人が多数流入し、公国における在郷の商人の影響力はこの半世紀で著しく削がれた。
 後退を余儀なくされた在郷商人達にとって、逆転の目があるとすれば、それは公弟殿下を祭り上げ、施策の転換を果たすことにある。ゆえに彼らの耳に公王陛下重篤の報が伝われば、彼らは勇んでシャンパンの栓を引っこ抜き、手に手を取って下手なワルツを踊り始めることだろう。


 公女殿下が誕生式典を迎え、成人の儀を終えるまであと2ヶ月。それまで陛下の余命が持つか否か。情報管制が成功していないところをみると、ややもすると苦しい状況にあるのかもしれない。


 「私の手元に届いたのは悪意に満ちた凶報ばかりだ。公王陛下は既にお隠れになられた、などという不敬な報さえ飛び込む始末だ。」


 処罰を恐れていないのか、流言が実現する裏付けがあるのか。或いは疑心を掻き立てるための策謀なのか。公弟派のやり口は極めて陰湿で攻撃的だ。
 もはやこれは悪戯では済まない。公王陛下の病状の如何に関わらず、どうやら宮廷が血に染まらなければ収まらないところまで事態は進展しているようだった。


 「公弟派は、公女派を揺さぶって、団結を切り崩そうとしているのですね。事実であれ、虚報であれ、既に公王亡き後の体制に彼らの目は向かっている。」
 「焦っているのだよ。過去に裏切られ、現在に勝ち目がないから、安逸な未来に逃げ込もうとする。妄言を繰り返せばそれが事実になると思い込んでいるのだ。」


 とは言え、公宮の裏で繰り広げられるこの手の政争に関しては、私達はさほど関心を抱いていない。錆びついた風見鶏は、風向きを読めず、同時に尾を振ることもない。
 この件で最も重要なのは、公弟派が公宮の実権を握った暁には、彼らの理念の実現のために、冒険者世界樹への立ち入りが禁じられる可能性が高いという点に尽きる。それは私達にとって、極めて喜ばしからざる展望だ。


 「つまり、私の心臓は、陛下の萎びた手に掴まれているということだ。どうせ命綱を握られるなら、見目麗しい公女殿下の方が良かったな。」


 兄上には珍しい俗悪なジョークだったが、私は全く笑えなかった。兄上と公王陛下が運命共同体となってしまった事実は、私達の採り得る選択肢の幅が急速に縮まったことを意味してもいたのだ。
 世界樹への立ち入りが禁じられれば、私達が『諸王の聖杯』を手にする機会は永久に失われ、そして兄上の病魔を癒す手立ても同時に失われる。公王陛下の余命の蝋燭は、言わば世界樹探索の許される最後の猶予かもしれないのだ。


 「公宮は、公弟派が優勢を占めつつある。変事が伝われば趨勢はさらに加速するぞ。」
 「『百獣の王』の一件で、公宮が揺れているのも悪材料ですね。」


 厭戦気分とでもいうべき、開拓精神の枯渇が公国を席巻しつつあった。世界樹が拓かれてから半世紀。開拓は遅々として進まず、冒険者は第3層で足止めを食らい続けている。
 先を先をと望むのは、新層の利権に与ろうとする外来の商人ばかりで、開拓の尖兵とでも言うべき冒険者と言えば、その多くが日々の糧を得るための探索に汲々としている。彼らの足取りは意気に枯れて重く、彼らの後姿からは酒精の匂いだけが漂っていた。
 誰もが終点の予兆を感じ取っていた。これ以上世界樹を拓くことは難しいと。そして、どこまでも世界樹が続くことはありえないと。
 東方の果て、新興都市国家エトリアにおいて、同種の拡大政策が破綻を喫したこともそうした心理を後押ししていたし、冒険の余地を失ったエトリアからの流れ者が公国に急激に流入したことで、情報は錯綜し、悲観論が顕在化し始めていた。
 ゆえに世界樹との関係を縮小化し、健常化しようとする公弟派の思惑は、まったく世論を無視した方針ではなかったのだ。むしろ公王が世界樹開拓に注入した過大な国費については、各方面から批判の声が上がっている。公王個人の趣味としては余りにも贅沢に過ぎるというのだ。
 樹海から吸い上げられた財貨の多くを、公王は更なる開拓に惜しげもなく注ぎ込んだ。国家を挙げての大事業ゆえに成功すれば名君の誉れを後々にまで残すことになるだろうが、開拓が停滞を続けている昨今、公王の影に放埓を極めた歴史上の暗君の姿を重ねる者もいる。
 以前、按擦大臣は、公宮の異見を取り纏めるのに労苦を要していると言っていた。今回の慰霊祭はそうした公宮内外の不満を慰撫する意味もあったのだろう。
 状況は、私達にとって極めて不利に推移していると言えた。逼迫し、閉塞しつつある現状を打開し、人々の目に再び開拓の野心の炎を灯すことができなければ、樹海はかつての物言わぬ鉄の櫃に戻り、私達はその中に収められた至宝を手にする機会を失う。
 誰もが為しえなかった第4層への到達。それこそが、現状を打開する最良の一手と言えた。


 「『百獣の王』が倒れた今、私達を阻む者はありません。階上へと急ぎましょう。」
 「そうだ、道は開けたのだ。……ベオ君の功績でな。」


 剣士の少年の名前が兄上の口から紡がれ、私は胸奥で舌打ちする。
 確かに魔獣討伐の功労が彼にあることは私も認めざるを得ない。彼は魔獣に対し致命的な一打を与え、『魔獣殺し』の二つ名を得るに至った。
 しかし、私にも好機はあったのだ。魔獣が横腹を晒したあの瞬間。私の剣がヤツの臓腑を抉り、心臓を貫き、息の根を止める。そうすれば兄上の口から紡がれる賛辞の全ては私のものになっていたハズなのだ。
 私は、あの剣士の少年に嫉妬しているのだろう。長らく私にのみ注がれていた兄上の関心が、あの少年に向けられることを酷く恐れている。私にとって、兄上は唯一無二の存在だ。そして兄上にとっても、私の価値は等価でなければならない。
 だからこそ私は、あの剣士の少年に勝る功労を示さねばならない。兄上にとって本当に必要なのは、あの無能なデレクの息子などではなく、この私であることを認めて貰わなければならないのだ。
 その為ならば、例え身命さえも惜しむまい。私はそう自らに固く誓いを立てていた。


 「私達は歩みを早めめばならない。志を一つにし、樹頂を目指さなければならない。ユッタ、お前にその気概があるか。」
 「お戯れを。私の心は兄上と等しくあります。登頂を阻む障害など、全て切り伏せてみせましょう。」


 樹海の魔物の一体何を恐れようか。私の恐れるものはただ一つ。兄上の不興を買うことだけだ。


 「その言葉、ありがたく思う。お前の赤誠に感じ入り、私から一つ使命を与えたい。」
 「なんなりと仰りください。」


 心臓が歓喜に打ち震えた。使命感と高揚感が五臓六腑を熱くする。血液が今にも沸騰するかのように全身が火照りを帯びた。
 兄上が私に信義を託してくれることは、私にとって何よりの喜びでもある。そう、兄上の懇望を果たす栄誉を私は与えられたのだ。
 見たか、デレクの息子よ。私はお前とは違う。兄上と心中を分かち合い、未来を共に歩むのは、私にのみ与えられた権利なのだ。咎人の嗣子如きに出る幕はない。それをお前にも教えてやる。


 「デレクの息子を篭絡しろ。あの少年をこちらに引き込むのだ。」


 時が凍てついたように感じられた。兄上の言葉を聞き違えたのではないかと、私は耳を疑った。


 「蛇に二つの頭があれば、進路を違えて胴が裂ける。危難の芽は火急に摘み取るべきだ。」


 耳鳴りが酷くて兄上の言葉を上手く聞き取れない。私は震える舌を必死に御しながら、兄上の真意を探ろうとする。


 「あ、あの少年の独断を抑えるのであれば、彼我の立場を知らしめる方が容易いのではありませんか? 私達は出資者です。彼らの行動を掣肘する権利が私達にはあるハズです。」
 「それではダメだ。あの子供は利を知らず情で動く。厄介なことにな。」


 第1層での『激情の鹿王』との対面を私は思い出す。『アリアドネの糸』での脱出を声高に叫んだ兄上に対して、あの少年は最後まで首を縦に振らなかった。怪我を負った衛士を彼は切り捨てることができず、私達は探索が始まってから最初の苦難に見舞われた。
 あの時、兄上は呪言を用いてでも、少年を制しようとした。最終的には、私達は赤毛の聖騎士に救われる形となったが、それはあくまで結果論に過ぎない。そんな幸運にいつまでも頼ることなどできまい。私達を救ってくれたその聖騎士とて、今は天上の住人となってしまったのだ。
 兄上の言うように、変事の選択を踏み間違える危険性を、あの少年は常に内に孕んでいる。理性よりも感情を優先する放埓な態度を野放しにしておくのは確かに危険なのだ。しかし……


 「ならば、他の剣士を雇えば済むだけの話でしょう。何もあの少年に固執する必要もありません。」
 「その議題は既に論じたはずだ。況してや、第2層を踏み締めた冒険者の代わりとなると、そうそう見つかるものではない。」


 生きて第2層まで辿り着いたこと。それ自体が、あの少年の資質と幸運とを証明してもいるのだ。
 何より私たちには時間がない。同等の冒険者を探し当てるには条件が限られすぎてもいる。
 ゆえに、私達は今ある手札だけで勝負せざるを得ない。ならば、私情を抑えるのが賢明な態度でもあるのだろう。


 「仰ることは尤もです。しかし、具体的にはどのように……」
 「……デレクの息子は、野伏の娘に思慕の情を抱いている。その情をお前に引き寄せろ。」


 娼婦の真似事をしろ、というのか? この私が? あのデレクの息子に?


 反意の声を張り上げようとはした。しかし、舌が痺れたように動かなかった。
 私は羞恥と憤激に面を伏せ、呪うべき相手を見出せぬまま、ただただ呼気を荒くし、拳を強く握り締めていた。
 兄上の瞳は、いつもと同じ極低温の光を湛えていた。兄上は極めて冷静なのだ。ならば、翻意などさせられようはずもない。
 多分、兄上は気づいていないのだろう。自分がどれだけ残酷な一言を、妹に浴びせたのかということを。
 だからこそ、兄上は揺るがない。それが、兄上の強さなのだ。


 「……わかり、ました。必ずや、遂行してみせます。」


 逡巡はした。だが、結局私は、兄上の依命に背くことなどできないのだ。
 私は、兄上あっての私なのだ。私自身が失われるよりも、私は兄上を失うことが怖い。兄上を失ってしまったら、私には一体何が残るというのだ?
 だから返答はいつだって簡潔だ。私は兄上の言葉を肯んずるために生きているのだから。




 あの少年を情理から誘引するのが上策なのだということは私にも理解できる。兄上の推考はいつでも正しい。
 あの子供は、自分の為ではなく、他人の為に剣を振るう人間なのだ。もし、野伏の娘に危機が迫れば、あの少年は我が身を省みずに娘の盾になることだろう。
 そして、その対象を、あの娘から私に振り替えろ、というのは、なんとも落ち着かない話ではある。まぁ、要旨としては実に簡明だが。
 手段に悩む必要はない。人並みの性的魅力を持ち合わせている自負はある。青臭い子供一人、誑かすのに労苦は要すまい。
 だが、最愛の肉親の仇に色目を使わなければならないという、その屈辱が、私の胸奥を髄まで深く焼き焦がす。私のこの両の手を、怨敵の頚骨を砕くために使うのではなく、想い人の両肩を抱きしめるために使えというのだ。なんという皮肉、なんという恥辱だろう。
 しかし、それも全ては、私が辱めに耐えられるか否か、それだけの話なのだ。それで兄上への誠忠を果たせるならば、一時の羞辱など、どうということもない。
 いや、むしろ、それであの少年と少女の仲が拗れれば、これはなかなか愉快な話ではないか? そうだ、私はデレクの息子を騙し、弄び、嘲る機会を得たとも言える。これは正当な意趣返しなのだ。


 そう考えて、いや、そう自らに言い聞かせて、私はようやく束の間の平静を得る。自己欺瞞に過ぎないことはわかっていても、そうでも考えないと自分を保っていられなかった。
 酷く憔悴した顔を覗かせていたのだろうか、兄上がやや緊張した面持ちで私の顔色を窺う。私はそれで少しだけ気が休まる。


 「……或いは、巫道の秘薬でも使えばいい。人の感情を自在に操るような……」
 「御伽噺の中にしかありませんよ。……そんなものは。」


 乾いた笑いを零しながら、私は虚ろに言葉を返す。
 そんなものがあるのなら、そもそも私は狂わない。貴方を狂わせたハズなのだ。






 ゲームのチュートリアル的な第1層が終わり、風景が赤く一変する第2層に入ると、今作の副題でもある『諸王の聖杯』に関係するイベントがちらほらと出始めてきます。その発端は、ハイ・ラガード公国の首長、公王様が病臥に伏したためなんですが、この辺、ゲーム内では具体的な病状や経緯が明らかにされていないので、公女様や大臣からの懇願も「ただの父親思いの娘の話」としてしか受け止められない感があります。国家の大事と言うよりは個人の都合が優先されているというか。クエスト的な依頼内容と言うか。
 なので、前作に比べると、「なんかミッションはスケール小さいなー」と印象を受ける方もいるのではないでしょうか。自分は割とそういう声を聞きます。
 まぁ、あんまりこの辺、背景事情を深く詰めてもしゃーないところですし、単純な目的さえ提示されればそれでいいのかな、と思いはするんですが、まぁ、個人的にはもうちょっと使命感を掻き立てるような展開が欲しかったなと思ってもいます。


 自分はそもそも、世界樹2が「ハイ・ラガード公国」というカッチリした国家で展開される物語と聞いた瞬間から、ドロドロとした御家事情の話が来るのかとワクワクして勝手に盛り上がっていたんです。まぁ、実際はそんな濃い味付けはなくて、前作同様にシステム上で必要な施設が集まっているだけだったんですけど、自分はプレイ中も本文のような妄想をして楽しんでいました。
 やっぱり「お父様、お願い、死なないで!」だけじゃ燃えないというかね。立場的に公国の浮沈が懸かっているとグッとくるなと。これは完全に趣味ですけどね。
 個人的には世界樹を登らなきゃならない事情がプレイヤーキャラクター自身に欲しいんですよ。公王様のため、ってのは最終的には他人事ですしね。どうしても冷めた目で見てしまうんです。


 変な話ですが、前作は「樹海の奥に行くなよ! 絶対に行くなよ!」というダチョウ倶楽部的な振りだったのに対して、今作は「天空の城? どうぞどうぞ。」な振りなんですよね。そこが多分、捻くれ者のハートに火をつけるには些か火力が足りなかったんじゃないかなぁと思っています。直接に目的を提示するのは、わかりやすい誘導ではありますけどね。
 一方で、誘導されすぎなのがお使い感を覚えさせる部分もあったんじゃないかなと。そういうのは自分は楽しくないなと思うクチなので、例えお使いであったとしても、自分の利益を混ぜ込んで他律的な行為を、自律的な行為に置き換えるように妄想してます。好き勝手やってます。




 全然話は変わって、ちょっと設定の話を。
 この話は、ゲームの設定を割と無視ってる部分がありますが、作中の設定を振り返ると、公王様は結構長く寝込んでいるみたいなんですよね。大臣やらはそれをひた隠しにしているようですし、探索の指揮は公女様が執っているようです。
 公女様の成人の儀がもうすぐ、というのはゲーム内の「もうすぐ公女様の誕生式典が〜」的なテキストを読み替えています。実務に取り掛かっているなら、誕生式典だけしか国民の前に姿を見せないってことはないだろう的な考えで。
 ただ、公女様に良く似た方が出演される『プリンセスクラウン』だと、あちらの方は13歳で女王に即位したとのことなので、成人っていつなのよ、という気がしなくもなく…… まぁ、基本的には別物なので、あんまり深く考えないことにしていますが。
 実際にプレイしてたら、そっちのネタも取り込んで妄想を膨らませられたのかなぁ。そっちに縛られてネタ出しの自由度が狭まってしまったような気もしますけどね。難しいものです。